595.初めての反抗
少年兵モーフは外を眺める気になれなかった。
いつものように係員室には入ったが、小窓に貼り付かず、荷台の床に蹲る。三人だけになったトラックは、エンジンの唸りの他は何も聞こえず、うるさいハズなのにやけに静かに感じられた。
再生機の横に置いたままだったレコードのジャケットを手に取り、もう何度も書き写した天気予報の歌「この大空をみつめて」を心の中で歌う。
この曲が、呪歌の替え歌だとは知らなかった。
元歌の歌手が魔女だったとは、知らなかった。
近所のねーちゃんアミエーラがその魔女の親戚だなんて知らなかった。
生まれてこの方、貧乏で苦労してきたが、カネがあり過ぎても危ないとは知らなかった。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長が、千年茸のお釣りを断るのを呆然と見ていることしかできなかった。
……みんながあんなに断ったっつーコトは、やっぱ、ホンキでヤベーんだよな?
いかにもカネで苦労したことがなさそうなニプトラ・ネウマエには思わずあぁ言ったが、カネがあり過ぎて困る実感があるワケではない。
今のモーフたちは丸腰だ。魔法使いでなくても、強盗に襲われればひとたまりもない。それだけはよくわかるから、みんなに同調した。
……ここの道路は、無事なんだな。
トラックは、ゼルノー市を脱出した時や、マスリーナ市であの巨大な化け物から逃れた時のような揺れ方をしなかった。ラクリマリス王国内を通過した時と同じ、快調な走りだ。
……ホントに、あんなとこでみんなと別れなきゃいけなかったのか?
ソルニャーク隊長の決定に納得が行かなかった。強盗に狙われるなら、一緒に居てピナたちを守った方がよかったのではないか。その思いを拭えず、少年兵モーフは別れの言葉を口に出さなかった。
初めて、ソルニャーク隊長に向けた抵抗の意思表示は、誰にも気付かれなかったらしい。隊長にもおっさんにも、レノ店長にも、何も言われなかった。
店長の横で心細そうにしていたピナを思い出し、少年兵モーフはすぐにでも荷台を飛び降りて、港へ戻りたい衝動に駆られた。だが、荷台の扉は中からは開けられない。
ジャケットに描かれた虹の空を見詰めて歯を食いしばる。
……今更、自治区へ戻って何になるんだ?
作戦の目的はゼルノー市の一部を占拠して、自治区に組入れさせることだった。
貿易港と、しょっぱくない水を汲める井戸が手に入れば、自治区の暮らしは段違いによくなるハズだったが、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で、グリャージ区とミエーチ区は焼け野原になってしまった。
自治区は日々の生活だけでいっぱいいっぱいで、他所の地区の修理なんて無理に決まっている。
自力で歩けない姉は勿論、あの母が姉を置き去りにして逃げるハズがない。
星の道義勇軍の偉い人たちも、あの大火で焼かれてしまっただろう。拠点は廃工場にあった。
ファーキルに見せてもらったインターネットのニュースでは、東岸の大工場以外は跡形もなく、道路を一本挟んだ商店街以西の地区には、新しい街が作られようとしていた。
……隊長は、魔法使いが自治区に入って魔法で火ィ点けんのはムリだっつってたけど、ホントのコトがどうだったかなんてカンケーねぇ。
自治区の住民が「あの大火はゼルノー市の魔法使いが、星の道義勇軍のテロに報復をしたのだ」と思うなら、彼らの中では少年兵モーフたち星の道義勇軍は“余計な恨みを買う真似をした迷惑な存在”に成り下がる。
あの作戦以前は、バラック街の暮らしを少しでも良くする為に清掃や空家の撤去、プランターの設置や小さな畑の整備などをしてきた。
ゼルノー市襲撃作戦も多くの住人が支持したから実行できたのだ。
……戻ったっていいコトなんかひとつもねぇのに、またあのゴミ溜めに戻んのか?
今のモーフはあの頃と違って上から下まで綻びひとつないきちんとした服を着て、寒さを防ぐ立派なコートまで持っている。靴も交換品でもらった中古だが、どこにも穴がなく、底はしっかりしていた。
たくさん作ったお陰で蔓草細工の腕が上がった。姉の足下にも及ばないが、一応、売り物として通用する程度になった。
……こんだけイイ服着てりゃ、凍えねぇだろ。わざわざあんなゴミ溜めに戻んなくても、どこでもやってけんじゃねぇのか?
