602.国外に届く声
「馬鹿なことを……」
ラクエウス議員が血の気の引いた拳を握りしめる。
アミトスチグマの支援者宅で、民放ラジオの“故郷の調べ”コーナーのオンエアを確認していた。
不意に音声が途切れ、スタジオに乱入した国営放送のアナウンサーが臨時ニュースを伝える。
居合わせたアサコール党首、諜報員ラゾールニク、歌手オラトリックスも、強張った顔で旧式のラジオに耳を傾けた。
国営放送と、この民放局は、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代から続く老舗だ。離島や山間部に置かれた中継アンテナは、半世紀の内乱で国が分かたれた後も、予算の都合で放置されている。周辺国でも沿岸部なら、少しの工夫で電波を拾えた。
アナウンサーが怯えた声で戸締りを伝えた後、扉が開く音と争う物音が聞え、急に静かになった。
「術で戸締りしたって、それ以上の魔力で【解錠】されたんじゃ、どうしようもないよなぁ」
ラゾールニクが口の端を歪める。
どうやら、DJが大声で唱えた呪文は【鍵】の術だったらしい。
ややあって、女性の落ち着いた声が“ネミュス解放軍”を名乗り、淡々と声明を発表した。ラゾールニクが国営放送に変えたが、ここでも同じ声が流れる。予め録音のテープを何本も用意していたのだろう。
「ウヌク・エルハイア将軍だと?」
「ラクエウス先生のお知り合いなんですか?」
声明に出された名に思わず呟きを漏らすと、ラゾールニクが食い付いた。どうやらこの魔法使いの青年は、外見通りの若者らしい。
「半世紀の内乱中、ネモラリス島の大部分を空襲から守り通した百戦錬磨の武人だ。地上戦はそうでもなかったが、現在のアーテル領から来る爆撃機の大部分を退け、空襲から湖の女神派の信徒らを守ったのだよ」
「ネモラリス島民の命の恩人ってコトですか?」
「そうなるな。ラキュス・ネーニア家の分家筋で、内乱終結の少し前に家族を亡くしてな。『守る者が居なくなった』と言って引退したと聞いておる」
キルクルス教徒のラクエウス議員にとっては、忌々しくも懐かしい名だった。
政府軍を総括した彼は、地上戦ではキルクルス教徒の勢力を積極的に屠ったが、空襲に関しては、都市内のキルクルス教徒居住区も分け隔てなく守った。
曰く、「攻撃が無差別なら、守備も無差別に行う」と。
彼の引退は当時、他の武装勢力を欺く罠だと思われていたが、内乱終結後もウヌク・エルハイア将軍は表舞台に姿を現さなかった。一時は死亡説が流れ、すっかり「過去の人」になった人物だ。
「ラキュス・ネーニア家ってコトは、湖の民で……長命人種……ですよね? 引退するような歳なんですか?」
「いや……確か当時でも四十代そこそこの外見だったな」
新聞記事の記憶を手繰ったラクエウス議員に、オラトリックスが首を傾げる。
「将軍の活躍は、私も覚えておりますが、彼は湖の民だけでなく、空襲に晒された都市の住民みんなを守る為に戦っておりました。この声明……どう解釈すればよろしいのかしら?」
言葉通りに取れば、民主主義の政体からラキュス・ネーニア家とラクリマリス家の共同統治による君主制に戻し、キルクルス教を排除すると言うことだろう。
……自治区はどうなる? 昔のように信仰に折り合いを付けるのは、わしも賛成だが、星の標の連中がどう出るか……?
星の標の目がある内は、リストヴァー自治区の住民がこの声明に従うことはないだろう。
ラクエウス議員と姉のクフシーンカは、自治区内の星の標幹部ならば概ね把握していたが、一般の構成員全てを把握するのは不可能だ。
このままでは、星の標に脅された自治区民とネミュス解放軍が全面衝突するか、内部崩壊してしまう。
ラクエウス議員は自治区民として、溜め息と共に言葉を吐き出した。
「原理主義者の連中が、こんな声明を聞き入れるとは思えん。穏健派が少しでも賛成の気配を見せようものなら、片っ端から粛清して回るだろう」
「それを狙っているのではありませんか? 内部崩壊させれば、わざわざ手間を掛け、手を汚す必要もない……と」
両輪の軸党のアサコール党首が、古ぼけたラジオを見詰めて言った。
彼は、フラクシヌス教の少数派……岩山の神スツラーシを崇拝する宗派の信徒だ。半世紀の内乱中、多数派の主神派や湖の女神派からどんな扱いを受けたか、想像に難くない。
「ラゾールニクさん、クーデターの動きは、全く把握できなかったのですか? 予兆のようなものも……」
「無茶言わないで下さいよ」
話を振られた諜報員ラゾールニクは、慌てて胸の前で両手を振った。
「俺は主にアーテルの動きを探ってて、本土の拠点は潰されちゃったし、潜り込んでたメンテ会社も武闘派のせいで身バレしたし……」
「では、今の情報収集はどのように?」
「リアル情報は街の噂レベルしか取れなくなったんで、ネット界隈が中心なんですよ」
ネモラリス共和国にはインターネットの設備がない。
ネモラリス共和国と交戦中のアーテル共和国と、彼の国を支援するラニスタ共和国、バルバツム連邦、バンクシア共和国などのキルクルス教国や、間に挟まれたラクリマリス王国と周辺のフラクシヌス教国の動きは注視していた。
外患にばかり注目して、内憂に目を向けて来なかったことに臍を噛んだが、今更嘆いても仕方がない。
アサコール党首が白髪交じりの頭を振る。
「……ネミュス解放軍の真の目的は何なのか、協同してもよいのか、できない場合はどうすべきなのか。頭の痛い問題ですね」
「だが、やるしかなかろう」
「じゃあ、まずは情報収集からっスね。アサコール先生は建設業協会の人に、オラトリックスさんは楽団の人に、できれば湖の民や女神派の人から、教団や信者団体がどう出るのかってのをそれとなく聞き出して下さい。俺は俺で色々アレしてきます」
ラゾールニクは早口に指示を出し、机上で充電中だったタブレット端末をポケットに捻じ込んで出て行った。
党首と歌手は【跳躍】の術でネモラリス島とアミトスチグマを行き来できるが、力なき民のラクエウス議員にできることは限られている。
「明日になれば、各国がクーデターを報道するだろう。その時、各国政府と我が国の駐アミトスチグマ大使館がどう出るか……」
「そうですね。……今夜の放送は難民キャンプの方々もネット経由で聴いていたでしょう。ラクエウス先生には、キャンプの視察をお願いしてもよろしいですか?」
アサコール党首の申し出に腹を括って頷いてみせる。
「勿論、ある程度、情報が集まってからで結構です」
「儂にできるのは、そのくらいだからな」
この状況で難民キャンプへ行けば、質問攻めにされるだろう。不安に駆られた人々が自棄を起こして暴徒化しないよう、早急に手を打たねばならない。
残った三人は、それぞれの役割の重さで胃に痛みを抱え、頷き合った。
☆声明を発表……「601.解放軍の声明」参照
☆潜り込んでた清掃会社も武闘派のせいで身バレした……「285.諜報員の負傷」参照
☆本土の拠点は潰されちゃった……「269.失われた拠点」参照




