0066.内と外の境界
薬師アウェッラーナは目を覚ましたが、状況が呑み込めず、ぼんやり見回した。
周りは知らない人ばかり。その向こうには、炎が壁のように燃え盛る。
自分がアスファルトに横たえられていると気付いた。
アスファルトはよく燃える。
内戦中に聞いた話を思い出し、跳ね起きた。
「あ、あのっ、大丈夫ですか?」
【魔力の水晶】を貸してくれた少年が、アウェッラーナを気遣う。やっと状況を思い出し、無理に笑顔を作って答えた。
「お蔭様で、マシになりました。ありがとうございます」
場が安堵に包まれた。
薬師が居れば、それだけ生存率が上がる。人々の期待に満ちた目が、湖の民のアウェッラーナに注がれる。
「……治療を続けたいのはやまやまですが、ここには薬の素材がないので、これ以上のことは……すみません」
パン屋の男性の他、数名が意識不明の重体、立っている少年をはじめ、何人も骨折患者が居る。
アウェッラーナは改めて状況を確認し、申し訳なさに消え入りそうな声で詫びを口にした。
「いっいいえっ! そんなっ! 謝らないで下さい」
「充分過ぎるくらい助かってますから!」
青いツナギの工員とパン屋の青年が口々に言った。
「ガラスが刺さったままなら、もっと多くの命が失われました。ご協力、感謝致します」
休息していた魔法使いの警官にも言われ、アウェッラーナは少し安心した。
半世紀の内乱中は、薬の素材がなく、薬師では救命できない状況でも、数え切れないくらい、死傷者の家族に詰られた。
成す術もなく身内が亡くなるのをただ見守るしかない。
何もできない彼らは、その苛立ちや悲しみ、もどかしさを幼い薬師に当たり散らしたのだ。
アウェッラーナは、罵られたくない一心で【青き片翼】や【飛翔する梟】の術も学んだ。
薬を使わずに癒す術は、魔力の制御が難しい。失敗すれば、術で患者の命を奪ってしまう。高度な技術が必要で、幼いアウェッラーナには、初歩的な術を僅かばかりしか修められなかった。
申し訳程度の治癒でも、風当たりがかなりマシになった。
ここで生き延びても、また、あんな日々が繰り返されると思うと、アウェッラーナは気が重かった。
最初のテロから、まだ三日しか経っていない。
四日前までの平和な日々が、遠い昔のように感じられた。
……空がまだ明るい……そんなに休んでないのね。
幾分か回復したが、まだ【跳躍】などの大きな術は使えない。
これ以上の治療は、技術的に出来そうもない。
明るい内に【簡易結界】の準備を進めた方がよさそうに思えた。
土の地面なら、棒切れで線を引いて境界を作れるが、アスファルトでは無理だ。この人数を囲める長い紐が必要だった。
「あの、そろそろ、結界の準備を始めた方がいいと思うんですけど、どなたか、紐かロープのような物をお持ちじゃありませんか?」
薬師の問い掛けに、人々は首を横に振るばかり。
アウェッラーナは、鞄に携帯用の裁縫道具があるのを思い出した。
紙巻きのボタン付け糸があったが、もう三分の一くらいしかなく、到底、足りなかった。
「おい、そのマフラー解けばイケるんじゃね?」
「……イヤ」
「何でだよ。寄越せよ」
「ヤダったらッ!」
アウェッラーナは顔を上げ、声の方を見た。
男子中学生の一人が、女子中学生のマフラーを引っ張る。
向日葵色の太い糸でふんわり編まれた長いマフラーだ。
女子中学生は、マフラーを両手で掴んで少年に抵抗する。他の女子中学生が加勢した。
「ちょっと、やめなさいよ」
「首絞まっちゃうって!」
「だったら、さっさと放せばいいだろ!」
それぞれ同性に加勢し、中学生の一団がふたつに割れる。
「ヤダッたら! これ、お母さんの手編みなの!」
「それがどうした。さっさと寄越せってば!」
「これ、多分、もう、形見……」
そこまで口にした少女の目から、大粒の涙が零れた。一度溢れた涙は堰を切ったように止まらない。
慰めようとした少女らも、もらい泣きに声を詰まらせ、身を寄せ合って涙を流し始めた。
大人たちが、少年たちに批難の眼差しを向ける。
「何だよ! 結界張んのに要るんだろッ!」
少年の一人が反論する。
警官が首を横に振った。
「だからと言って、個人の大切な物を奪い取っていいと言う道理はない。そう言う心は、雑妖を呼び寄せる」
「だって……!」
尚も言い募ろうとする少年を遮り、工員が言う。
「新聞紙を湿らせて、捻じって繋げれば、ロープみたいになる。【簡易結界】は明日の朝まで、外と内を区別できればいいから、それで充分だ」
「だったら先にそう言えよッ!」
少年が甲高い金切り声を上げる。
工員はそれに応じず、周囲を見回して聞いた。
「新聞紙をお持ちの方、いらっしゃいませんか?」
数人が、朝刊一部や号外一枚を自分の荷物やポケットから引っ張り出す。読む為ではなく、燃料や布団、防寒着代わりにしたものだ。
魔法使いの警官が、運河から術でバケツ一杯分くらいの水を起ち上げた。
新聞紙を持った人々が、警官の傍に集まる。
「一枚ずつバラして、長い方の辺で折り畳んで、なるべく長くなるようにして、水で濡らして……」
避難民たちは、工員の説明に従い、新聞紙を折って濡らす。
「で、一方の端っこの中に、もう一方の端を入れて、捻じる」
次第に新聞紙の綱が長くなった。
「ちょっと待ってくれ!」
テロリストの一人が、声を上げた。
☆【魔力の水晶】を貸してくれた少年……「0057.魔力の水晶を」参照
☆【青き片翼】や【飛翔する梟】の術も学んだ……「0033.術による癒し」参照
☆明るい内に【簡易結界】の準備……「0023.蜂起初日の夜」参照




