597.父母の安否は
レノが複雑な顔で「確認室」から出て来た。入れ代わりにピナティフィダが呼ばれ、次にエランティスが呼ばれる。
控室には元移動販売店の六人だけだ。
他の一家は係員に呼ばれて別室へ移動した。
魔法の道具は材料が稀少だったり、【編む葦切】学派の高度な術が必要で、どれも高価だ。
身元確認に使う【鵠しき燭台】や【明かし水鏡】などは、市役所や警察署、裁判所、銀行の本店や大きい支店くらいしか置いていない。
それも数が少ない。これだけ難民が多いのでは時間が掛かって当然だ。
全ての手続きが済むのに何日掛かるのか、クルィーロはうんざりした。
「ラジオ、点けましょうか? ニュースしてるかもしれませんし……」
ロークが自分の荷物から小型ラジオを取りだした。空いた椅子に置き、ノイズに耳を澄ましながら選局ツマミを回す。
クルィーロの耳に聞き慣れた声が飛び込んだ。
「……腥風樹は依然として、ツマーンの森を徘徊しています」
ネモラリス国営放送のアナウンサーだ。
「ラクリマリス王国軍の発表によりますと、昨日正午現在、腥風樹十九本を凍結して捕獲、既にその半数以上が焼却済みです。捕獲された腥風樹は最大のもので高さが三メートル余りに達し……」
「えぇッ?」
ロークだけでなく、クルィーロたちも驚いた。
アーテルの陸軍がラクリマリス領に侵入し、北ヴィエートフィ大橋の東側に腥風樹の種子を蒔いたとの報道から、まだ一カ月も経っていない。
……異界の植物だからか? 大木になったら撒き散らす毒も増えるだろうし、花咲かせて本格的にヤバくなる前に何とかしてもらわないと……!
腥風樹は条件のいい土地を求めて移動する。
今でさえ、ネーニア島ラクリマリス領南部の住民は避難生活を強いられているのだ。地続きの北部……クブルム山脈を越え、ネモラリス領側へも移動すれば、ますます故郷が遠ざかってしまう。
「チヌカルクル・ノチウ大陸東部には、タケって言う植物があって、それは一日で大人の背丈くらいまで育つんだそうですよ」
「それって、この世の植物なんですか?」
薬師アウェッラーナの話に驚き、クルィーロは思わず聞いた。
「えぇ。葉っぱが薬の素材になるそうなんです。西部にはないから輸入品ばかりで、この辺で買うとちょっと高いんですけど、現地ではとてもありふれた植物なんだそうです」
「世の中、知らないコトだらけなんですねぇ」
クルィーロが苦笑すると、ロークとピナティフィダも頷き、場の空気が少し緩んだ。
「タケも、根っこを抜いて歩くの?」
「いいえ。タケの根は地下で繋がってて、大陸東部では“地震の時はタケの林に逃げ込めば助かる”って言われてるくらい、しっかり根を張ってるそうよ」
「タケ、すごーい」
質問したアマナが無邪気に感心する。
「タケの幹や枝は丈夫だけど加工しやすいから、日用品や建物の材料にも使われるんですって」
「東の人は便利な木があっていいねぇ」
アマナが羨ましそうに言って窓の方を向く。
南向きの枠で四角く切り取られたラキュス湖が見えた。窓辺に立てば、港公園の賑いが見えるだろう。
ラジオのニュースが、頭を右から左へ通り過ぎる。
……十九本捕ってもまだあるって、アーテルの連中は一体、何粒蒔いたんだよ。
確認室から出たエランティスがレノにしがみつく。
「じゃあ、いい子で待ってろよ」
次に呼ばれたクルィーロがアマナの頭をくしゃりと撫で、【明かし水鏡】の部屋へ入った。
微かに香草茶の匂いを感じて見回す。
いかにもお役所然とした殺風景な部屋で、茶器の類は見当たらなかった。
水と強い魔力を湛えた銀の深皿の前に座った係員に促され、向かいに腰を下ろす。
型通りの説明に続いて、住所や生年月日など、身元確認に必要な項目を質問された。書類に書いたことばかりだが、それをクルィーロの口から言わせ、魔法の道具【明かし水鏡】を使って偽りがないか確認するのだ。
クルィーロは嘘偽りなく答え、隣席の記録係が黙々とボールペンを走らせる。
正面の係員は、クルィーロが左手を浸した深皿の水面が静穏なのを確認して、次の質問をした。
「空襲後のご家族の安否を教えて下さい」
「家族の……安否……」
「当時同居していたご家族、お一人お一人について、ご無事かどうかと、現在の居場所をお願いします」
係員は水面から目を上げもせず、淡々と言った。
あの日、いつも通りに出勤して、家の前で別れた母の後ろ姿を思い出し、クルィーロは鼻の奥がツンと痛んだ。
……いや、俺が泣いててどうするんだ。しっかりしろ!
自分を叱咤し、ひとつ深呼吸して答える。
「妹のアマナは無事で、俺と一緒にここまで避難してきました。父はあの日、出張でクレーヴェルに居ました。多分、まだ首都に居ると思うんですけど……」
「断定の形でおっしゃって下さい」
「えっ?」
「よくわからないことも、断定の形で言えば、それが事実と一致しているかどうかわかります」
「あ、そっか」
この魔法の深皿【明かし水鏡】は、発言の内容が事実と一致しているかどうかを調べるものだ。
先程の発言は、クルィーロ自身が「実際にそう思っている」ので水面は動かなかったが、事実の確認にはならない。
「父は無事で、首都クレーヴェルに居ます」
銀の深皿を満たす水の面は動かない。
ホッとしたが、同時に困り事も浮上した。
「でも、首都のどこに居るかわからないし、出張先の所在地や電話番号がわからなくて、連絡取れないんですよ」
「会社名はわかりますか?」
「はい」
クルィーロが父の呼称と勤務先の社名を告げる。
記録係が書き留めるのを待って、確認係が続きを促した。
☆銀行の本店や大きい支店くらいしか置いていない……「564.行き先別分配」参照
☆クロエーニィエ店長がくれた【耐衝撃】の【護りのリボン】だ……「413.飛び道具の案」「414.修行の厳しさ」「445.予期せぬ訪問」参照




