617.政府軍の保護
「神殿なら、安全なんじゃないかな?」
ロークが言うと、みんなの目が集まった。
「ラジオでずっと、神政に戻すって言ってたし、ウヌク・エルハイア将軍って湖の民なんですよね?」
最後は湖の民のアウェッラーナに向けて言う。薬師アウェッラーナは頷いたが、厳しい表情で他の帰還難民にも聞こえるように背筋を伸ばして言った。
「神殿まで、どの道が安全かわかりません。それに、そう思って神殿を頼った地元の人でいっぱいかもしれませんよ」
「そ……そっか。食べ物とか毛布とか、足りないかもしれませんよね」
名案だと思ったが、高校生のロークに思い付くことくらい、とっくに大人たちは実行しているだろう。
他のテーブルから声が上がった。
「ドンパチやって危ないとこは、わざわざラジオで言ってくれてんだ。そこさえ避けりゃ、何とかなるんじゃないのか?」
「政府軍を騙す罠だったらどうする?」
それには、誰も答えられない。
泣きじゃくる女の子たちに、煩わしげな目を向ける者が何人も居る。
ロークは居たたまれない思いでラジオを見た。
政府軍の治安部隊とネミュス解放軍の戦闘があり、解放軍側の大部分が逃げた、との情報の後はずっと古典音楽を流している。
……俺は、どうすればいいんだろう?
ネミュス解放軍に参加するなら、身分証はない方がいいかもしれない。
力なき民は要らないと言われそうだが、自治区外でこそこそ動きまわっている隠れキルクルス教徒の情報を教えれば、受け容れてもらえそうな気がした。
……いや、でも、「身内を売る奴なんか信用できない」って殺されるかもな。
それなら、それでもいいような気がした。
どうせ、もうどこにも身の置き場がないのだ。その情報を国を変えられるだけの力を持った人たちに伝えられるなら、それで充分だ。
後の判断で始末されたところで、無力なロークが居なくなっても誰も困らない。
この国の将来には影響ないだろう。
自らにそう言い聞かせるが、さっきから震えが止まらない。
ロークは腕組みしてテーブルに身を乗り出し、震えを誤魔化した。
高校生で、ゲリラの一味として基地を潰しに行って、実際に人も殺してきた。そんなロークでさえ、こんなに怖いのだ。小学生の女の子たちが泣くのは当たり前だろう。
「お嬢ちゃんたち、ちょっとお外で女神様にお祈りしよっか?」
遅番パートの夫婦が席を立ち、おばさんが泣きじゃくるアマナとエランティスに声を掛けた。
他のテーブルからは、相変わらず批難がましい視線が刺さる。
レノ店長とピナティフィダ、工員クルィーロが、ホッとした顔で夫婦に礼を言い、妹たちと連れ立って食堂を出て行った。
ロークと薬師アウェッラーナが、テーブルに残ってラジオの番をする。
そう言えば、乳幼児連れの人たちは、カウンターで食べ物を受け取ると部屋に戻っていた。きっと、泣き声がうるさいと怒鳴られたことがあるのだろう、と思い到り、ロークは気持ちが沈んだ。
苦しい時に弱い方へ、弱い方へとやり場のない怒りや憤りが向かう。
そんなことをしても、問題は全く解決しないにも関わらず、だ。
空襲の直後、運河の畔であったことを思い出し、ロークの胸がざわつく。
子供連れの人たちは、ラジオの情報を知らない。
パートの夫婦が買って来た外国の新聞も読んでいないだろう。
……役所の人が個別に……言うヒマなんてないか。
「あ、あの、アウェッラーナさん、俺、ちょっと部屋に行って来るんで、ちょっとの間、ラジオ見ててもらえますか?」
「いいですよ。ごゆっくり」
……あ、トイレだと思われた? ま、いっか。ついでに行こう。
ロークは部屋に駆け戻り、クルィーロが設定した合言葉を囁き【鍵】を開けた。
「見落とされた者」
鞄からコピー用紙数枚とペンを出し、【魔力の水晶】で【鍵】を掛け直して食堂へ戻る。
窓口の方へ行く廊下は、順番待ちの人たちでいっぱいだ。
ローク自身は、避難中に出産や身内の死亡がなかったので、割と簡単だった。仮設住宅の申し込みも諦め、窓口には身分証の受取り以外の用はない。
他の六人は、空襲などで家族が何人も亡くなり、死亡届と相続の手続きが残っているようだが、今はそれどころではないのか、誰も窓口へ行かなかった。
……じゃあ、あの人たち、何の手続きをそんなに急いでるんだ?
