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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二十四章 道程

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604.失われた神話

 クブルム山脈の峠道で一夜を明かし、二人は南側のラクリマリス王国領へ抜けた。


 ……パニセア・ユニ・フローラ様、ありがとうございます。


 呪医セプテントリオーは、サロートカを(おもんぱか)って心の裡で祈った。



 登山道脇に木立の切れ目をみつけ、足を踏み入れる。樵の避難小屋と、ちょっとした作業をする為の小さな広場だった。

 東へ目を向ける。眼下で朝日を受けるラキュス湖は、いつにも増して神々しく見えた。

 西では、こんもりした森が朝靄に包まれて微睡む。鳥たちの鳴き交わす声が、目覚めの時を告げる。靄が晴れればもっと賑やかになるだろう。


 ……あの森のどこかに腥風樹(せいふうじゅ)が……!


 王国軍時代の任務を思い出し、白衣の下で肌が粟立つ。

 ネーニア島の南岸は遙かに霞んで見えず、勿論(もちろん)、かつて腥風樹と戦ったランテルナ島も見えない。

 だが、最近数カ月を過ごした別荘の庭や、ファーキルを連れて何度も跳んだカルダフストヴォー市の北門前は、ありありと思い浮かべられた。【跳躍】の術を使えば、時を置かずそこへ行ける。


 今の目的地は、ネーニア島と北ヴィエートフィ大橋で繋がるアーテル共和国領のランテルナ島ではない。


 山裾から広がる森は、ネーニア島の東岸の手前で途切れ、僅かな平地が湖岸に沿って南へ続く。草原や畑を縫う道が、町や村を繋いでいた。手前には、防壁に囲まれた港町ノージが見える。


 ……再建されたのだな。


 半世紀の内乱で壊滅的な被害を受けたノージ市は、呪医セプテントリオーの記憶より小さく見えたが、人の営みは同じ地に戻っていた。


 街の東岸に目を凝らす。

 靄が出ているせいか、それとも湖上封鎖の影響か、湖上に動く船影は見えなかった。


 「今から、麓のノージ市の手前へ【跳躍】します」

 呪医セプテントリオーは、緑の眼を傍らの少女に向けた。

 朝靄に霞む風景に心奪われていたサロートカが、夢から醒めたような顔で呪医を見上げる。

 「あの、でも、センセイ……知らないとこには行けないって……?」

 「今、はっきり見えている場所には行けますよ」


 針子のサロートカに右手を差し出す。少女は一歩近付いて呪医の手を取り、頷いた。

 一度、リストヴァー自治区からクブルム街道までは跳んでいる。一晩守られて、魔術に対する恐怖心や嫌悪感が薄れたのだろう。

 呪医セプテントリオーは、頷き返して呪文を唱えた。


 「鵬程(ほうてい)を越え、此地(このち)から彼地(かのち)へ駆ける。

  大逵(たいき)手繰(たぐ)り、折り重ね、一足(ひとあし)に跳ぶ。この身を其処(そこ)に」


 結びの言葉の直後、一呼吸の間も置かず、目の前に高い壁が聳え立った。

 サロートカが周囲を見回す。

 二人が立っているのは、石畳が敷かれた街道だ。二、三人並べばいっぱいになる幅で、周囲は生い茂った草が緑の壁を成す。

 振り向けば、先程まで居たクブルム山脈が遠くに見えた。


 改めて、防壁に向き直る。


 「魔法文明圏の都市は、魔物や魔獣の侵入を防ぐ為、防護の呪文を刻んだ壁に囲まれています」

 呪医セプテントリオーが石組の防壁を指差すと、サロートカは彩色の施された文字に目を向けた。


 「……上から二番目の緑の柄は、聖典に載ってるのと同じ……ですよね?」

 「そうです。【魔除け】の呪文と呪印です。同じ術でも衣服と建築物では、使用する呪印が異なるそうです」

 「そうなんですか。どうしてですか?」

 当然の疑問に呪医は苦笑を返した。

 「生憎、専門外なので詳しいことまでは知りません。服などを作るのは【編む葦切(ヨシキリ)】学派、建物などは【巣懸(すか)ける懸巣(カケス)】学派で、えー……術の系統が違うんです」


