606.人影のない港
カーラジオは、どこの局に合わせても、昨日からずっとイカレた連中のお題目ばかり流していた。
同じ女の声が、同じことばかり言っている。
録音をネモラリスの全局に配ったのだろう。
メドヴェージがうんざりした顔でラジオを切った。
「隊長、どうしやす?」
「どうするもこうするも……」ソルニャーク隊長が、口の端に皮肉な笑みを浮かべる。「今の我々は丸腰だ。魔法使いの武装勢力と政府軍の戦闘に巻き込まれぬよう、大人しくする他あるまい」
「大人しくって……」
少年兵モーフは、後の言葉を飲み込んだ。
……勝てるワケねぇ。
ゼルノー市の作戦では、あんなにたっぷり武器と「魔法使いの力を奪う道具」を用意して奇襲をかけても、治安部隊と警察どころか、一般市民の魔法使いたちにも負けて、捕えられてしまったのだ。
メドヴェージが運転席の扉を閉め、窓枠に肘を置いた。
三人はトラックの前に立ち、朝のレーチカ港を見回す。
港の外れからは、荷を積み下ろすコンテナヤードと倉庫街が見渡せたが、港湾労働者の姿はない。
大きな船はいつから係留されているのかわからないが、舷を小さな波が小刻みに洗っていた。船体には岸壁と同じ小さな貝が、びっしりこびり付いている。
ずっと向こうの旅客用ターミナルは、空襲被害からの復旧作業中だったが、連休中で作業は休み。クーデターの発生で、連休明けに再開できるかどうか微妙だ。
「モーフ、言いたいことがあるなら、遠慮せず言ってみろ」
荷台に背を預けたソルニャーク隊長が腕組みを解いてモーフに向き直る。いつものやさしい目に促され、少年兵モーフは喉に引っ掛かった言葉を吐き出した。
「ピ……みんなを……助けに行かないんスか? 今頃、首都じゃドンパチやって……」
「状況がわからん。入って来るのは“ネミュス解放軍”とやらの一方的な宣言だけだ」
「放送局が乗っ取られたくらいだ。新聞社も無事かどうかわかんねぇし、新聞配達どころじゃねぇだろうな」
メドヴェージに言われるまでもなく、モーフにもわかった。
「ネミュス解放軍の人数や戦力、どこをどう制圧したのかなど、戦況は全く不明だが、ひとつだけ、はっきりしていることはある」
「なんスか?」
少年兵モーフの問いにソルニャーク隊長とメドヴェージは同時に肩を竦めた。
メドヴェージは仕方のない奴だな、と言いたげな苦笑を浮かべたが、ソルニャーク隊長は僅かに表情を険しくして答えた。
「キルクルス教徒の排除だ」
「何か小難しいコト言ってたのって、それなんスか? じゃあ何で、自治区じゃなくて首都の放送局なんか……」
「放送の内容が建前でないなら、彼らの目的は民主化前、キルクルス教伝来以前の旧王国時代の再現だ。民主主義の政体を廃止し、王政……いや、神政への復古を望んでいる」
「それで、どう……? 国の偉い奴の首がすげ変わるだけじゃないんスか?」
少年兵モーフには、政治のことなどわからない。
ただ、ピナたち、首都クレーヴェルの帰還難民センターに居る旅の仲間が心配だった。
……隊長がこんな薄情な奴だったなんて……!
