0061.仲間内の縛鎖
レノは、妹のピナに掛ける言葉が見つからなかった。
今は、力なき民の自分たちにできることが、何もない。火が消えるのを待つしかない状態だ。
イヤでも自分たちの置かれた状況を意識してしまう。
最初の爆撃は直撃ではなく、近くに着弾したのだろう。それでも、爆風でバスとパトカーと護送車は横転した。
その時、ピナの同級生が五人も亡くなった。
女子生徒一人は重傷で、意識がない。他にも、迎えに来たゼルノー市職員と警官が一人ずつ、大人の避難者も数人、命を落とした。
頼みの綱の薬師は、魔力を使い果たして気を失ってしまった。
ピナの同級生だけでなく、レノたちの父も重傷だ。
レノ自身とピナ、意識のある者たちも、打撲や切り傷、骨折など酷い有様だ。
バスの中で毛布に包まり、運のよかった者だけが、無傷か軽傷で済んだ。
……冬でよかった。
冬だから、毛布を被っていた。
冬だから、コートやマフラー、手袋で守られた。
薄着なら、もっと死傷者は多かったろう。
夏だった場合を想像し、レノは肌が粟立った。
ピナは同級生の中で唯一人、家族と共に居る。
本来、それは咎められることではない。
だが、同級生がピナに向ける眼差しは、冷たかった。
嫉妬と羨望。
自身の無力さへの遣る瀬ない憤り。
この状況を作りだしたテロリストと、政府の遅過ぎる対応への怒り。
家族と自宅がどうなったのかわからない不安。
そんな感情をひとまとめにして、ピナに向けるのだ。
出発前に身を寄せたグラウンドで、避難民のおばさんがこっそり教えてくれた。
警察署のトイレで女子中学生たちが、パン屋の一家への罵詈雑言を口にした。言い難そうだったが、一旦、説明を始めると、その口は止まらなかった。
最後に「妹さん、気を付けてあげてね」と言い添え、そそくさ離れて行った。
そのおばさんは、午前の便で鉄鋼公園を発った。
安全な場所まで、無事に行けただろうか。
炎の壁を見詰め、末妹のティスを抱きしめながら、ぼんやり考える。
バスの中では、父が毛布に包んで抱いていたので、ティスは少し痣ができただけで済んだ。
父は、外傷は大したことがないように見えたが、打ち所が悪かったのか、意識を失ったまま目を覚まさない。
ティスは泣き疲れ、レノの腕の中で眠る。
眉間に縦皺が寄り、安眠ではなさそうだが、レノは敢えて起こさなかった。
ピナは警官に教わりながら、骨折の応急処置を手伝う。
ノートや教科書を丸めて添え木代わりにし、ネクタイやスカーフ、ハンカチなどで固定する。
生き残った級友たちは、一塊になってそれを眺めた。
ピナは、罪滅ぼしのように休みなく、負傷者の世話をする。
兄の自分が口を挟めば、妹と同級生の関係はますます悪化するだろう。手を拱いて見守るしかない。歯痒いが、どうすることもできなかった。
クルィーロも、ピナと級友たちの様子に気付き、レノに小さく頭を下げた。
……こんな連中だって知ってたら、助けなかったのか?
