603.今すべきこと
「クーデター?」
「そう。坊や、ウヌク・エルハイア将軍って知ってる?」
朝食後、すぐホテルを発とうとしたファーキルは、玄関ホールで運び屋フィアールカに呼び止められた。今はティーラウンジの個室で二人きりだ。
二人ともティーカップを脇に退け、タブレット端末を握って額を寄せ合う。
「確か、湖の民の将軍で、旧王国時代から軍の幹部だった人ですよね?」
「そうよ。よく知ってるわね。ラキュス・ネーニア家の分家筋で、共和制移行前はそれなりに権力を持ってた御仁よ」
「半世紀の内乱中は、人種を問わず空襲から都市を守って、ネモラリス島の防衛に尽力した……」
ファーキルはつい先日、自前のサイト「旅の記録」に掲載した半世紀の内乱に関する第三国の記録の共通語訳を諳んじてみせた。
ウヌク・エルハイア将軍は、陸の民と湖の民、力ある民と力なき民を区別せず、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを篤く信仰する人々を守った。主な敵は、キルクルス教徒の航空戦力と化学兵器などだ。
最大派閥だったこともあり、結果的にネモラリス島に住む多くの人が助かった。
しかも、「攻撃が無差別なら、守備も無差別に行う」と宣言し、空襲からは都市内のキルクルス教徒の居住区も等しく守ったと伝えられている。
……フィアールカさんは、湖の女神の神官だったけど、ネーニア島の神殿だったから、将軍に助けてもらえなかったんだよな。
聖職者を辞めた彼女が、ウヌク・エルハイア将軍をどう思っているのか、キルクルス教の信仰を捨てたファーキルには想像もつかない。
「これって、将軍が政権を取ったってコトですか? それとも、当主のシェラタン・ラキュス・ネーニアが将軍を動かしたってコトですか?」
「その辺の情報は、まだ全然掴めてないのよねぇ。今のところ、当主のシェラタン様からは何の発表もないみたいだけど……」
湖の民の運び屋が嘆息する。
……アーテルと戦争中なのにクーデターなんかして、国内が割れたら負けちゃうんじゃないか?
ファーキルは、他人事ながら心配になった。
書類上の国籍はアーテルだが、気持ちの上ではもうアーテル人ではない。アーテルの家族と信仰、祖国の一切を捨て、今はラクリマリス王国に身を置く。
帰る場所はないが、フィアールカや諜報員ラゾールニクらと共に、直接の武力を用いずに戦争を終わらせる活動に参加していた。
拠って立つ国を持たない「ひとりの人」として見たクーデターは、とんでもない愚行に思えた。
「退役軍人をこっそり掻き集めてたなんてね」
「エルハイア将軍の兵力を掴めたんですか?」
「一部分だけ、ね。王国軍が解体されて、近代的な共和国軍に再編された時に辞めた人って、結構多いのよ」
そう言われてみれば、呪医セプテントリオーは元軍医で、クロエーニィエ店長は今の姿からは想像もつかないが、元騎士だ。
辞めた理由は聞いていないが、銃など科学の武器を使う力なき民の兵を増やすなら、その分、予算が多く掛かる。
最近よく聞くリストラか、早期退職勧告か。
待遇が悪くなることに不満を抱いて、自ら辞める者が出ても仕方がないだろう。
「ウヌク・エルハイア将軍自身は、内乱の終わり頃に家族を殺されて、守る者が居なくなったからって退役したんだけどねー。どう言う風の吹き回しかしら?」
二人は自分のタブレット端末をつつきながら話を進める。
湖南語話者向けのポータルサイトだ。国際ニュースの新着欄は、ネモラリス共和国で発生したクーデターの続報で埋め尽くされていた。
昨夜、現地時間二十一時三十分頃、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルでクーデターが発生した。
元将軍ウヌク・エルハイアが率いる武装集団「ネミュス解放軍」は、国会議事堂と議員宿舎、複数の放送局を制圧し、一夜明けた現在も正規軍の治安部隊と睨み合いが続いている。