 「センセイは、何ガクハなんですか?」

 「私は【青き片翼】学派……術だけで傷を癒す……外科医のような学派です」


 呪医セプテントリオーは細い鎖をつまみ、首から()げた銀の徽章(きしょう)を上げてみせた。針子のサロートカが首を傾げる。


 「銀色なのに、青……なんですか?」

 「青き片翼と白き片翼は、フラクシヌス教の神話よりも古い神話に伝えられる神獣です」

 「シンジュウ……?」

 「生命の(ほころ)びを繕ってくれるのだそうですよ。この抱えているのが綻びを縫う無限の針」

 徽章の蛇は、片方だけついた鳥の翼を広げ、針に巻きついている。蛇は死と再生の象徴であり、翼は遠く高く飛ぶ力。青き片翼と白き片翼が二頭揃えば、命を繋いでどこまでも飛べると伝えられていた。


 挿絵(By みてみん)


 サロートカは神獣“青き片翼”を意匠化した徽章から目を逸らさず、疑問を口にした。

 「センセイは……異教の神様の(しるし)を持つの、イヤじゃないんですか?」

 「異教の……?」


 改めて言われるまで、全く意識したことがなかった。

 つい今しがた自分の口で説明したにも関わらず、だ。


 呪医セプテントリオーは、徽章を(たなごころ)に乗せた。

 この地が女神の涙に潤される以前の遙かな昔。

 祭儀が失われた(いにしえ)の信仰が残した神話の断片。


 ……不思議なものだな。


 その時代には、呪医セプテントリオーたち「湖の民」は何と呼ばれていたのか。いや、存在していたかどうかさえ、定かではない。

 呪医は神獣を(かたど)った徽章から目を上げた。

 サロートカはすっかり恐縮して、不安な眼差しで湖の民の呪医を窺う。取り消せるなら、さっきの質問をナシにしたいと言いたげな顔に微笑みかけた。


 「そう言われるまで、異教の神獣だとは、全く意識していませんでした」

 「えっ?」

 サロートカの顔に安堵と新たな疑問がありありと浮かぶ。


 「知識としては、頭にありましたが、心の中で自分の信仰と繋がっていませんでした」

 「あの……私、ひょっとして、余計なコト……」

 陸の民の少女が顔を曇らせる。

 呪医は静かに首を横に振った。

 「いえ、大丈夫ですよ。もう、人々の意識に上ることのない失われた神話ですから。私に限らず、誰も気にしていませんよ」


 その時代の信仰は失われたが、いつ成立したかもわからない古い呪文は今に伝わり、人々の命を守っている。


 ……不思議なものだな。


 長い歳月の間に多くの術が失われ、また新たに作られた。

 古い術を古文書や口碑などの僅かな手掛かりから「再発見」する学派もある。彼ら【(あゆ)(トキ)】学派の関心事は(もっぱ)ら、失われた術の復活で、当時の暮らしや信仰と魔術の関連などについては「記録の状況」や「術の手掛かり」として副次的に調査、保存しているに過ぎない。


 ……パニセア・ユニ・フローラ様たちご自身は、どんな神に祈ったのだろう?


 フラクシヌス教の神々は、神格化された古代の偉大な魔法使いたちだ。

 彼らは今尚、旱魃の龍を封じ、湖水を産み出し、この地の全ての生命を乾きから守り続ける。神格化された彼ら自身の【魔道士の涙】に残された魔力はとうに尽き、後はずっと、この地に住まう人々が捧げる魔力を補充して【涙】に掛けられた術を支えていた。



 湖の民のラキュス・ネーニア家と陸の民のラクリマリス家は、給水と封印の(かなめ)を管理することが元々の役割だった。

 魔力の補充が途切れぬよう、要の【魔道士の涙】の役割が忘れ去られぬよう、伝えられた記録はいつしか神話になり、命を捧げた彼らは祈りの対象になった。

 両家が神政を敷くのに然程(さほど)、時を要さなかっただろう。


 「さぁ、行きましょう。フラクシヌス教徒の暮らしを確かめるのでしょう」

 「は……はい。でも、開けてもらえるんでしょうか?」


 同じ地面に立つと、街の様子は全く見えなくなった。

 高い防壁に付いた北口の扉は、民家の裏口程度の大きさだ。向こうに門番がいるかどうかもわからなかった。

☆学派=術の系統の説明は「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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