そんな考えが、レノの脳裡をちらりと過ったが、すぐに改めた。
彼らは、自分の意思でクルィーロの呼び掛けに従い、自分の意思で他の同級生を見捨て、自分の足でクルィーロについて来たのだ。
クルィーロは、彼らもついでに守り、鉄鋼公園に連れて来た。
ピナと同級生の関係について、クルィーロには何の罪もない。
……悪く思うのも、謝るのも、お門違いだ。
ピナは、父の意識が戻らないことに安堵さえしているように見えた。
何か言われても、「私だって、お父さんが目の前で死にそうなのに」と反論できる。ここに居る家族がみんな無事なら、もっと肩身が狭かったろう。
……身内が死にそうなのを喜ぶように仕向けるなんて、ロクでもない連中じゃないか。
聞えよがしに、当て擦りやイヤミを言うでもなく、身寄りのない者たちで固まるだけだ。
罵詈雑言を口にしたのも、一応は気を遣ったのか、本人の居ない場所だった。
告げ口されるとは思わなかったのだろう。
明確に危害を加える訳ではない。
それだけに、ピナと同級生の間の見えない壁は厚く、冷たかった。
……「一人だけ家族が居るなんてズルイ」とか、はっきり言ってくれた方が、まだすっきりするよな。
その後、喧嘩や口論にでもなれば、大人たちも仲裁や説得で関係を調整できる。
汚い感情を口に出せば、自分たちの非が明らかになり、みんなに責められる。それを読む知恵はあるから、言葉ではなく態度にだけ出して、一人だけみんなと状況の異なるピナティフィダ・オレオールにぶつけるのだ。
現に、ピナは、そんな「空気」に押し潰されそうだ。
この状況でも、彼らは「みんなの為」のことを何も手伝わない。
ピナや他の負傷者には触れもせず、声ひとつ掛けず、ほんの僅かな荷物運びも手伝わなかった。
自分一人で精一杯なのではない。
彼らの仲間内でだけ声を掛け合い、助け合って車外に出て荷物も持ち出した。
自分たちの感情を最優先し、無言の被害者面で、ピナ一人を責めることに専念する。大人たちから責められないように、巧妙に。
レノには、彼らが「身寄りを失くした同級生」の輪に閉じ籠ったように見えた。
……仲間意識とか連帯感とかが、悪い方に結束しちゃったんだろうなぁ。
レノは天を仰いだ。
公園を発ったのは午後二時。
黒煙の隙間から見える空の色は随分、薄くなった。
日暮れが近い。
避難する途中、何人もの人が運河に呑まれる瞬間を見て来た。
日が沈む前に、少なくとも【簡易結界】がなければ、全員、運河の魔物に食われてしまう。
今は、炎を嫌がって出てこないのだろう。
生きた人間、魔力を持つ人間を喰らい、魔物は確実にあの日よりも力を付けてしまった。【簡易結界】で防ぎ切れる保証はない。それでも、今はそれ以外に頼れるものがない。
警察官の一人は魔法使いだが、魔装警官ではない。力ある民だが、所謂「魔法戦士」になれる程、魔力は強くないのだろう。
クルィーロに使える術は少なく、湖の民の少女は薬師だ。
ここには、魔物を退治する術を使える魔法使いが居ない。
いっそ魔物が受肉して魔獣化すれば、レノでも戦えるが、何の武器もないのでは、勝ち目がないことに変わりなかった。
薬師は気を失い、警官とクルィーロも疲れ切り、立ち上がる気力すらない。
逃げようにも、炎の壁が完全に囲む。
鎮火しても、日没までに安全な場所に辿り着けるとは限らない。
八方塞がりだ。
レノはこんなにも、自分が「力なき民」であることを痛感したことがなかった。
父を癒すことも、火を消すことも、食糧を得ることも、身を守ることも、何も出来ない。
……何か……何か俺にもできることってないのか?
ティスを抱える腕に、我知らず力が籠った。
☆爆風でバスとパトカーと護送車は横転した……「0056.最終バスの客」参照
☆ピナの同級生……「0030.状況を読む力」「0039.子供らの一夜」参照
☆出発前に身を寄せたグラウンド……「0023.蜂起初日の夜」「0040.飯と危険情報」「0041.安否不明の兄」「0049.今後と今夜は」、レノ到着「0050.ふたつの家族」参照
☆彼らは、自分の意思で(中略)クルィーロについて来た……「0030.状況を読む力」「0039.子供らの一夜」参照
☆何人もの人が運河に呑まれる瞬間……「0022.湖の畔を走る」参照




