608.四眼狼の始末
魔哮砲と四眼狼の睨み合いを恐れたのか、腥風樹の這い跡から離れたこの場にも、鳥や獣が居ない。
足下の雑妖が、駆除業者に偽装した【鎧】の【魔除け】に蹴散らされ、汚い霧となって薮の下に這い入った。狩人用の靴が湿った落葉を踏みしめる。
気は焦るが、周囲への警戒と標的の確認をしながら、慎重に森の一画を囲む。
反時計回りに銀糸を巡らせ、アシューグ先輩の姿が再び視界に入った時、異変が起こった。
四眼狼の一頭が、闇の塊の躍り掛かった。魔哮砲はその柔軟な身をぐにゃりと歪め、その牙を躱す。闇の塊を囲んだ魔獣は、それを合図に次々と襲いかかった。
大型トレーラーにバイクで突っ込むような体格差だが、群のリーダーに従い、四眼狼は攻撃の手を緩めない。
魔装兵ルベルは足音が立つのも構わず、木立の間を小走りに【流星陣】の基点へ急いだ。
アシューグ先輩が呪文の詠唱を続けながら、手振りで輪の内へ入るよう促す。ルベルは糸巻を返し、数歩、中心へ近付いて足を止めた。
術者もこちら側へ移り、幹に糸巻を回して端を括る。剣で銀糸の端を切り、結びの言葉を唱えるのを待って、早口に報告した。
「魔獣の攻撃が始まりました」
「魔哮砲は?」
「完全に囲まれて逃げられませんが、今のところ、躱しています。魔力を放出する様子はありません」
アシューグ先輩がウェストポーチから呪符の束を掴み出した。
「まずは、四眼狼の始末だ。他に魔獣や魔物は?」
「結界内には居ません」
「挑発して魔哮砲から引き離そう」
術で攻撃して、万一、魔哮砲に当たれば、更に肥大化させてしまう。
二人はわざと足音を立て、薮を手で掻きながら輪の中心へ向かった。
魔装兵ルベルは十メートルばかり手前で立ち止まり、【真水の壁】を建てる。
「天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ……」
その詠唱を背に、アシューグ先輩は剣を抜き、魔哮砲の制御符号を歌いながら魔獣の群に近付く。四眼狼の半分以上がこちらを向いたが、何頭かは魔哮砲への攻撃をやめなかった。
スキャットの旋律に絡め捕られ、闇の塊の動きが鈍る。
多少、魔獣の攻撃を受けるだろうが、うろちょろして術の流れ弾に当たるより遙かにマシだ。これ以上、大きくなられては捕獲できなくなるかもしれない。
「……触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁」
ルベルの【真水の壁】が完成した。
リーダーらしき一際大きな一頭が、魔哮砲に喰らいつくと同時に、数頭がアシューグ先輩に襲い掛かった。ルベルは【光の槍】の呪符三枚を手に起動の呪文を唱える。
「想い磨ぎ 光鋭き……」
先輩は、剣を薙いで魔獣の鼻面を切り裂き、もう一頭を後方へ跳んで躱した。
三頭目と四頭目はズボンに喰らいついたが、術で守られた生地は牙からするりと逃れ、勢い余った二頭が地で強かに顎を打つ。
魔装兵ルベルは、アシューグ先輩を襲う魔獣に照準を合わせ、結びの言葉を唱えた。
「……槍と成せ!」
呪符の魔力が解放され、前に出た三頭が【光の槍】で地に縫い留められる。すぐに魔獣が動かなくなり、魔力で創り出された槍が消えた。夥しい血が流れ、落ち葉が降り積もった森の地面を濡らす。
アシューグ先輩も後退しながら同じ呪符を使い、魔哮砲から魔獣の群を遠ざけつつ数頭まとめて屠る。
仲間をやられた四眼狼の大部分が、攻撃目標を人間に変えた。
瞬く間に距離を詰められ、呪文を唱える暇がなくなる。魔装兵ルベルは【真水の壁】の傍らに立ち、剣で魔獣を牽制するアシューグ先輩を呪符で掩護する。
魔哮砲の様子を見る余裕もなくなり、ルベルも剣を抜いた。
二人は【真水の壁】に背を預けて剣を振るう。柄頭に嵌め込まれた【魔力の水晶】が輝きを増し、切れ味が上がる。
足に牙を立て、引き倒そうとするモノは、普通の軍服よりも強力な術が仕込まれた【鎧】に阻まれ、無防備な首を剣に晒した。
喉笛を狙って跳びかかるモノは、袖に喰らいつかせ、その勢いを借って振り払う。
民間の駆除業者に偽装した【鎧】は守りが強固な分、魔力の消耗が激しい。四眼狼が一頭、また一頭、この世の肉体を手放すに従い、二人の呼吸も乱れてゆく。
肉体を失い、物質界への強い影響力を失った四眼狼たちは、二人の周囲を虚しく歩き回った。【流星陣】の結界に囚われ、幽界へは還れない。
魔力を持つ者を喰らえば、再びこの世の身を得られるが、【魔除け】に阻まれ近付くこともできない。剣に触れれば更に力を失い、幽界ではなく冥界へ還されるが、【流星陣】がそれも許さない。
音のない歯噛みをしながら、四つの眼が物欲しそうに二人を見詰める。
誘き寄せた魔獣の肉体を全て破壊した時には、すっかり息が上がり、二人は肩で息をしていた。【無尽の瓶】に直接口を付けて水を飲み、【操水】で返り血を洗い流す。
震える手でウェストポーチを探り、小粒のサファイアを握った。掌からあたたかな流れが身体の中心へ向かい、心の余裕が戻る。
背後からも襲われたらしく、【真水の壁】は衝撃を吸収し、青く染まっていた。
……あと一発か二発喰らってたら……!
魔装兵ルベルは身震いし、【無尽の瓶】と魔力を移し終えたサファイアをポーチに戻した。




