618.捕獲任務失敗
「そんな……ッ!」
魔装兵ルベルが手にした【従魔の檻】は、確かに効力を発揮した。
茶色い小瓶の口から魔力が投網のように広がり、魔哮砲を絡め取る。だが、そこまでだ。大型トレーラー並の闇の塊はびくともせず、魔力の網は千切れて消えた。
「育ち過ぎて【従魔の檻】の容量を越えたのだろう。【流星陣】を張り直すぞ」
魔装兵ルベルは、アシューグ先輩の冷静な声で我に返り、銀糸の糸巻を受け取った。端は既に木の幹に括りつけてある。
魔法の【鎧】のポケットから糸巻をもうひとつ取り出し、アシューグ先輩は、ルベルとは反対回りで闇色の巨体を囲んだ。同じ呪文を二度唱え、今度はウェストポーチから小粒のサファイアを取り出す。
「制御符号でどの程度の時間、抑えられるかわからぬ。糸が尽きるまで多重に巡らせる」
魔装兵ルベルに銀糸を渡し、アシューグ先輩はサファイアの魔力を引き出した。銀の糸を木々の根元に巡らせ、制御符号の呪歌に縛られ身じろぎひとつしなくなった魔哮砲を囲む。
……大容量の【従魔の檻】を作るのに何日掛かるんだ?
完成前に腥風樹を狩るラクリマリス軍の部隊にみつかれば、どうなるのか。
暗い予想に鈍る足を叱咤し、ルベルは高さを変えて幾重にも銀糸を張り巡らせ、軍の制御を離れた魔法生物を囲んだ。魔哮砲が、蓄えた魔力を放出した後なら、この囲みを自力で突破するのは不可能だろう。
アシューグ先輩は、ウェストポーチから羊皮紙とペンを取り出し、【跳躍】の目印を作って石の下に置いた。
二人がネモラリス軍の司令本部へ帰還すると、待ちかねたように密議の間へ通された。
アシューグ先輩が簡潔に任務の失敗を報告する。
魔装兵ルベルは気が気でなかったが、アル・ジャディ将軍は却って二人を労ってくれた。
「そうか……ラクリマリス軍の攻撃さえなければ、上手く行ったのだがな……。善後策を講じてくれて助かる。礼を言うぞ」
クーデターの対応で、密議の間に集まった軍幹部は将軍を含めて三人だけだった。水軍参謀に大容量の【従魔の檻】の調達と魔哮砲の監視体制を指示し、二人に向き直る。
「新品……成長に余裕を持たせるなら、【従魔の檻】の素材の調達に時間が掛かる。作成自体も……」
「半年余りお見積り下さい」
「急いでもか?」
水軍参謀に顔だけ向け、アル・ジャディ将軍が問う。急かすでも詰るでもない声音に、水軍参謀は何故か身を縮めて答えた。
「は。何分、並の土器とは勝手が違います故……」
「ラクリマリス軍はどうとでもなる。ネミュス解放軍に気取られぬよう、くれぐれも監視を怠るな」
アシューグ先輩は陸軍のネーニア方面隊への合流、魔装兵ルベルは水軍の旗艦での哨戒任務を言い渡された。
「アシューグ、装備はそのままでいい。現地の指揮官……陸軍将補には話を通してある」
魔哮砲捕獲作戦の成否に関わらず、次の任務は決まっていたらしい。
アシューグ先輩は敬礼し、足早に密議の間を出て行った。
「ルベルも【鎧】はそのままでいい。予備の軍服は旗艦に用意してある。クレーヴェル港で待機中だ」
「ネミュス解放軍とやらの襲撃などは……」
「奴らの数はまだ少ない。国会議事堂と議員宿舎、報道機関を占拠し、大部分が動かぬ。市街地を動き回って散発的に攻撃を仕掛ける者も居るが、その【鎧】ならば防げよう」
「遭遇した場合、如何致しましょう?」
アル・ジャディ将軍の口許が微かに緩んだ。
魔装兵ルベルは気付かぬフリで命令を待つ。
「ネミュス解放軍は、無抵抗の一般市民は殺さぬのだそうだ」
……じゃあ、私服に着替えて徽章を隠して行った方がいいんじゃないか?
