629.自治区の号外
「こんな時にクーデター起こすなんざ、湖の民の連中は、何考えてやがんだ?」
号外配布の手配を終え、新聞屋の店主が忌々しげに紙面を睨む。
リストヴァー自治区の東地区教会だ。質素な応接室で、司祭と新聞屋の店主、仕立屋の店長クフシーンカが、テーブルに広げた二枚の号外に顔を曇らせていた。
……次から次へと、ホントにもう。
流石に、これにはクフシーンカもお手上げだった。
国営放送の本局が占領され、ネミュス解放軍を名乗る武装集団の声明が発表されたが、自治区では数日置いてやっと号外が発行された。
星光新聞の経営陣が、何故、情報を遅らせたのか不明だ。
号外には声明が全文、書き起こされている。
もう一枚の号外には、アーテルにゲリラ攻撃を仕掛けているネモラリス憂撃隊と言う武装勢力の声明が載っていた。
「ウヌク・エルハイア将軍は、私も少し存じておりますよ」
「店長さん、その将軍、どんな奴なんですかい?」
「半世紀の内乱中、空襲から街の人たちを分け隔てなく守って下さった方です」
半世紀の内乱中、年端も行かぬ子供だった新聞屋は、目を見開いて仕立屋の老女を見た。その隣で彼より少し年嵩の司祭が小さく頷く。
当時大人だったクフシーンカは、簡潔に説明した。
「空襲は無差別攻撃だから、防禦も無差別だと言って、今のアーテルから来るキルクルス教徒の爆撃機から、都市の住民を守っていました」
「ホントですかい?」
「えぇ、でも、ランテルナ島とネーニア島、フナリス群島の西島は、距離が近過ぎて守り切れませんでしたし、地上戦では弟の部隊も手酷くやられておりましたけれど……」
「ラクエウス先生も、戦われたんですか?」
これには司祭が驚いた。
「あの子は家族を殺されて頭に血が昇っていましたから。それで、信仰で分かれて暮らせば争いにならないだろうって、国を分かつ意見を推し進めたんです」
「そうだったのですか……」
クフシーンカは号外に視線を向け、肩を落とした。
「それが、こんなことになって……あの子は、被害情報の調査団としてここへ戻った時、国を分けたのは間違いだった、と後悔していました」
二人は、その言葉を噛みしめているのか、何も言わない。クフシーンカの溜め息が震えた。
声明を額面通りに受け取っていいなら、ネミュス解放軍が目指すところは、湖の民のラキュス・ネーニア家と、陸の民のラクリマリス家が共同統治する神政への復古と、その当時と同じ各宗派の共存だ。
キルクルス教徒がかつてと同様、魔術と折り合いをつけられるならよし、強硬に邪悪として排除するならば、向こうもそれなりの対応をするだろう。
……聖典の深い部分を知る私たちは、魔術の全てが“悪しき業”だとは思わないし、昔は大勢の人がそう思っていたから、仲良く近所づきあいができたのに。どうして、いつの間にこんなことになってしまったのかしら?
仕立屋の店長クフシーンカは、信仰心と技術力が認められた「星道の職人」だ。
聖典の五分の四を占める技術書部分「星道記」の内、祭の踊りと服飾に関する部分を開示され、祭衣裳などを手掛けてきた。
後を継がせるつもりだった針子のアミエーラは、力ある民だとわかり、自治区に留まっていては命の危険がある為、逃がした。
品行のよくなかったアシーナは更生することなく、反発して出奔、サロートカは聖典の秘密を知ると、本当に魔術が“悪しき業”なのかどうか、魔法使いが悪しき者ばかりなのかそうでないのか、自分の眼で確める為の旅に出た。
「どうして、教団は聖典の後半を秘密にしたのでしょうね?」
思わず疑問がこぼれた。
司祭が胸の前で小さく楕円を描いて祈る。
それに、昔はキルクルス教の聖句の一部が、共通語や湖南語に翻訳された魔法の呪文だと教えてくれる者が身近に居た。
「店長さん、聖典の後半って何のハナシだ?」
新聞屋の問いにクフシーンカと司祭が顔を見合わせる。
一呼吸置いて、司祭が微かに頷いて答えた。
「一般の信者向けには、聖句のところまでの聖典が配られていますが、聖職者や星道の職人には、その続きの技術書が開示されているのですよ」
「私は仕立屋だから、祭衣裳や何かの作り方が書かれた部分だけ。大工さんなら教会の建て方だけっていう風に、職種によっていただける聖典が違うのよ」
「へぇー、そんなコトになってたんですかい。ま、俺らがそんなの見たってしょうがねぇし、紙と印刷代が勿体ねぇからだと思いますがね?」
新聞屋らしい答えに二人はハッとした。
古い時代には、本当にそうだったのだろう。
今と違って紙とインクが大量生産できず、印刷技術もなく、手で書き写していたのだ。写本僧が生涯に完成させられる写本の数は知れている。現在のような大量印刷の技術と生産体制が確立してから、まだ歴史が浅い。
開示が特に信仰心の篤い職人に限られたのは、聖典自体が稀少だったことも理由のひとつなのだろう。
どの時点からか、一部の魔術を肯定する記述そのものが秘密になった。
……アルトン・ガザ大陸の南部が「発見」された植民地時代以降だと思うのは、邪推かしらね?
