607.魔哮砲を包囲
生い茂った枝葉の天井が朝の空を隠す。
魔装兵ルベルは前回同様、民間業者に偽装した装備に身を固め、魔哮砲捕獲任務に就いていた。
捕獲用の【従魔の檻】と旧王国時代の騎士の剣、それに解毒薬と呪符も持たされ、アシューグ先輩と共にツマーンの森を歩く。
ルベルは防禦系が中心の【飛翔する蜂角鷹】学派、アシューグ先輩は詠唱に時間が掛かる【歌う鷦鷯】学派だ。なんとも心許ない組み合わせだが、命令には従う他ない。
……決断が遅い……遅過ぎる! 何でもっと早く言ってくれなかったんだ?
魔装兵ルベルは周囲の若木に警戒の目を向けながら、内心、溜め息を吐いた。
クーデターが発生して、政府の中枢と連絡がつかなくなる前に、ルベルの待機を解いておけばよかったのだ。
ラクリマリス政府の暴露報道以前に捕獲して、湖西地方にでも捨ててくれば、知らぬ存ぜぬで押し通せた。
文民統制とやらで、将軍一人の判断だけでは重要な命令を出せない。
……今頃捕まえたって、もう遅いのに。
これ以上、被害は拡大しなくなるが、それだけだ。
忘れられなかっただけでもマシだと考え直そうとしたが、あの時、捕まえられていれば、と胃が痛み、同時にムラークの顔を思い出して、石を呑んだように喉が痞えた。
ネモラリス軍が回収しても、ラクリマリス軍が回収しても、ネモラリス政府への国際的な批難は免れられない。
あの報道発表を境に、アミトスチグマに逃れた難民たちは、立場が悪くなっているだろう。帰ろうにも、ネモラリスの国内はクーデターで今後の状況が読めない。
どこにも身の置き場がなくなった人々がどうなるか、一兵卒でしかないルベルには、全く想像もつかなかった。
茶色く枯れた灌木に気付き、足を止める。
枯れ草の上に虫の死骸が散らばっていた。
少し離れた場所には、小鳥も落ちている。
小さな這い跡に沿って、木々の葬列が続いていた。
この辺りは早い段階で腥風樹の毒に中ったらしい。喬木もかなり葉を落とし、歯が抜けたようにみすぼらしくなっていた。
申し訳程度に残った葉の間から朝の光が降り注ぎ、辺りには雑妖も居ない。
死骸を放置すれば苗床に魔物が涌くが、普通に燃やせば毒が拡散してしまう。
虫や小動物の死骸しかないのは、狐など比較的大きい死骸からは既に魔物が受肉してここを離れたからだろう。
腥風樹の毒に中った死骸を食べるのは論外だが、少し触れる程度なら大丈夫だ。
昔は、毒でやられた木を毒矢に加工して魔獣退治に利用したらしい。命令のついでにアル・ジャディ将軍が教えてくれたが、ルベルには昔の人の気が知れなかった。
「我々の目的はアレの捕獲だ。腥風樹は王国軍に任せ、気を付けて行こう」
「はい」
アシューグ先輩に促され、足音を殺して目標地点へ向かう。
先程【索敵】したところ、魔哮砲は四眼狼の群に囲まれていた。普通の狼より大きいが、今の魔哮砲では体格的に丸呑みされることはない。
あのぐにゃぐにゃした身は、魔獣の牙で食い千切れるか否か、資料はなかった。一口ずつ齧られても魔力が食われるのか、それとも、傷口から抜けてしまうのか。
身の内に蓄えた魔力を放出すれば破壊の力になるが、本来は兵器として作れらたモノではない為、自らの意志で吐くことはない。
使い魔の契約を結んだ主の命令、または食べ過ぎ。吐く理由はそのふたつしかない。
風に乗って微かに獣の唸りが届いた。
二人は息を殺し、ウェストポーチの【従魔の檻】を確める。茶色の小瓶は、呪文が縦縞のように書かれ、鉄格子を思わせた。
風向きを確め、もう一度【索敵】を唱える。
ルベルの視線が立ち枯れた木々をすり抜け、その先の生気溢れる植物たちを通り抜け、森の奥へと伸びてゆく。生い茂った灌木を越え、岩と倒木の向こうに先程見た四眼狼の群と魔哮砲を捉えた。
並の狼より一回り大きく育った魔獣たちは、四つの眼を金色に光らせ、魔哮砲を囲む。低く唸りながら大型トレーラー並の大きさの闇を遠巻きにしていた。
魔哮砲は、魔獣の群に怯えているのか、風に揺れているのか、形が定かでない闇色の身を小刻みに震わせる。
魔装兵ルベルは、囁き声で報告した。
「四眼狼の群に囲まれています。まだ、攻撃は始まっていません」
「数は?」
「二十くらいです」
「二人では厳しいな。【流星陣】を張ろう」
アシューグ先輩は胸ポケットから糸巻を取り出し、銀糸の一端を幹に括りつけた。
無言で手渡された糸巻の小ささが心細い。
ルベルは敬礼し、魔獣に気付かれぬよう、足音を忍ばせて糸を繰り出した。魔哮砲の居場所を中心に文字通り「遠巻き」にする。
アシューグ先輩は、銀糸を結んだ幹に手を押し当て、小声で呪文を唱え始めた。
もう一人居れば、糸巻ふたつで反対方向からも囲み、半分の時間で済んだだろう。もっと居れば、その分、銀糸に行き渡らせる魔力が強くなり、魔獣の群と魔哮砲に強行突破されずに済むだろう。
結界の完成が間に合うのか。
あれを閉じ込められるのか。
魔装兵ムラークは前回の任務で落命し、衛生兵セカーチは治安部隊の後方支援に回された。
ルベルは内心、国家の命運が懸った重要な作戦に人員を配さないことに首を捻りながら、銀糸を繰り出して歩く。森の風にそよぐ糸は、蜘蛛の糸のように頼りなく見えた。
【流星陣】は銀糸で囲んだ内と外の出入りを禁じる結界の一種だ。
その者の存在の位相――物質界に属するこの世の生物、魔獣、死体、幽界に属する魔物や雑妖、彷徨う魂、冥界に属する魂や魔物などに関係なく、閉じ込められる。
無論、術者より強いモノは、結界を強行突破できるが、アシューグ先輩はルベルよりも遙かに魔力が強い。今の魔哮砲の強さはわからないが、魔装兵ルベルは、先輩なら閉じ込められると信じて糸を繰り出した。
【索敵】で見守る先には動きがない。完全に膠着状態に陥っていた。
風向きが変わったが、二、三頭の四眼狼が鼻をひくつかせただけで、魔哮砲から四つの眼を逸らさない。
術が完成すれば、銀糸が切れない限り、魔哮砲を足止めできる。追いかけっこの範囲が決まれば、いくらなんでも、今度こそ捕えられるだろう。
銀糸に籠められるアシューグ先輩の魔力を感じながら、魔装兵ルベルは任務の成功を祈った。
☆あの時、捕まえられていれば……「523.夜の森の捕物」参照
☆あの報道発表……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照




