631.刺さった小骨
ノージ市に入って四日が過ぎた。
半世紀の内乱から再建された街には小さな宿しかなく、腥風樹の件で避難してきた人々で満室。呪医セプテントリオーとサロートカは、住民の厚意で民家に泊めてもらえた。
「センセイ、お疲れさまでした」
「どうも。サロートカさんも、お疲れ様です」
繕い物から顔を上げて微笑む針子に呪医セプテントリオーは微笑を返した。
ここの家人はいいと言ってくれたが、それでは申し訳ないから、と繕い物を引き受け、せっせと針を動かしている。
呪医は午前中だけ民間病院の手伝いに行き、昼食後はこの家の老婆の案内でノージ市内を見物して回るのが日課になっていた。
「今日はちょっと遠出して、港の方まで行ってみようかね」
「大丈夫ですか?」
「帰りに昨日の公園まで【跳躍】すりゃ、晩ごはんには間に合うさね」
老婆は、杖をついている割に足が速い。
二人は慌ててついて行った。
老婆の家は中央広場から程近い細い通りにある。
一旦、広場まで出て、再建記念に植えられた秦皮に頭を垂れた。植樹から二十年余りを経て、もう若木とは言えないが、街の中央にぽつんと立つ樹木は、まだ少し頼りなく見える。
呪医セプテントリオーが顔を上げ、隣を見ると、サロートカは手を合わせて祈るフリをして、植樹の碑文を読んでいた。
「ご覧よ、この辺みんな灰になったけど、今じゃすっかりキレイになって。……別の街みたいになったけどさ、前よりよくなったこともあるからね」
老婆が歩きながら説明する。
広場から放射状に伸びる大通りとそれを繋ぐ細い道は、山から見れば蜘蛛の巣のようだと言う。二人が見た時は朝靄に包まれて見えなかったが、歩いた感じで確かにそうなのだろう、と想像がついた。
通りの敷石には【魔除け】などの他に力ある言葉の断片が刻まれ、街全体が巨大な魔法陣を成して、住む者を守っていた。
大通りの両脇では、ウバメガシが青い実をたくさんつけている。
呪医セプテントリオーは、ふと、軍医時代に何度も行き来した王都ラクリマリスの街並を思い出した。あちらは石畳の道ではなく水路だが、街全体の造りはこんな形だ。
「お嬢ちゃんは力なき民だけど、この国のみんなは力ある民だからね。お嬢ちゃん一人くらい守ってあげられるから、遠慮しないでいつまででも、いてくれていいのよ」
「ありがとうございます」
サロートカは、ややぎこちない笑顔で礼を言い、通りの店に目を向けた。
伝統的な石造りの家屋や、外壁をタイルで覆った低層ビルが並ぶ。石材にも敷石同様、呪文が刻まれ、タイルの柄は呪文だ。【魔除け】、【耐火】、【耐震】、【頑強】など、滞在する者の魔力で各種防護の術が働く。
老婆の一家が、呪医セプテントリオーとサロートカを泊めてくれたのも、この為だ。
ラクリマリス王国に血縁者が居れば、力なき民も国籍を取得できる。魔法文明中心とは言え、力なき民も皆無ではなかった。
「あら、こんにちは」
老婆が友人らしき老婆に声を掛けられ、立ち話を始めた。
「へぇ。ゼルノー市の生き残りなの。命があってよかったねぇ」
「ホント、そうさね。グロム市へ親戚を頼って行くそうなんだけど、随分くたびれてるからね、ウチでしばらく休んでもらうことにしたのよ」
「あらあら。早く会えるといいねぇ。どこ行くんだい?」
「港の見物に行くんだよ。知り合いでも居ないかと思ってね」
「あぁ、そう言われてみれば、漁師さんたちが避難してきてたねぇ」
二人は天気の話から魚の値段ときて、二人に話題が飛んで、本人たちそっちのけでお喋りに興じる。
呪医セプテントリオーは、通りの少し先に鮮魚店をみつけた。看板は見えるが、店先は客の入りが多く、人々の背中しか見えない。
サロートカが自分の首をそっと撫で、小さく溜め息を吐いた。
初日の夕飯は焼魚だった。
急にサロートカの顔色が悪くなったので声を掛けたら、喉が痛いと言う。
「小骨でも刺さったんでしょ。見せてごらんよ」
長男の嫁が口を開けさせ、確かにそれらしい物が見えると言う。
嫁がコップの水を【操水】で起ち上げ、サロートカの喉に流し込んだ。浅く刺さっただけなら、それで取れる場合もある。
「あら、取れないね。小さいのに」
老夫婦と長男夫婦、サロートカと同年代の娘、呪医の六人に心配され、サロートカの目に涙が滲む。嫁は肩を竦めてピンセットを取りに行った。
呪医セプテントリオーが、ピンセットを借りてつまみ取ったのは、人差し指の半分程もある長い骨だった。
「あらあら、こんなおっきかったの」
「そりゃ、水じゃムリだ」
「よっぽどハラが減ってたんだな」
「すぐ取れてよかったね」
「もうしばらく、開けていて下さい。ちょっと深い刺し傷になっているので、治療します」
サロートカは、呪歌【癒しの風】が終わるまで、みんなの前で口を開けておく羽目になった。
「おいおい、お前、押し込んだんじゃないだろうな?」
「なに言ってんのさ、私ゃそんなヘタクソじゃないよ」
長男夫婦の会話に針子の少女は赤くなったり青くなったり、心底、居たたまれない顔で治療を終えた。
部屋で二人きりになった時、リストヴァー自治区出身の少女は、生まれて初めて魚と言うものを食べた、と湖の民の呪医に打ち明けた。
「いえ、私も先に注意しておくのを忘れていました。自治区以外の街では、湖の恵みとして魚を食べることが多いんですよ」
「あの人たち、陸の民なのに……」
「……食べ慣れていても、うっかり刺さる時は刺さりますから」
しょげかえったサロートカが顔を上げ、部屋を見回す。
老婆は、結婚して別に家を持った次男の部屋だと言っていた。
小さな本棚とベッドの他は全て、新居に持って行ったらしい。がらんとした生活感のない部屋のベッドは、一台きりだ。
他はソファも何もない。本棚の傍に二人の荷物があるだけだ。
「えっと……私、床で寝ます。センセイは……」
「何を言うんです。腰を傷めますよ」
「いいんです、大丈夫です。私、慣れてますから、ホントに……!」
両手を胸の前で振って顔を赤らめる針子の少女に、呪医セプテントリオーは思わず苦笑を漏らした。
「私を異性扱いしてくれるのですか」
「えっ? だって、センセイ、男の人ですよね?」
サロートカの手が止まる。
「一応、体格も外見も成人男性で、声変りもしましたし、髭も生えるんですが……」
呪医は山道でのことを思い出し、言葉を切った。
キルクルス教徒のサロートカの目が、疑問を含んで湖の民を見詰め直す。
「自治区の労災事故も、場合によっては市民病院に搬送されていましたが、呪医がどんな存在か、耳にしたことがありませんか?」
「えっ? いえ……あの……魔法使いはみんな“悪しき業”を使う悪者としか……」
申し訳なさそうに答える声が小さくなり、語尾が消えた。
☆山道でのこと……「584.丸洗いの魔法」参照