新聞屋が、何か余計なことを口走ったのかと言いたげに、二人の間で目を泳がせる。
「あぁ、いえ、きっとそうなんでしょうね。昔は今みたいに一度にたくさん印刷できなかったから」
「昔は、聖典の数が少なかったから、聖句を布や羊皮紙に書いて配ることもあたそうですよ」
「へぇー。今は火事で丸焼けんなっても、大聖堂がちゃんと印刷した奴をすぐに届けてくれたし、いい時代になったモンですねぇ」
新聞屋が、老女と司祭の話に感心する。
「この間、新聞に載っていた……えー、いんたー……なんとかは、どうなのかしらね? 印刷しなくても新聞が読めたり、映画館に行かなくても映像を見られるとかなんとか、書いてあった覚えがあるけれど」
クフシーンカ自身は勿論、司祭と新聞屋もインターネットに直接、触れたことがなく、仕立屋の老女と一緒に首を捻るばかりだ。
「印刷しなくていいんなら、その、なんとかって奴があるとこじゃ、新聞屋は商売あがったりじゃないんですかい?」
「どうなんでしょうね?」
……そう言えば、区長たちは機械を持っていたわね。
もし、彼らが教団に更なる支援を要請し、自治区にも機械と設備が普及すれば、どうなるのか。
クフシーンカは新聞屋を慮って口には出さず、紅茶を飲みながら考える。
「尤もらしいコト言ってるけど、こいつらどっちもロクでもねぇ連中だな」
新聞屋が号外に話を戻し、クフシーンカは、考えを中断した。
「今は、戦場が首都とアーテル本土みてぇだけどよ、その内、こっちに来るんじゃねぇかって気が気じゃねぇや」
「私は……昔に戻るのは構わないわ。内戦前はそれでみんな仲良くできていたのだから」
司祭が力なく首を横に振った。
「星の標の団員が、それを許さないでしょう」
星の標は、魔法使いを“悪しき者”と断罪し、魔法の治療を受けた力なき民まで“穢れた者”として殺害する。
魔法使いを排除する為なら、自爆テロをも厭わず、窘めた聖職者に異端者のレッテルを貼って排除する狂信者の集団だ。
本人たちは原理主義者を標榜しているが、聖典には魔法使いを皆殺しにせよなどとは一行も記されていない。
大聖堂を擁するバンクシア共和国からも国際テロ組織に指定されていた。
「ちょっと、区長さんの所へ相談に行って参ります」
「お送りしましょう」
クフシーンカが杖に縋って立ち上がると、新聞屋も腰を上げた。
「何を相談なさるのです?」
司祭が応接室の戸を塞ぐように立った。
区長は星の標リストヴァー支部の最高幹部だ。
「大丈夫ですよ。もし、ネミュス解放軍が自治区へ攻めてきたらどうするのか、アーテルやラニスタへの移住を希望する人を送り届ける手段があるかどうか、お尋ねするだけですから」
「日月星、蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る……どうか、ご安全に」
司祭は聖印を切って道をあけた。
☆ネミュス解放軍を名乗る武装集団の声明……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆ネモラリス憂撃隊と言う武装勢力の声明……「618.捕獲任務失敗」参照
☆被害情報の調査団としてここに戻った時……「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆魔法の呪文だと教えてくれる者が身近に居た……「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照
☆植民地時代……「370.時代の空気が」参照




