633.生き残りたち
今日の漁は昼網も終わり、漁船は全てノージ港に帰っていた。
漁師たちは、袋や網、鉤をつけた綱などに【漁る伽藍鳥】の術を掛けて魚を獲る。ネモラリス共和国には、力なき民の漁師も居るが、ラクリマリス王国領のこの港には居ないらしい。
老婆が当たり障りのない挨拶をして、漁網を修繕する女性たちに声を掛けた。
「ねぇ、おかみさん。この人たち、ゼルノー市からグロム市の親戚を訪ねて行くとこなんだけど……」
「あらあら……ゼルノー市の漁師さんたちなら、あっちの方に繋いでるわよ」
「知り合いが居るといいんだけど」
おかみさんの一人がノージ港の北側へ顎をしゃくって、せっせと繕いの手を動かす。
漁港を歩く場違いな三人に、魚に塩を振って干す者や漁具の手入れをする者たちが威勢のいい挨拶をし、その度に老婆は愛想よく返し、呪医と針子はおっかなびっくり会釈した。
「あ、あの、私の家は漁師さんたちとは全然、お付き合いがなくって……あの、すみません」
「呪医はどうだい?」
「患者さんの中に漁師さんやそのご家族はいらっしゃいましたが……」
呪医セプテントリオーは、老いた漁師とその娘の薬師アウェッラーナを思い出した。他の患者たちがどうなったのか、全くわからない。
ここまで逃れられた人々はまだ当分、ゼルノー市には戻れないのだ。
数人の漁師を介し、ノージ港の北端に船を舫った陸の民と対面する。
「あ、あぁ、誰かと思ったら、市民病院の呪医じゃないですか。よくぞご無事で……」
何度か診たことのある五十絡みの男性が、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして喜ぶ。
「あなたも、ご無事でよかったです」
「そっちのお嬢ちゃんは?」
漁師の目が、湖の民の呪医の傍らの陸の民の少女に向けられる。
「焼け出された子です」
「あ、あの、私、グロム市の遠縁を頼って行くとこで、センセイが王都に行くついでに連れてって下さるって……」
漁師は気の毒そうに何度も頷きながら、サロートカがしどろもどろに言う身の上話に耳を傾けた。
「どっち向いても、そんなハナシばっかだ。陸はやっぱ、大変なコトになってたんだな。さっさと戦争が終わってくれりゃいいんだが」
漁師が首を横に振ると、老婆が聞いた。
「他にも逃げてきた船があるって聞いたんだけど、他の人らはどうしたね?」
「あぁ、今ちょっと漁協の用事やら、干物の手伝いで出払ってんだ。二隻……人数は俺の身内も入れて、えーっと、十……四、五人は居る」
漁師自身は網の繕いをしている。
「そんなに大勢、助かったのですか」
呪医セプテントリオーが頬を緩めたが、漁師はとんでもない、と言いたげに眉を顰めた。
「何せ、船が小せぇから、あんまり助けらんなかったけどよ。……近付いただけで動けなくなって、ワケわからん軍隊みてぇなのに沈められた僚船もあるし……」
漁師がサロートカを気の毒そうに見て言った。
「何に近付いて動けなくなったんですか?」
「岸壁だよ。突堤。グリャージ港の。火事だっつーんで、湖へ逃がす手伝いと、火ぃ消す手伝いで手分けしようってなって、入港したら急に船が動かなくなったって……」
漁師が薄気味悪そうに北へ目を遣る。
防壁に遮られ、ゼルノー市は勿論、間近に迫るクブルム山脈も見えなかった。
「俺らは、来んなって言われて、それ以上行かねぇで、自力で【跳躍】できたモンだけ拾って沖へ逃げたんだ。何人かは、近くの力なき民をついでに連れて跳んで……でも、まぁ、ちょびっとだ」
湖の民の呪医を申し訳なさそうに見る。
「その軍隊のようなもの、と言うのは、キルクルス教徒のテロリストでしたが、市民と警察の反撃で捕えられました」
「ホントかい? だったら、何で……アーテルが星の標を送り込んでから、奴ら諸共、空襲したってコトですかい?」
呪医の説明に漁師の目の色が変わり、サロートカが小さくなる。
「その辺りの詳しいことまではわかりませんが、テロリストは『星の道義勇軍』を名乗っていましたし、アーテル軍が彼らの存在を知っていたなら、我々諸共、焼き払ったりはしないのではないでしょうか?」
逸早く湖上へ避難できた漁師は、当時の情報が手に入らなかったらしい。呪医の仮説にじっと耳を傾け、首を横に振った。
「なんだかよくわかんねぇが、さっさと戦争が終わってくれりゃなぁ……あ、助かったのは俺ら三隻だけじゃねぇんです」
「えっ? 他の船の方々はどうされました?」
「あの時、北のマスリーナ港へ行ったのも居るし、一緒にここへ逃げて来て、それから岸に沿ってグロムまで南下したり、王都まで行ったのも居るんですよ」
「そうなんですか」
漁師だけでなく、老婆も頷く。
「まぁなんせ、船を舫える場所にゃ、限りがありますもんで……」
「どこかに親戚でも居れば、その港へ行くだろうし、ねぇ?」
漁師が、呪医たちの背後に向かって大きく手を振った。十数人の男女が小走りにやってくる。
「呪医……ご無事だったんですね!」
息と笑顔を弾ませた一団に囲まれ、ゼルノー市立中央市民病院の外科医セプテントリオーは笑顔を返した。
見知った顔は数人だが、ゼルノー市の生き残りだと聞かされたからか、女性たちはサロートカの手を握り、肩を抱いて見ず知らずの少女の無事を喜ぶ。
「あ、ありがとうございます。みなさんも、ご無事でよかったです」
サロートカは見知らぬ人々にもみくちゃにされ、困惑しながらもなんとか話を合わせる。
人々は、呪医たちが王都へ行くと知って残念がった。
「いつ発たれるんで?」
「ウチは別にいつまででも居てもらって構わないんだけどねぇ」
部屋を提供してくれた老婆が言うが、呪医セプテントリオーは、首を横に振った。
「ありがとうございます。ですが、ここの病院とは一週間の約束をしましたので……」
「あと三日なのかい」
「もっと早くに言ってくれりゃあなぁ」
「俺らが獲った魚をもっとごちそうできたのに」
ゼルノー市民が口々に残念がった。
「王都へ、難民支援に来て欲しいと頼まれたのですよ」
「そうなんですか……じゃあ、お気を付けて」
「人助けならしょうがねぇなぁ」
「呪医、ついでと言っちゃなんだが、あっちに行った僚船の連中に手紙を届けて欲しいんでさぁ」
一人が頼むと、ゼルノー市民の生き残りが我も我もと申し出る。快く引き受け、傾きかけた日を受ける港を後にした。
☆老いた漁師とその娘の薬師アウェッラーナ……「002.老父を見舞う」「003.夕焼けの湖畔」、「008.いつもの病室」参照
☆ゼルノー市には戻れない……「526.この程度の絆」~「530.隔てる高い壁」参照
☆陸はやっぱ、大変なコトになってたんだな……「019.壁越しの対話」「020.警察の制圧戦」、「045.美味しい焼魚」参照