武闘派ゲリラの連中と協力して、アーテルの空軍基地をひとつ潰した。以前よりも確実に安全だ。腥風樹――異界のヤバい木が放たれたネーニア島なんか戻らない方がいいのではないか、と思い到って立ち上がる。
小窓からフロントガラス越しに見上げた空は青く澄んで、焼け跡で見た空と同じものだとは思えないくらい平和だ。
あの日、クブルム山脈を越えたアーテル・ラニスタ連合軍の戦闘機は、レーチカ市と首都クレーヴェルの一部を焼いたらしい。
ロークのラジオとファーキルのインターネットで知った。
目の前に広がる街並はどこも壊れていない。
不意にトラックが止まった。
「何、止まってんだよ?」
「何言ってんだ坊主。赤信号だろうが」
呆れた声で言われ、フロントガラスの端っこの赤い光に気付いた。
対向車線にも何台かトラックが止まり、その前を歩行者が通り過ぎる。首都クレーヴェルの住人もイイ服を着ていた。いや、これまで通ったどの街の住人も、自治区民のようなボロを着ていなかった。
リストヴァー自治区の外ならどこでも、いいところなのだと思い知る。
信仰のことさえ気にしなければ……
近所のねーちゃんアミエーラは、魔女の親戚だったから、自治区も信仰も全部捨てて、あの魔女について行った。
ピナたちは力なき民だが、敬虔なフラクシヌス教徒だ。
一緒に自治区へ行こうなどと、口が裂けても言えない。
ランテルナ島のゲリラの拠点でも、キルクルス教に改宗してイグニカーンス市へ渡らないかと言ったら、ピナの妹に泣いて嫌がられ、みんなから散々責められた。
……俺にも、ねーちゃんみてぇに魔力があったら……
バックミラー越しにモーフを見ていたメドヴェージが口を開きかけたが、信号が青に変わってエンジンを掛け直した。
無人の焼け跡や人通りのない森の道を行くのとは勝手が違うらしい。トラックはゆっくりクレーヴェルの道路を進む。
ソルニャーク隊長が身を捩って少年兵モーフと視線を合わせた。
「我々は、ネモラリス政府にとって“ゼルノー市を焼き打ちしたキルクルス教徒のテロリスト”だ」
今更何を言うのか、と少年兵モーフは無言で隊長の目を見返す。いつもの澄んだ目に心の底まで見透かされるような気がして、バックミラーを見上げた。
運転手は前方を注視して、モーフの視線に気付かない。
「彼らと共に正規ルートで政府の支援を求めれば、我々が自治区民であることも、テロリストであることも、トラック泥棒であることも、魔法の道具で露見してしまう」
言外に、いつまでも一緒に居てはピナたちに迷惑が掛かるから自治区へ帰るしかない、と諭され、モーフはしゃがんで隊長の視線から逃れた。
……そんなの、わかってらぁ。
同じ説明を繰り返され、少年兵は聞き分けのないコドモ扱いされた気がして眉間に皺を寄せた。
苛立ちを抑えて、これからのことを考える。
キノコのお釣りで大量の宝石をもらった。星の道義勇軍の分け前は魔力を籠められない種類ばかりで、量の割に大した金額にならないらしいが、それでも、三人の当面の生活費やトラックを丸ごと船に乗せる費用として充分以上にあるらしい。
クレーヴェル港の案内板には、ネーニア島行きは運休だと貼り紙がしてあったようだが、その内、何とかなるだろう。
星の道義勇軍に参加しなければ、今頃は工員の八つ当たりで殺されていたかもしれない。鉱毒混じりの井戸水で病気になっていたか、冬に凍えて死んでいたかもしれない。それらから生き延びたとしても、大火に呑まれて母や姉と一緒に焼かれたかもしれない。
市民病院でモーフたちを捕えたのが呪医セプテントリオーでなければ、市民を無差別に殺傷したテロリストの一味として私刑にされていただろう。実際、警察官が止めなければ、病院の事務長はそうしたがっていた。
薬師のねーちゃんたちのバスが近くに居なければ、空襲の炎で生きたまま焼かれたかもしれない。
工員クルィーロたち魔法使いや、【魔除け】の護符を持つロークが居なければ、運河の化け物に食われたかもしれない。
あのみんなが一緒でなかったら、焼け跡で飢えと渇き、寒さにやられて死んでいただろう。
放送局が無事でなければ、トラックがなければ、廃墟と化した街でどこにも行けずに野垂れ死んでいただろう。
あの巨大な化け物から逃げ切れなければ、日のある内にレサルーブの森を抜けられなければ、化け物の餌食になるところだった。ツマーンの森でもそうだ。火の雄牛と闇の塊に食われたかもしれない。
北ヴィエートフィ大橋の守備隊が橋へ逃がしてくれなければ、警備員オリョールが荒んだゲリラを始末してくれなければ、とっくに命を奪われていた。
アクイロー基地襲撃作戦が巧く行ったのも、実行部隊があのメンバーで、後方支援があのメンツで、その上、ファーキルがくれた情報があったからだ。
……何かひとつでもズレて、誰かひとりでも欠けてりゃ、今頃俺は生きてなかった。
この先どうするか考えるつもりが、次々とこれまでの道程を思い出し、考えがまとまらなくなった。
家族を喪い、みんなと別れた今、自分一人の為にどうするかなどと考えられない。
ただ、みんなの許へ戻りたかった。
☆ニプトラ・ネウマエには思わずあぁ言った……「565.欲のない人々」参照
☆焼け跡で見た空……「077.寒さをしのぐ」参照
☆ピナの妹に泣いて嫌がられ、みんなから散々責められた……「343.命を賭す願い」参照




