621.補足する質問
「身分証は、明日、朝食後にお渡しします」
職員が帰還難民センターの食堂に入ってきて、声を張り上げた。別の職員が、薄闇の中で新聞に目を凝らす人々の席に【灯】を点した紙コップを置く。
「通帳の再発行以外の手続きがお済みでない方は、今夜は二十一時まで対応致しますので、窓口へお越し下さい」
疲れ切った顔は表情を失い、血色が悪い。
レノは視線に労いを籠めて頷いた。
センターでは元々、身分証の再発行などの業務は、土日祝日に関係なく行っている。
……クーデターのせいで、家族が心配なのに残業って、役所の人も大変だよなぁ。
「すみません、この辺の地図って見せてもらえませんか?」
「地図? お急ぎですか?」
ロークに呼び止められ、職員の一人が立ち止まった。
「急ぐって言うか、ラジオで避難所情報と戦闘区域の発表があって、場所、確かめたいんです」
「本当ですか?」
もう一人の職員も振り返り、驚いた目でラジを見た。今は古典音楽の穏やかな調べが流れている。
ロークが、国営放送のネミュス解放軍発表とFMクレーヴェルの政府軍発表について掻い摘んで説明すると、職員は礼を言って慌ただしく出て行った。
「役所の人、ラジオを聴くヒマもないくらい忙しいんだな」
「そうだよな。それに、その情報がホントに正しいかどうか、わかんないし」
レノが言うと、クルィーロがラジオに厳しい視線を向けた。
「疑いだしたらキリないんだけどさ、FMクレーヴェルもネミュス解放軍が乗っ取って、政府軍のフリして情報流してるかも知れないんだよな」
「えっ?」
レノだけでなく、アウェッラーナ以外のみんなも、クルィーロの仮定に声を上げた。
「お兄ちゃん、どうしてそう思うの?」
「ん? ホントのコトでも、嘘情報でも、いきなり出てきたネミュス解放軍が言うより、政府軍の発表ってコトにしといた方が、みんな信じるだろ?」
「どこの局も同じ声明を流してて、FMクレーヴェルだけが他の内容ですからね。首都のみんながFMを聴くでしょうし……」
クルィーロと薬師アウェッラーナに言われるまで、レノはそんな可能性があるとは全く思い至らなかった。
……それも、ホントかどうかわかんないんだけど、あり得そうだもんなぁ。
魔法使いの二人が指摘した通り、情報の発信元は放送で名乗った通りの情報源とは限らない。
仮に放送局へ確認しに行ったところで、そこに居るのは、政府軍の軍服を盗んだネミュス解放軍かもしれないし、旧王国時代の【鎧】を着てネミュス解放軍のフリをした政府軍の兵士かもしれない。
知り合いに軍人が居ないのだから、見分けなんて付くハズがなかった。
「ホントに……誰が出してるどの情報を信じればいいんだろうな?」
途方に暮れるレノにティスがしがみつき、ピナが唇を噛む。妹たちを安心させてやりたいが、上手い言葉がみつからない。
……やるコトがあれば、気が紛れていんだけどな。
「俺、取敢えず明日もう一回、窓口に行ってみるよ」
「何しに? 他の手続きは、お母さんに会ってからじゃないとできないんでしょ?」
ピナの声が尖る。
妹たちには、父が亡くなったことを黙っていた。「今はできない手続き」の中身も言っていない。
レノは下腹に力を入れ、声が震えないようにゆっくり言った。
「あの水の道具で、もう一回、質問させてもらうんだ」
「何て?」
ピナとティスが同時に聞き、クルィーロたちも固唾を飲んでレノに注目する。レノは何でもないことのように言った。
「えっと……『母さんは今、首都に居ますか』って聞くんだ。あれで、居るか居ないかだけわかるから、首都を出るか留まるかくらいは決められるだろ?」
「居なかったら、どこへ探しに行くの?」
「ネモラリス島に居るかどうか聞いて、居たら、島の西側の街を順番に回って、居ないなら、何とかしてネーニア島かフナリス群島へ行けたらなぁって思ってるよ」
全ての街の名を挙げてゆけば、いずれは居場所がわかるのだろうが、それでは職員の魔力が尽きて倒れてしまうかもしれない。
それ以前に、一家族の為にそこまで時間を割いてはくれないだろう。
最悪、最初の質問自体、受け付けてもらえないかもしれないのだ。
穴だらけの計画だが、行動の予定がわかったからか、妹たちは納得した顔で何度も頷いた。その頬に赤みが差す。
「そうなんだ……もし、おばさんが他所に居るってわかったら、お別れになるかもしれないんだな」
クルィーロが呟いた途端、アマナの目に涙が溜まった。魔法のマントの端をぎゅっと握りしめ、歯を食いしばる。
「でも、みんな一緒に避難できるかもしれませんよ」
「そうそう。レノさんたちのご家族が再会してから、ネーニア島でみなさんが合流……えっと、船が出てれば、できるんですし……」
ロークと薬師アウェッラーナが、取り成すように言った。
「そうだよな。調理師さんたち、レーチカ市から来てて、あっちは平和だって言ってたから、船もその内、再開するし……」
クルィーロがアマナの頭を撫でながら言うが、小学生の妹は兄の腕にしがみついて声を殺して泣きだした。
「あ……! あの、アウェッラーナさん、あの道具って、水に手を入れて言った“今のこと”が嘘かホントか調べるんですよね?」
「えぇ。そうですけど……」
ピナが何か思い付いて勢い込んで聞いた。薬師アウェッラーナが頷くと、レノの肩を叩いた。
「お兄ちゃん! 明日、役所の人に頼んで“FMクレーヴェルは政府軍の公式発表だ”って言うのと“国営放送はネミュス解放軍の発表だ”って確認してちょうだい」
「あッ……!」
「それだッ!」
中学生のピナの思い付きに、食堂に居合わせた人々が注目した。
ピナは早口に確認すべきことを挙げる。
「それで“政府軍が発表した避難所は安全だ”と“ネミュス解放軍には一般市民を傷付ける意思はない”と“ネミュス解放軍が発表した戦闘区域は正しい”えっとそれから……」
「待って、待ってくれ、ピナ。覚えきれない。ちょっと書くから待って」
ロークに紙とペンを借りて書き留める。
近くの席から人が集まり、口々にアドバイスする。
「そんなの、明日と言わず、今すぐ聞きに行けよ」
「役所の連中もとっくに試してるかも知れんがな」
「いやいや、ラジオで発表があったこと自体、知らなかったんだから、まだだろうよ」
「質問、“ネモラリス島と他の島を繋ぐ船は今も運行している”も足してくれよ」
「お兄さん、それと“首都クレーヴェルと外部を繋ぐ門は全て解放されている”と“門は全て安全に通過できる”も追加してちょうだいな」
「それは、夜より朝の方がいいだろうな」
「暗いと魔物や雑妖が居るからな」
「なんなら俺が聞いてやろうか?」
食堂に居合わせた帰還難民たちに小さな希望が点った。
☆あの水の道具……「596.安否を確める」参照




