626.保険を掛ける
三十分程で、ジュバーメン議員との約束の時間と言うところで、クラピーフニク議員が口を開いた。
「ネミュス解放軍の声明は、もう聞かれましたか?」
「あぁ。自治区の穏健派は星の標が居る限り、内乱前の共存社会に戻ろうなどとは言い出せぬよ」
「自治区の外に居る信者の人たちは、どう動くと思いますか?」
与党の若手議員の質問に、無所属のラクエウス議員は首を横に振った。
「悪い想像しかできんよ」
もし、ラクエウス議員の知らない隠れ信徒が、政府や軍、経済界の中枢に潜り込んでいればどうなるか。
クラピーフニク議員は党籍こそ剥奪されていないが、魔哮砲の使用に反対し、政治家生命は終わったも同然だ。
議員宿舎襲撃事件後は「行方不明」扱いで、ネモラリス共和国へ戻れば、まず間違いなく消される。今なら、ネミュス解放軍に罪を被せやすい。
政府軍には国外へ逃れた魔哮砲反対議員や、隠れキルクルス教徒の動向を直接には探る手立てがないが、ネミュス解放軍の蜂起を利用することくらい容易に思い付くだろう。
……アーテルの空襲の手が緩んだ今、隠れ信徒共は、政府軍と解放軍の戦闘を煽る算段をしておるやも知れぬな。
平和を目指す有志グループが、ラキュス湖南地方各地で経済攻撃を仕掛け、アーテル共和国は巨額の戦費を賄えなくなりつつある。虎の子の無人機も、湖の民のシェラタン当主らの働きで多くが失われた。
フラクシヌス教徒同士で争わせれば、アーテルの負担を減らして戦果を上げられる。しかも、現在の主戦場は首都クレーヴェルだ。彼らが一枚噛んでいないハズがなかった。
「クラピーフニク君、キミはここに残れ。大使館には、儂とジュバーメン議員で行く」
「えっ? 大丈夫ですか?」
「あぁ、儂はインターネット上に無事な姿を晒しておる。アミトスチグマ人のジュバーメン議員も一緒だ。よもや大使館内で無法な扱いは受けまいよ」
「だったら僕も一緒に……!」
「キミはまだ当分、死んだフリで情報収集を続けてくれ給え」
クラピーフニク議員は渋々黙ったが、その目は納得できないと語っていた。
ラクエウス議員はふと思いつき、この家の小間使いを呼んで、お茶のお代わりと今日の朝刊を持って来させた。
ネモラリス共和国のクーデターは、湖南経済新聞の一面トップで大きく扱われている。中面のページも、国際欄はほぼその情報で埋まっていた。
「君のそれは、ラゾールニク君と同じ物だな?」
「多分……どうするんですか?」
「儂が今から言うことを動画に収めて欲しいのだ。日付がわかるよう、新聞を持って喋る」
「えっ? これで動画が撮れるんですか?」若手のクラピーフニク議員は、片手に収まった手帳大の端末機に視線を向け、頭を掻いた。「……参ったな、使い方、知らないんですよ」
「ふむ。では、ラゾールニク君を呼び戻すかね?」
「いえ、彼は今、手が離せないと思うんで……他に心得がありそうな人たちに呼び掛けてみます」
タブレット端末を机上に置き、何やら忙しなくつつき回すことしばし。クラピーフニク議員は紅茶のお代わりを啜って大きく息を吐いた。
ラクエウス議員も、淹れ直してもらった紅茶を口にして待つ。
突然、端末機が手も触れぬのにガタガタ震えた。
ラクエウス議員は思わずカップを取り落としそうになったが、クラピーフニク議員は端末をつついて大人しくさせ、更に何やら撫でたりつついたりを繰り返す。
老議員には何が行われているかわからず、黙って見守るしかなかった。
「フィアールカ神官が来て下さるそうです」
「神官……? フラクシヌス教の聖職者で、どうにかなることなのかね?」
「えーっと、動画の録り方を知っていそうな人に一斉送信で連絡したんです。フィアールカ神官が最初にお返事を下さったので、他の方々には、また一斉送信でお礼と断りを入れました」
「ふむ。何やらよくわからんが、便利なものなのだな」
五分と経たぬ内に部屋を訪れたのは、湖の民の女性だった。歳の頃は二十代後半辺りに見えるが、長命人種ならばその限りではない。
クラピーフニク議員がワケを話すと、フィアールカ神官は苦笑した。
「神官はよしてって言ってるでしょ。ひとつの花の御紋を返上して、今はただの運び屋なんだから」
動画の撮影方法をテキパキ指南し、試し撮りさせて映像を確認する。横で聞いているだけのラクエウス議員も、何やらわかったような気がした。
「私も録って、データは“真実を探す旅人”とラゾールニクさんにも預けるわね。おじいちゃんの身に何かあれば、公開するつもりなんでしょ?」
「あぁ、……そのつもりですとも。よくお分かりですな?」
「顔に書いてあるもの」
「ふむ……そうかね。まぁ、保険と言うヤツだな。クラピーフニク君、例の名簿もついでに預けてくれ給え」
ラクエウス議員は壁際に立ち、二人に新聞の一面を向けた。タブレット端末の操作が終わるのを待って口を開く。
記録の内容は、つい先程、クラピーフニク議員に明かしたことだ。
信仰を偽り自治区外で暮らすキルクルス教徒の存在、その人物リストがこちらの手にあること、星の道義勇軍のテロを支援した者とその役割分担、リストヴァー自治区の大火の真相、自治区内の星の標の内情だ。
彼らが居る限り、自治区の穏健派は融和政策に賛成を表明できず、このままでは遠からず滅ぼされる惧れがある、と静かな口調で訴えかける。
二人は息を殺してその発言を端末に収めた。
☆議員宿舎襲撃事件……「277.深夜の脱出行」参照




