638.再発行を待つ
昼時の喧騒を縫って聞こえた懐かしい声は、ラジオの臨時ニュースに掻き消された。
「樫の木通りのFMクレーヴェルから、臨時ニュースをお伝えします。今朝七時二十分頃、首都クレーヴェルの北門付近で、政府軍とネミュス解放軍を名乗る武装勢力の武力衝突が発生しました」
食事の手が止まり、帰還難民センターの食堂が静まり返った。
ロークがラジオのボリュームを上げると、無人のように静かな食堂にアナウンサーの声が響き渡る。
「現場付近の家屋や商店などが、ネミュス解放軍の放った【光の槍】などの流れ弾を受けて損壊、市民に多数の死傷者が発生したとの情報が入っています」
午前十一時の集計では、死者三十四名、負傷者十一名、この他に瓦礫の下敷きになった行方不明者が多数発生したようだが、戦闘が散発的に継続している為、救助活動が難航していると言う。
ピナティフィダが【明かし水鏡】で質問した時点でも北門は「通行不可」だったらしい。
……情報を隠し切れなくなって出したってコトなのか?
クルィーロは思わずラジオを睨んだ。
アナウンサーが感情を押し殺した声で、判明した死者の呼称と年齢を読み上げる。最後に気休め程度の安全対策を告げ、いつもの古典音楽に切り替わった。
ロークがボリュームを下げ、人々が食事を再開する。
「アマナ、クルィーロ! どこに居るんだ? 居たら返事してくれ!」
懐かしい声に思わずスープ皿から顔を上げ、食堂を見回す。幻聴かと思ったが、アマナがスプーンを握ったまま立ち上がった。
「お父さんッ!」
クルィーロは声もなくアマナの後ろを走った。人々の驚く目に見送られ、食堂の出入り口に駆け寄る。胸がいっぱいになり、妹が泣きながら飛びついた父の三歩手前で足が止まった。
アマナを抱きとめた父は、少しやつれていたが、どこも怪我をしていない。【明かし水鏡】で生きているのはわかったが、実際に顔を見るまでは不安しかなかった。
……このまま一生、会えないんじゃないかと思ってたけど、よかった。
アマナを抱きしめる父も、涙で何も言えず、娘の背中を撫でるばかりだ。食器が返却棚に積まれ始める頃にやっと、三人は涙を拭い、みんなが待つ席へ移動した。
「おじさんッ!」
レノたちが腰を浮かすのを手振りで座らせ、クルィーロたちの父は空いた席に腰を下ろした。
「……レノ君たちも一緒だったのか」
複雑な顔で声に安堵を乗せ、膝の上にアマナを座らせる。
エランティスは知っている大人に会えて安心したのか、顔をくしゃくしゃにして泣きだし、ピナティフィダが目を潤ませて妹を抱き寄せる。
みんなはもう食べ終わっていた。
「おじさんも、無事でよかったです」
「あぁ、お互い、本当によかった。今、社宅に居るんだ。西門の近くで、戦闘区域からはかなり離れている」
周囲の耳がこちらに向く。
父は泣き腫らした目をこすって話を続けた。
「会社もその辺りで、今朝、センターから連絡をもらって、会社の車を借りてきたんだ」
「父さん、先にアマナだけ連れて行ってくれないか?」
「お前はどうするんだ?」
父の声が震える。クルィーロは意識して、肩から力を抜いて言った。
「資格証明書の再発行がまだなんだ。手続きは済んでるから、明日か明後日にはできると思うんだけど……」
「そんなもの、後でいいだろう」
父の焦りにアマナが身を竦ませる。
「ここに来るんだったら二度手間になるし……」
手間自体は変わらない。この一日二日で戦線が拡大すれば、社宅からセンターまでの道が使えなくなるかもしれない。取りに来る途中で巻き込まれるかもしれない。
せめて、アマナだけでも父の傍に居させたかった。
「社宅から役所まで、行けそう?」
「それは……わからん。わからんが……」
「アマナは元々口座作ってないし、市民証の再発行は終わったし……」
アマナの目に涙が盛り上がるのを見て、それ以上は言えなくなった。思わずレノに助けを求める目を向ける。幼馴染は、クルィーロと父に視線を走らせたが、何も言わなかった。
ピナティフィダがエランティスの肩を抱く手に力を籠める。
赤の他人の薬師アウェッラーナとロークは、おろおろ見守るばかりだ。
「次に手続きできるのがいつになるかわかんないだろ? 今朝、この辺はまだ大丈夫って情報が入ったばっかなんだ。今の内に通帳と身分証を確保しとかないと、他所に避難した後、絶対に困ると思うんだ」
それには、レノとアウェッラーナ、ロークの三人が頷いてくれた。
「だがな……」
「父さん、俺が魔法使いってコト、忘れてないか? ほら、これ、アウェッラーナさんにもらった魔法のマント。色んな防禦の術が掛かってるから、心配ないって」
「お前……散々塾をサボってたじゃないか」
父が眉間に皺を寄せて目を細める。クルィーロは己の信用のなさに苦笑を洩らした。
「空襲からこっち、命懸けで勉強し直したんだ。アウェッラーナさんや呪医のセンセイに教えてもらって【癒しの風】とかも……もう【魔除け】をとちったりしないし、ホントに大丈夫だから」
政府軍の魔装兵やネミュス解放軍の【光の槍】を防げるハズがないが、クルィーロは笑ってみせた。
「クルィーロさんがちゃんと魔法を使えるのは、私が保証します」
父の顔が湖の民の少女に向き、徽章に視線が落ちる。薬師アウェッラーナは銀の徽章【思考する梟】を持ち上げて名乗った。
「アガート病院の薬師アウェッラーナと申します。避難中、ここまでの旅費や生活費を稼ぐ為に、みなさんには随分たくさん、お手伝いしていただきました」
「アマナも手伝ったの」
父はアマナの頭を撫でて湖の民の薬師に礼を言い、疑問を口にした。
「それで、どうして息子がまともに魔法を使えるように……?」
「薬の下拵えで【操水】などを使いましたし、避難中は【灯】や【炉】、【魔除け】や【簡易結界】、それに【重力遮断】などを数え切れないくらい使いました」
どれも、生活に必要な術ばかりで、魔装兵の攻撃から身を守れるようなものはひとつもない。
父の顔が曇ったままだと気付き、薬師アウェッラーナが付け加える。
「それに、道中で知り合った呪医が、できるようになるまで根気よく【不可視の盾】と【癒しの風】を教えてくれました」
「呪医が教えてくれた術は、力なき民の俺たちも、できるようになりましたよ」
「……【魔力の水晶】とかがないとムリですけどね」
レノとロークが言い添え、他のみんなが頷くと、父はアマナを撫でる手を止めて考え込んだ。




