614.市街戦の開始
テーブルに戻ったクルィーロは、場の微妙な空気に戸惑ったが、どうにか笑顔を繕ってアマナの隣に座った。
食器洗いの駄賃にもらった飴を三粒ずつ、アマナとエランティスの前に置く。
「お兄ちゃん、お帰り。これは?」
「いいから、いいから、取っとけ」
「ありがとう」
アマナとエランティスが声を揃えて礼を言い、ポケットに仕舞う。
電池を取りに行った人たちが、帰還難民センターの食堂に戻ってきた。
「職場に電話したけど、当分来なくていいって言われたんでな」
ラジオの前に幾つも電池が置かれ、ロークが恐縮して何度も礼を言う。
出勤しなくていいなら、目覚まし時計よりも情報収集に使いたい、と言う気持ちが、クルィーロの胸に小さな痛みを与えた。
……父さん、どこでどうしてるんだろ?
昨日の身元確認で、母の死亡と父の生存は確認できた。
父の勤務先を伝えたので、職員が連絡してくれると言っていたが、クーデターが起きた今、それもどうなるかわからない。
今朝の食事にはありつけたが、この先、いつ食べられなくなるかもわからないのだ。鞄には堅パンなどが少しあるだけだ。
不意に、古典音楽が途切れた。
息を殺してラジオに注目する。
帰還難民たちが集まってきた。
「こちら、FMクレーヴェルです。こちら、FMクレーヴェルです。首都クレーヴェル、樫の木通りの本社スタジオから、DJレーフが、臨時ニュースをお伝えします」
人々の緊張に空気が凝り、クルィーロは息詰まる思いでラジオに耳を傾けた。
DJレーフは、先程の個人的なぼやきを引っ込め、ニュースキャスター並の落ち着いた口調で原稿を読み上げる。
「FMクレーヴェル本社を包囲していた武装勢力“ネミュス解放軍”と、その対応に出動した政府軍治安部隊の部隊長らしき人々が、先程まで、話し合いをしていました」
……隊長同士で話し合い? 知り合いだったから、政府軍は不意討ちしなかったのかな?
「治安部隊とネミュス解放軍の部隊長同士の会話ですが、内容まではわかりません。決裂したようで、つい今しがた、戦闘が始まりました」
息を呑む音があちこちから聞こえた。
DJレーフは動揺を押し殺した声で続ける。
「双方、【光の槍】などの強力な術を使い、現場周辺は大変危険な状態です。周辺住民の方々は、決して外に出ないで下さい。こちら、FMクレーヴェルです。樫の木通りの本社周辺で、先程、政府軍の治安部隊とネミュス解放軍の戦闘が始まりました。周辺住民のみなさんは、窓から離れ、できれば地下室などに避難して下さい」
魔哮砲の失踪後、ネモラリス政府軍の魔装兵がアーテルの爆撃機を迎撃したのが【急降下する鷲】学派の【光の槍】の術だ。力なき民の家は【巣懸ける懸巣】学派の術の守りが全くないか、あっても【魔力の水晶】だけで維持する為、貧弱だ。あんな術の流れ弾が当たれば、一撃で崩壊してしまう。
「ネモラリス人同士で殺し合ってる場合じゃないのに……!」
レノが拳を固く握り、歯を食いしばる。
クルィーロも同じ思いでラジオを見詰め、アマナを抱き寄せた。
その後も、戦況と古典音楽が交互に流れ、時折、アマチュア無線で寄せられた情報が状況を補足する。
ラジオを聴きに来る人が一気に増え、昼食前にはセンターの食堂は、朝食時と同じくらいに埋まった。
「本庁と連絡が取れました」
そう言いながら、昨日の身元確認係が食堂に入ってきた。
帰還難民が粗方顔を揃えているのを確認し、本庁の指示を伝達する。
「この先、どこへ避難するにしても、身分証がなければ何かと難しい面があります。本庁が攻撃を受けない限り、帰還難民センターの業務は継続します」
帰還難民たちから安堵の息が漏れたが、その表情は険しい。
職員は、感情を押し殺した声で説明を続けた。
「本日は、昼食後から業務を再開します。まだ、各種手続きがお済みでない方は、お早めにお願いします」
「通帳の再発行はどうなるんですか?」
遠くの席から質問が飛び、職員がそちらに向き直る。
「連休明け……明後日、銀行の方がどう判断するか、役所の方からは何とも申し上げられません。明後日、こちらから問合せますので、みなさんは絶対に銀行の方へは行かないで下さい」
職員は、食堂を見回して声を張り上げた。
「既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、現在、首都では政府の治安部隊と武装勢力が交戦中です。危険ですので、絶対にここを出ないで下さい」
「ここが絶対安全だって、言い切れるのか?」
幾つもの声が、同時に同じ問いを発する。
職員は、腰を浮かした人々を手振りで宥め、少し声を落とした。
「今のところ……この辺りは戦闘区域から離れています。我々も、できる限り早く手続きを進めます。みなさんの方でも、いつでも避難できるように、準備して下さい」
数人が、もどかしい説明に食い下がったが、他の者に窘められて引きさがる。
「お兄ちゃん……お父さん、大丈夫よね?」
アマナが椅子を寄せ、兄の耳元で囁いた。
妹の手を取り、クルィーロは震える小さな手を両手で包み込む。
「役所の人が会社に連絡してくれるって言ってたから、ごはん食べ終わったら、聞きに行こう」
昨日は、身分証と一緒に連絡の結果を教えてくれると言われた。再発行には二、三日掛かるらしい。急ぐとは言っているが、実際、この状況ではどのくらい掛かるか、職員にもわからないだろう。
その間に状況がどう動くか、この場所はずっと安全なのか。
戦線が拡大すれば、どこへ避難すればいいのか。
……ホントに、これからどうなっちゃうんだろうな?
クルィーロはあまりのことに途方に暮れた。
☆昨日の身元確認……「597.父母の安否は」「598.この先の生活」参照




