616.食糧調達依頼
男性職員が、カウンター越しに食堂を窺い、小声で言う。
「こっちは、新聞配達もあった」
「ホントですか?」
「あぁ。ただ、全国紙は首都の本社や支社がどうにかなったのか、販売店にも届いてなくて、地元の新聞だけだ」
「印刷が間に合わなかったんでしょうね。まだクーデターのことは載ってなかったわ。号外は出たかもしれないけど……」
「そうなんですか。……あ、お代はちゃんと払うんで、明日の朝刊、持って来てもらえませんか?」
クルィーロが勢い込んで頼むと、二人は面食らった。
「いいよいいよ、そんな。安いモンだし。一日経ちゃ古新聞だ。タダでいいよ」
「あ、あの、厚かましいついでに、食糧も、できれば……お代はちゃんと払いますから、お願いします!」
「ま、まぁ、頭を上げとくれよ」
「今は【無尽袋】が品薄でな。普通の袋に入れて両手で持てる分くらいしか運べんが、いいのか?」
クルィーロが顔を上げると、職員二人は申し訳なさそうに肩をすぼめ、声を潜めた。
「ここだけのハナシ、役所と契約してる会社が休み明けに持って来てくれるか、まだわかんねぇんだ」
「配送がなきゃ、予備の缶詰や堅パンを出しても二、三日ってとこだし……」
「今日は来なかったが、仮設の人らが、食うに困ってこっちに来るかもしれんしな」
……だったら、余計に欲しいんだけど。
レーチカ市にも、食糧が充分あるとは限らない。
価格が高騰していれば、対価の不足が心配だろう。それに、大荷物で首都に立ち入るのをネミュス解放軍に見咎められれば、最悪、殺されて食糧を奪われるかもしれない。
……無理は言えない……けど、できるだけ頼んでみよう。
「ここに来るまでに魔法の道具屋でバイトして、給料、宝石でもらったんです。道具の素材になるから、そこそこの値になるらしいんですけど、何とかしてもらえませんか?」
「あんまりたくさんは運べないんだがな」
男性職員は少し考えていたが、クルィーロと目が合うと、大きく頷いてエプロンを外した。
「よし、今からちょっと行って来る」
「じゃあ、すぐ持ってきます」
クルィーロは食堂に出てアマナに飴を渡すと、部屋へ駆け戻った。
帰還難民センターの窓口がある側の廊下には、人がぎっしり詰まっている。手続きの順番待ちだけで夜中になりそうだ。
閑散とした宿泊スペースの廊下を走り、荷物から手提げ袋を引っ張り出して食堂へ駆け戻る。
レノに耳打ちして、トパーズを三粒だけ分けてもらい、厨房に声を掛けた。
「おいおい、有り金丸ごと出す奴があるか。一粒でもこの袋十杯分はいけるぞ?」
「日持ちする堅パンやドライフルーツがいいでしょうねって言ってたの」
「売ってれば、干し肉も持って来るよ」
男性職員は、一番小さいトパーズを一粒だけ受け取って、厨房を出て行った。
彼を見送って、改めて食堂を見回す。
僅かの間に他の人々も手続きの残りをしに行ったらしく、残っているのはレノたちも含めて二十人余りだ。ラジオに聞き耳を立てながら、今朝の続きでラクリマリスとアミトスチグマの新聞を読んでいる。
クルィーロが座ると、アマナが早口に言った。
「お兄ちゃん、あのね。さっき、ラジオでね、治安部隊の人が解放軍の人をやっつけたって」
「ホントか?」
クルィーロは一瞬、口許を綻ばせたが、すぐ真顔に戻った。FMクレーヴェルは静かな曲調の古典音楽を流している。
政府軍は、魔哮砲を兵器利用した張本人だ。
本当に「国民の味方」かどうか怪しい。
「ネミュス解放軍の大半が逃げただけで、安全が確保できたワケではありませんって言ってましたよ」
ロークに言われ、アマナが眉を下げた。
「あ、じゃあ、まだ何人か残って戦ってるんだ?」
「多分……」
「ずーっと一緒の曲ばっかりで、つまんないね」
エランティスがアマナに囁く。妹はコクリと頷いたが、何も言わなかった。
重苦しい雰囲気を和らげようと、クルィーロは努めて明るく、さっき厨房で聞いたことを語った。
「食堂の係の人は、レーチカ市から【跳躍】で来てくれてるんだってさ」
「防壁の外から、跳べんのか?」
レノの質問に職員の受け売りで答え、状況を付け足した。
「……今のところ、門を開放して、戦えない一般人を逃がしてくれてるってさ」
「じゃあ、今の内なら、港沿いに門まで行けりゃ、首都を出られるんだな?」
近くの席の中年男性に聞かれ、クルィーロは頭を掻いた。
「そこまでは聞いてません。それに、俺は首都に来たの初めてで、門がどこに幾つあるかも知らないし……」
「そうか。首都はな、クレーヴェル湾をぐるっと囲む半円形で、湖に面してない側に等間隔で八つの門があるんだ」
「近くの平野には小さい農村、湖岸沿いには漁村がいっぱいあるよ」
他のテーブルからも説明が飛び、何となく地図を思い浮かべる。
「でも、役所の人の言う通り、身分証がないと後で困るでしょうね」
「そんなこたぁねぇ。ギアツィントやレーチカでも、ネーニア島から逃げてきた人らの為に再発行はやってる」
「やり直しで時間掛かるだけだったら、今からでも、行った方がいいのか?」
帰還難民たちの言葉にクルィーロの気持ちが揺れる。
レノたち兄姉妹と、薬師アウェッラーナとロークを見て、アマナの手を握った。
「俺とアマナは、役所の人が父さんの会社に連絡してくれるのを待つよ。早けりゃ、明後日には何かわかると思うし……」
父と再開できるかどうか、微妙だ。
そもそも、会社が出勤できる状況にあるかどうかもわからない。待っても連絡がつかない可能性もあるが、今は下手に動くより、待つことに決めた。
「俺も、身分証ができるまで待つよ。でないと、仕事や家探すの大変そうだもんな」
レノが自分の妹たちを交互に見て言うと、二人は小さく頷いた。
エランティスがレノの袖を引く。
「アマナちゃんたちと一緒に行っちゃダメ?」
妹たちにじっと見つめられ、レノはクルィーロに助けを求めるような目を向けながら、誤魔化しを口にした。
「今はまだ、何もわかんないからなぁ。行けるんなら、俺も一緒に行きたいよ」
「無理だったら、どうすんの?」
「そりゃ、行けるとこに行くしかないだろ」
「ティスちゃん、今はそんなコト言ったって、仕方ないでしょ。なるようにしかならないんだから」
ピナティフィダに窘められ、エランティスは口を噤んだが、その目にみるみる涙が盛り上がり、テーブルに滴がこぼれた。
「あぁ、ほらほら、泣かないの。考えたってどうにもならないことをどんなに考えたって、そうやって悲しくなるだけなのよ」
「だって……」
ピナティフィダにハンカチで涙を拭われながら、エランティスがしゃくりあげる。
「お母さん……生きてんのに……どして、来てくれな……の?」
「私たちがここに居るって知らないんだから、仕方ないでしょ」
アマナが何か言い掛けたが、涙が溢れて言葉にならない。
もらい泣きする妹を抱き寄せ、クルィーロはその背を撫で続けることしかできなかった。