「ここはネモラリス島第二の大都市だ。いつ、戦闘が波及するとも知れん」
「だったら、余計に……!」
「我々もレノ店長たちも、この島には土地勘がない。助けに行ったところで、安全な避難場所がわからん」
焦燥に上ずるモーフの声を隊長の静かな声が遮った。
「でも、助けに行くくらい……!」
「闇雲に逃げ回んのか? 燃料にゃ、限りがあるんだぞ?」
「カネなら……」
モーフはウェストポーチを叩き、余計な口を挟むおっさんに言い返すが、隊長に手振りで黙らされた。
「トラックを容れてきた袋は、生き物と液体は容れられないと言っていただろう」
ソルニャーク隊長が、手前に繋がれた巨大な魔道機船に目を向ける。
少年兵モーフは、運び屋フィアールカの説明を思い出し、素直に頷いた。
「あのタンカーは、もう何か月も放置されているようだ。これがどう言うことか、わかるか?」
少年兵モーフは、船底にこびりついた汚れや貝を落とす求人を思い出した。
非力な子供には無理だと断られたが、モーフは給金の高さに食い下がった。口入れ屋たちに、これが如何に重要で失敗が許されない仕事か、懇々と諭された。
「あんなちっこい貝でもな、放っといたら船底に穴が開くんだよ。取りこぼしがあったじゃ済まねぇ」
「船が沈んだら、坊主の曾孫の代まで掛かっても、まだ弁償が終わんねぇくらい借金抱えるハメになるんだぞ」
そこまで言われては、引き下がらざるを得なかった。
苦い記憶を呼び起こしたタンカーから、ソルニャーク隊長に視線を戻す。
「どう言うコトっスか?」
「燃料の輸入が滞り、カネがあっても買えないということだ」
湖上封鎖の影響だ。
ラクリマリス王国が僅かに通す航路は、難民と救援物資しか運ばせてもらえないらしい。だが、アーテルの空襲からも守ってくれている。
少年兵モーフは、行き場のない憤りに拳を握った。
「だからって、ピナを見殺しにするんスかッ?」
「港湾施設は場合によっては制圧の対象に……」
「だったら早く……!」
「帰還難民センターと港は、かなり距離があっただろう。弱者しか居ないセンターをわざわざ襲撃するとも思えん。状況がわかるまで、余計な手出しをしない方が安全だ」
「状況がわかんねぇのに、何で大丈夫だって言うんスかッ!」
「坊主、落ち着けよ」
駆け出そうとするモーフの肩をメドヴェージのごつい手が捕まえた。
ソルニャーク隊長が、倉庫街の方を向いて言う。
「彼らの目的は、国民を皆殺しにすることではない」
「あの子らは、フラクシヌス教徒だ。悪いようにゃされんさ」
メドヴェージがモーフの両肩に手を置いて、やさしく言って聞かせた。
……隊長もおっさんも、みんなが心配じゃねぇのかよ?
少年兵モーフは、何もできない無力に奥歯を噛みしめ、メドヴェージを睨みつけた。悲しそうな目に見詰め返され、思わず視線を逸らす。
水平線上にポツリと影が現れた。
どんどん大きくなる。
魔道機船だ。
「モーフ、乗れッ!」
ソルニャーク隊長に腕を掴まれ、荷台に連れて行かれる。運転席の扉が開閉する音に振り向く。
「さっさと乗れッ!」
窓から身を乗り出した運転手に怒鳴られ、モーフは隊長と並んで駆ける。
少年兵が荷台に飛び乗ると、隊長が有無を言わさず扉を閉めた。一瞬で光を奪われ、手探りで運転席背後の係員室へ向かう。
助手席が閉まると同時にエンジンが始動した。
「あの紋章は、ネモラリス水軍……」
「じゃ、あのでけぇのは、軍艦ですかい」
少年兵モーフはバックミラー越しにメドヴェージと目が合った。
係員室の小窓から見える軍艦はまだ遠かったが、明らかにタンカーより大きい。アーテルの戦闘機を迎撃していた防空艦の一隻が、クーデター対応で呼び戻されたのだろう。
「どこ行くんスか?」
「ネモラリス島の北西部へ向かう」
「えぇッ?」
少年兵モーフは隊長の言葉に耳を疑った。ますますピナたちから離れてしまう。
メドヴェージは納得したのか、トラックを山の方へ向け、倉庫街の輸送道路を突っ切った。
「何でそんな方へ……!」
「首都へ向かうのが危険だとわからんのか?」
ソルニャーク隊長に呆れた声で聞き返され、少年兵モーフは荷台の床に蹲った。
☆イカレた連中のお題目……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆帰還難民センターと港は、かなり距離があった……「576.最後の荷造り」参照