用を足しながらぼんやり考える。
廊下の窓枠に置いた紙とペンを回収して食堂に戻ると、丁度、新しいニュースが入ってきたところだった。
「こちら、FMクレーヴェルです。こちら、FMクレーヴェルです。樫の木通りの本社スタジオから、臨時ニュースをお伝えします」
さっきのDJとは別の声が、ニュース原稿を読み上げる。声の主は名乗らなかったが、本職のニュースキャスターなのだろう。澱みのない声に、食堂に居合わせた帰還難民が息を殺して聴き入る。
「FMクレーヴェルは、政府軍の保護下に入りました。十四時三十二分現在、首都クレーヴェルに開設された避難所は、次の通りです」
小中学校、公民館、神殿などの名称が次々と読み上げられる。ロークは、繰り返し読み上げられた名称を急いでメモした。
次に戦闘区域と道路の封鎖範囲が伝えられる。土地勘のないロークにはどこをどう通ればいいのかさっぱりわからないが、後で役人に地図をもらおうと思い、ひたすらメモを取った。
「次のニュースは十六時頃を予定しています」
キャスターの声が終わり、曲の続きが流れる。
ロークは静かな古典音楽を聞き流しながら、別の紙に清書した。
戦闘区域と避難所の一覧、FMクレーヴェルが政府軍の保護下に入ったこと、そのFMクレーヴェルで発表された情報であること。日付と放送時間を末尾に書き足して完成だ。
「あぁ、ラジオは放送中に傍にいないと、それでおしまいですものね。次からは、私もお手伝いしますよ」
「ありがとうございます。じゃあ、これ……」
薬師アウェッラーナの申し出に素直に礼を言い、コピー用紙の一枚を四つに切って渡す。アウェッラーナはコートのポケットからペンを取り出し、「十六時、FMクレーヴェル発表」と書いて食堂を見回した。
センターの食堂に残った帰還難民たちは、熱心に外国の新聞を読み、窓越しにレノ店長たちが食堂の外で跪いて祈るのが見える。
「窓口に行ってる人たちって、何の手続きしてるんでしょうね?」
「相続の手続きとかだと思いますよ」
ロークは、アウェッラーナさんは行かなくていいんですか、との問いをすんでの所で飲み込んだ。
湖の民の薬師が察して言う。
「ロークさんのご家族は、みなさんご無事なんですね」
「えっ? あ、は、はい……」
何となく申し訳ない気持ちになって、小さく頷く。
薬師アウェッラーナは声を潜めた。
「相続人がみんな揃っていれば、銀行口座の相続と通帳の再発行が同時にできるそうなんです。金融機関ごとに役所の証明書が必要だから、休み明けに間に合うようにお急ぎなんだと思いますよ」
「そう言うことだったんですか」
ここに残っているのは、家族と生き別れになって手続きを始められない人や、身内がみんな生きている人なのだろう。
この先、どこへ避難するにしても、先立つものは必要だ。
窓口に殺到した人々の気持ちを思い、ロークは自分が場違いなような気がした。
ふと思いついて、厨房に声を掛ける。
「あのー、お忙しいとこ、すみません。テープがあれば、少し分けて欲しいんですけど……」
「テープ? 何するんだい?」
夕飯の仕込みを一人でしていた調理師のおばさんが、顔だけこちらに向ける。
ラジオの情報を貼り出したいのだ、と清書した紙を見せると、ガムテープを少し分けてくれた。
「ありがとね。ドアの横にでも貼っといてちょうだいな。役所の人に何か言われたら、私が頼んだコトにしとくから」
「ありがとうございます」
ロークは役所に無断でしたことに申し訳なくなり、厨房のおばさんに心から礼を言った。
言われた通り、食堂のドア脇の壁に貼る。
この情報で、誰がどう動いて、どれだけ助かって、逆に被害を受けるのか。誰にも予想できなかった。




