635.糸口さえなく
調理師が持って来てくれた数日前の新聞には、先日、ラジオのニュースで言っていた腥風樹の駆除情報も載っていた。
それだけでなく、腥風樹が歩いた痕跡の写真まである。
ラクリマリス王国軍提供の写真は、森の中を何かが這った痕を捉えた一枚だ。その周囲の草や低木が枯れ、虫や小動物の死骸が落ちている。小型の魔物は腥風樹の毒に中る為、小さな死骸からは受肉できない、と解説が添えてあった。
薄暗いツマーンの森にどこまでも続く葬列に、ロークは言葉を失った。
死骸や枯れ木などは腥風樹と同じく凍結させて回収し、王族が桁違いの魔力で行う強力な炎の術で焼き払わなければ、無害化できない、とある。
死骸に少し触れるくらいなら問題ないが、食べるのは論外だ。枯れ木を普通に燃やせば、毒が気化して被害が拡大する。だが、動植物の死骸を放置すれば、土壌が汚染されてしまう。
回収が終わるまで、住民は帰還できない、とあった。
……アーテル軍は、そこまでして魔哮砲を倒したがってるのか。
アーテル共和国はラクリマリス王国と断交している為、二国間の関係を気にしないのかもしれないが、聖地から離れたネーニア島とは言え、フラクシヌス教の国々からの批難は免れられない。
腥風樹の件で、アーテル共和国と国交があるフラクシヌス教国はどう出るのか。
もし、アーテルとの貿易を止めてしまったら、食糧難と経済難が同時に降りかかるのではないか。
……まぁ、でも、商売を急にやめたら、フラクシヌス教の国も困るから、それはないか。
せいぜい、特定の品目だけ禁止したり、取引量を減らしたりと言った経済制裁の意思表示が限度だろう。
アーテルはそれを見越してことを起こしたのかもしれない。
……それに、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国や教団が、自治区の復興支援で資金や物資を届けられたってコトは、アーテルにも届けられるってコトだしなぁ。
ロークは新聞を隅々まで読んだが、どちらが勝っているのかわからなかった。
ネモラリス軍の発表では、九月に入ってからは一件も空襲被害が発生していないらしい。
ラクリマリス王国の湖上封鎖で飛行ルートが限定されていることと、軍とラキュス・ネーニア家の当主シェラタンが協力して無人機の大編隊を迎撃し、魔装兵らの働きによってアーテルの航空戦力が更に削ぎ落とされたからだ。
アーテル共和国は、キルクルス教の教義に基づいて魔術の使用を禁止している為、【魔除け】などを施して安全に湖へ出られる船舶は一隻も保有していない。
水軍力は皆無で、陸軍は間にラクリマリス王国がある為、派遣できない。
アーテル領でも、ランテルナ島には力ある民や湖の民が住んでいる。
反乱を恐れているのか、島民を戦力として使う気配は全くなかった。
アーテル軍は、ほぼ手も足も出ないような気がするが、戦争をやめる気はないらしい。魔哮砲を搭載した防空艦を一撃で沈めたミサイルが、まだ幾つか残っているのだろう。
射程距離は不明だが、防空艦の堅固な防禦の術を突破し、一撃で沈めた威力だ。核保有国でないことだけが、不幸中の幸いと言える。それでも、都市を攻撃されたらと思うと、天が落ちて来るような不安に駆られた。
歴史の教科書に載っていた昔の戦争のように、領土や資源が欲しくてする戦争なら、そんな兵器は使わないだろう。
キルクルス教の教義に基づいて、魔哮砲を破棄させ、“悪しき業”を使う魔法使いを焼き払う為なら、アーテルは何でもしそうな気がした。
ロークがラジオで知った限り、アーテルの開戦理由は、ネモラリス共和国内のキルクルス教徒……リストヴァー自治区民への迫害の阻止だ。
ネモラリス政府は大火の後、各国やキルクルス教団の支援を受け容れた。優先して自治区の復興と生活改善に取り組み、国内外にアピールし続けている。
今、ネモラリス共和国内で一番安全なのは、リストヴァー自治区なのではないかと思うくらいだ。
それでも、アーテル側からは和平交渉の話題が全く出ない。
ネモラリスの正規軍は、爆撃機の迎撃と空襲被害を受けた都市で発生した魔物や魔獣の駆除に追われ、アーテルの本土へ兵員を割ける状況ではない。
軍幹部は、土地勘のある魔装兵を【跳躍】でアーテル本土へ送り込み、空軍力を根こそぎにすべきだと主張し、一部の国会議員も賛成しているらしい。だが、与党の秦皮の枝党が強硬に反対し、国民を魔物や魔獣から守れとの主張を譲らなかった。
確かに、どれだけの戦力を投入すれば空軍基地を潰せるのかわからない。
実際にやってみれば、オリョールたち武闘派ゲリラと、ソルニャーク隊長と少年兵モーフの星の道義勇軍が協力して、五十人足らずでアクイロー基地を壊滅させられた。
ロークも戦闘に加わったが、あれは、呪符と【魔道士の涙】で召喚した魔獣の力が大きい。そんな倫理に悖る戦法を採っても、ゲリラ側はほぼ壊滅と言っていい死傷者を出した。
正規軍が同じ作戦を使うとは思えないが、魔装兵を派遣してしまえば、国内の魔物対応が疎かになってしまうのは否定できない。
力なき民の兵は、魔獣相手ならある程度戦えるが、実体のない魔物には通常兵器の攻撃が届かない。
空襲は、現状でも充分、防げている。
貴重な戦力を割けば、国民の安全を脅かして不安を煽る、と与党が危惧するのも仕方がないだろう。
ネモラリス側は防戦一方で、魔哮砲と言う弱みがあるせいで、停戦の提案すらできなかった。
正規軍が動かないことに業を煮やした有志や、復讐に燃える人々を何とか宥めようと、政府やボランティア団体が努力を続けているが、アーテルへ向かう者が後を絶たない。
しかも、クーデターまで発生した。
ラジオの声明だけでは、ネミュス解放軍がアーテルに対して具体的に何をするか全くわからない。
……どうすれば平和になるんだろうなぁ。
ロークの溜め息が、平和への糸口がみつからなかった新聞紙を震わせた。
☆ラジオのニュースで言っていた腥風樹の駆除情報……「597.父母の安否は」参照
☆腥風樹が歩いた痕跡……「607.魔哮砲を包囲」参照
☆政府やボランティア団体が努力……「278.支援者の家へ」「305.慈善の演奏会」参照