ネミュス解放軍は、占拠した放送局で職員らを人質に立て籠もり、同じ声明を繰り返し放送している。
政府軍の関係筋によると、議員宿舎に多数の国会議員が拘束されているが、建物に元々施されていた各種防護の術に阻まれ、議員らの安否の把握は困難だ。人質の安全を最優先に対応中だと言う。
ウヌク・エルハイア将軍の姿は確認されておらず、所在は不明。国会議事堂を占拠したネミュス解放軍の兵力の全体像も不明だ。
ネモラリス政府は、軍幹部と政府高官及び、難を逃れた国会議員が中心となって、ネモラリス島第二の都市レーチカ市に対策本部を設け、対応を協議している。
市民らは【跳躍】で他の都市へ逃れるなどし、秋分祭の三連休の中日にも関わらず、通りは閑散としていた。
時折通るのは、人と荷物を満載した力なき民の車で、今のところ、住民の避難は妨げられていないらしい。
二人がニュースに張りついてわかったのは、これだけだ。
「あのコたち、大丈夫かしらねぇ」
フィアールカが端末から顔を上げた。
この個室には窓がない。
王都ラクリマリスのあるフナリス群島の遙か北、ネモラリス島がどうなっているのか、ファーキルにはネットのニュース以上のことは全くわからなかった。
「アウェッラーナさんたちって、今、首都の帰還難民支援センターに居るんですよね?」
「そうね。私はネモラリス島に土地勘がないから、跳んでって様子見て来るのはムリよ」
「あ、いえ、そんな危ないこと……」
ファーキルは、自分の言葉に思わず息を呑んだ。
「……やっぱ、今の首都って、危ない……んですよね?」
「正規軍と解放軍が正面からぶつかれば、とばっちりがあるかもね。でも、今の正規軍のアル・ジャディ将軍もラキュス・ネーニア家の人よ」
「そうなんですか?」
ファーキルの肩から少し力が抜けた。
「じゃあ、今、戦ってないのは、親戚同士で話し合ってるからなんですね」
フィアールカは小さく首を横に振った。
「親戚って言っても、アル・ジャディ将軍とウヌク・エルハイア将軍はそれぞれ別の分家筋だし、仲がいいとは限らないのよ」
「あっ……」
魔道機船でネモラリス島へ渡った十人の顔が過り、ファーキルは頭が真っ白になった。
ソルニャーク隊長たちは、リストヴァー自治区へ帰るようなことを言っていたが、この状況で、ネーニア島行きの船が出ているだろうか。それとも、昨日の内にネーニア島行きの船に乗れただろうか。
連絡手段が何ひとつなかった。
もどかしさに胸の奥が焦げる。
「これ、鎮花茶にしとけばよかったわね。……まぁ、落ち着いて聞いてちょうだい」
フィアールカはすっかり冷めきった紅茶を一気に飲み干した。
ファーキルもカップを手に取り、乾いた舌に湿り気を与える。
「坊やの今日の予定は?」
「グロム市に渡って、腥風樹の情報収集です」
「それどころじゃないって顔してるわね。でも、予定通り、行ってちょうだい」
「えッ? でも、昨日……」
ラクリマリス軍がやっと、夕方のニュースで駆除の進捗状況を発表した。住民の話を拾えば、情報を補足できるだろうが、今となってはあまり意味がないような気がする。
「ネーニア島は北と南でネモラリス領とラクリマリス領に分かれてるでしょ」
「えぇ」
……それが、どう?
「ネモラリス島はアーテルの空襲からはほぼ無傷だったから、住民の移動はあんまりなかったけど、このクーデターの戦闘から逃れたい人たちが、知ってる場所に避難してくるでしょう」
「えっ……?」
「その人たちに話を聞いてちょうだい。拡散する情報は後で精査するから、取敢えず集めるだけ。王都は私たちが手分けするから」
「あ、あぁ、そう言うコトですか……わかりました」
……移動販売のみんなの為に、直接、何かできるワケじゃないんだな。
ファーキルは今、自分に何ができて、何をすればいいかは理解できたが、みんなを助ける力のないことがもどかしかった。
☆夕方のニュースで駆除の進捗状況を発表……「597.父母の安否は」参照