「お前の魔力と身のこなし、素人には見えまい。下手に隠しだてするより、魔獣駆除業者のフリでもしてやり過ごした方が、面倒にならんだろう」
アル・ジャディ将軍に見透かされ、ルベルは恐縮した。
水軍参謀がルベルの襟から【花の耳】の花弁を回収し、花の本体を渡す。これの花弁は旗艦と北ザカート市沖の防空艦の艦長と、これから迎撃任務に就く魔装兵の手にあると言う。
「魔哮砲が不在でも、やることは変わらぬ。ゲリラ共がアクイロー基地を潰してくれたお蔭で、多少やりやすくなった程度だ」
「えっ?」
「何だ、ラジオを聴いていなかったのか?」
「は。いつの放送でしょう?」
「先週、ネモラリス憂撃隊を名乗る者が、我が国の国営放送とアーテル、ラクリマリス、アミトスチグマの報道機関に犯行声明を送りつけたのだそうだ」
アル・ジャディ将軍は口許だけ面白そうに歪めたが、水軍参謀と陸軍参謀補佐官は苦虫を噛み潰した。
我々は「ネモラリス憂撃隊」である。
ネモラリス人有志の義勇兵の組織だ。
これ以上、無辜の民が失われぬよう、キルクルス教徒の無差別攻撃を止めさせる為に集まった。
アクイロー基地は、我々ネモラリス憂撃隊の義勇兵と、我らが呪符で召喚した魔獣の攻撃で壊滅させた。
アーテル共和国軍が、中立のラクリマリス王国の国土を腥風樹で穢し、戦争とは無関係な人や動植物の生命、住まいを奪った行いは、度し難い暴挙である。
国際法に照らしても、民間人の無差別虐殺、中立国の領土侵犯及び汚染は、決して許される行為ではない。
仮にネモラリス軍が魔法生物を使役していたとしても、湖上でアーテル軍の爆撃機の迎撃のみを行い、無差別攻撃からネモラリスの国土と非戦闘員を守った魔哮砲と、ネモラリスの諸都市への無差別爆撃で非戦闘員を大量虐殺し、多数の難民を生ぜしめたアーテル軍の無人機では、どちらが非人道的な兵器であるか、罪ある行いであるのか。
理性と叡智を備えた人間であるとの自負があるならば、一度、深く考えて欲しい。
アル・ジャディ将軍が、机上の資料を手に読み上げた犯行声明は、魔装兵ルベルの胸を打った。
……そうだよな。悪いのは道具そのものじゃなくて、それを使う人間……使い方なのに。
以前、無人機は飛行機のゴーレムのようなものだと聞いた。その無差別爆撃から人を守るのが、魔法生物ではいけないと言われても、納得できない。
……昔の条約に従って、繁殖力は持たせてないのに。
何がいけないのか、と言う気さえしてきた。
「ネミュス解放軍への対応は、陸軍に任せておけ」
「は」
「ラクリマリスの湖上封鎖以来、ラニスタの爆撃機が直接、こちらへ来ることはなくなったが、アーテル軍への弾薬の提供は継続している」
「はッ! 一機も漏らさず、警戒致します」
魔装兵ルベルは、駆け足で基地の門を出た。
首都クレーヴェルを見下ろす小高い丘へ【跳躍】する。
昼をかなり過ぎたが、夕方にはまだ早い。
門の辺りを【遠望】の術で確認する。遮蔽物なく見渡せる範囲の首都への出入口は開放されているが、国道を走る車は出て行くばかりで、クレーヴェルに入るものは一台もなかった。
政府軍とネミュス解放軍の戦闘から逃れる車列は、三つの門から吐き出されている。
死角になる門で何があったのか。
術を【索敵】に切替え、防壁を透す。
治安部隊と旧王国時代の【鎧】を纏う者たちが戦っていた。
湖の民と陸の民の混成で、緑髪の者がやや多い。物陰から【光の槍】や【光の矢】を放つのが【索敵】の眼ではっきり捉えられた。
……あれが、ネミュス解放軍? 市街地であんな術ぶっ放すなんて……!
先程、将軍が浮かべた皮肉な笑みの理由がわかり、背筋が凍った。
ネミュス解放軍の得物は銃などの近代兵器ではなく、旧王国時代の制式武器――ルベルも今回の任務で使い、今も佩く【魔力の水晶】を嵌め込んだ剣だ。
……あれっ? 今の装備、ひょっとして仲間だと思われたりしないか?
治安部隊と解放軍、どちらにみつかっても面倒なことになりそうだ。
ルベルは、車列が伸びる門の周辺を【索敵】の眼で、建物の内部まで具に調べた。
先日の賑いが幻だったように人通りがなく、店は大部分が閉まっている。人々は建物を締め切った上、家具で窓を塞いだ中で息を殺し、ラジオに耳を傾けていた。
武装勢力の姿がないことを確認し、【跳躍】する。
防壁のすぐ傍に立ち、避難する車列をしばらく見送る。
強張った顔でハンドルを握る者以外、毛布を被って姿勢を低くし、何人乗っているのかもわからなかった。
歩行者用の道を広場まで一気に駆け抜け、今度は港へ跳ぶ。
いつもの帰投場所に旗艦の姿はなかった。
丘から見た時、ついでに確認しておけばよかったと歯噛みする。【索敵】を掛け直して見回すと、港公園の前に停泊していた。
帰還難民の子らが脳裡を過ったが、感傷を振り切り、甲板の定位置を確認する。
ネモラリス水軍の艦艇は全て魔道機船だ。
基地同様、外部からの【跳躍】を防ぐ結界が施されている。甲板の端に僅かな着地点が設けられ、乗組員はそこから乗船と下船を行う。
魔装兵ルベルは、襟に着けた【花の耳】に手を触れて艦長に乗船を告げ、【跳躍】した。
☆ラクリマリス軍の攻撃さえなければ……「509.監視兵の報告」「581.清めの闇の姿」
☆アクイロー基地は、我々ネモラリス憂撃隊の義勇兵と、我らが呪符で召喚した魔獣の攻撃で壊滅させた。……「459.基地襲撃開始」~「467.死地へ赴く者」参照
☆今の装備……「608.四眼狼の始末」「609.膨らむ四眼狼」参照
☆帰還難民の子ら……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照




