593.収録の打合せ
カリンドゥラに連れられて、西神殿前の船着場へ行く。
今日も運河は参拝客を乗せた船が行き交い、賑やかだ。
人々を下ろしたばかりの船頭がアミエーラに気付いて目を丸くする。
「この子、親戚なの」
「へぇ、そりゃどうも……妹さんですかい?」
「妹の孫よ」
「姉妹でも通用しますよ」
「あらあら……」
そんなことを言いつつ桟橋から細い船へ移る。
アミエーラは、大伯母に手を引いてもらって恐る恐る乗った。人ひとり分の幅しかないが、どんな魔法を使っているのか、固い地面に置いたように全く揺れない。拍子抜けして、先頭に座ったカリンドゥラの後ろに腰を下ろした。
満員になり、船頭が進行方向を向いて力ある言葉で呪文を唱える。何を言っているのか全くわからないが、歌うような調子に合わせて風景が滑らかに流れた。
シーニー緑地の斜面を段ボールの橇で滑るよりもずっと早く、全く揺れない。運河の畔の街並がどんどん流れて行く。
……トラックの窓の景色もこんな感じ?
アミエーラは助手席に乗る機会がなかったのでわからなかったが、何となくそんな気がした。
今朝別れたばかりのみんなの顔が、とても遠くなってしまったことに気付き、固く手を握る。
……みんなはもう、クレーヴェルに着いたかな?
さっき戻った船が、今朝の船かどうかわからない。あんな大きな船に何かあれば、すぐニュースになるだろう。きっと無事だと言い聞かせる。
三十分足らずで第二神殿前に着いた。大伯母に支えられて降りる。
ここも湾に面し、ラキュス湖に直接祈る人々が居た。
「ここは御神木の秦皮の種子から育てた子孫の樹があるから、陸の民の信者も多いのよ」
確かに、船着き場を行き交う人々は、陸の民と湖の民が半々くらいだ。
「神殿の集会所を貸していただいてるの」
大伯母に手を引かれ、人混みを縫って歩く。
ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエに気付いた信者たちが驚きと喜びの顔を向け、声を掛ける度に大伯母カリンドゥラは歌手の顔で会釈と挨拶を返した。
人の多い場所を抜け、木々に囲まれた小道に入った。急に辺りがしんとして、アミエーラは不安に駆られたが、今更後戻りはできない。
道の両脇にはホテルの庭にもあった青いヒナギクが咲いていた。
クブルム山脈の旧街道を囲む森には雑妖が漂っていた。ここの木立の影には一匹も視えない。気を取り直してついて行く。
曲がりくねった小道の角を曲がると、急に視界が拓けた。
前庭の広い花壇一面に青いヒナギクが咲き乱れ、その真ん中に石畳の小道が続く。突き当りにはどっしりした建物が待ち構えていた。分厚い石壁には、すっかり見慣れた呪文が刻まれている。
……魔物とかが来たら、しっかり守ってもらえそうね。
頑丈そうな石造りの建物にそんな感想を抱き、カリンドゥラに続いて扉を潜った。
「今日は、里謡を調査した人と、ピアニスト、録音してくれる人と神官が来てるの」
「ラジオ局の人は居ないんですか?」
「えぇ。テープに入れた歌を渡すだけよ」
「お歌、今から録音するんですか?」
「録音の係の人は連絡係も兼ねてるの。歌を調べてくれたのは楽団の歌手だし、一人で何役もこなしてくれる人たちなのよ」
カリンドゥラはここをよく知っているらしく、たくさんの扉と通路が並ぶ廊下を迷いなく進む。花が彫刻された扉のひとつで足を止め、ノックした。
すぐに応えがあり、内から開く。
「あっ」
「あれっ? こっち来たんだ?」
思い掛けずラゾールニクと顔を合わせ、驚いた。
……そっか。居てもおかしくはないのよね。
ラゾールニクが何をしているか思い出して、会釈する。同時に、内緒でアミエーラの写真を撮ってカリンドゥラに見せたことも思い出し、知らされた時の複雑な思いが甦った。
録音係を兼ねた連絡係……諜報ゲリラの青年は、やや表情を緩めて二人を中に入れた。
部屋には木製の丸テーブルと立派なグランドピアノがある。
中学校の音楽室以来、久しく目にしなかった光沢のある黒。滑らかな曲線の向こうには、雪を戴いたような白髪の老人が座り、その傍らには大伯母と同じ徽章を着けた年配の婦人が立つ。
「空いた席にどうぞ」
ラゾールニクに促され、八脚ある内の手前の席に腰を下ろす。
向かいの聖職者二人が会釈した。
「ニプトラさん、ご足労いただきましてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、お呼び下さって、ありがとうございます。私でお役に立てましたらよろしいのですけれど」
大伯母カリンドゥラは、湖の民の聖職者に歌手ニプトラ・ネウマエとして微笑を向けた。
「そちらのお嬢さんは……?」
赤毛の聖職者がアミエーラをちらりと見て、カリンドゥラに視線を戻した。大伯母は船頭にしたのと同じ説明を繰り返し、彼らはそれで納得した。
湖の民の神官は、ドーシチ市商業組合長の甥アウセラートルと同じ二羽の白鳥が並んで飛ぶ徽章、陸の民の神官は、葬儀屋アゴーニと同じ蝶の徽章を提げている。
……この鳥は契約……だったかな? 結婚式担当と、お葬式担当ってこと? でも、どうしてここに?
アミエーラは気になったが、どう振る舞っていいかわからず、黙っていることにした。
「みなさんお揃いですし、改めて自己紹介を……私はリャビーナ市民楽団のピアニスト、スニェーグと申します」
「同じく、ソプラノ歌手のオラトリックスです」
白髪の老人と、年配の婦人が名乗った。
……ラゾールニクさんじゃなくて、この二人が歌を調べて回ってるのね。
諜報員ラゾールニクは当たり障りなく「有志を繋ぐ連絡係」と名乗り、聖職者は湖の民がクリューチ、陸の民はギームンと呼称を名乗った。どちらも王都の第二神殿に勤めていると言う。
……讃美歌さん……きっと歌が巧いから、この人もカリンドゥラさんたちと一緒に歌うのね。じゃあ泉さんは?
「歌手のニプトラ・ネウマエです。私生活ではカリンドゥラと呼ばれています。どちらでもお好きな方でお呼び下さい」
「アミエーラです」
取敢えず、呼称だけ名乗った。
余計なことを言って薮蛇になっては大変だ。
湖の民クリューチ神官が、カリンドゥラに楽譜を渡した。急遽加わったアミエーラの分はなく、二人で肩を寄せ合って見る。
……楽譜の読み方なんてすっかり忘れちゃった。
卒業後は目にする機会のなかった譜面にふと懐かしさを覚える。
自治区の暮らしは厳しかったが、楽しい思い出がひとつもないワケではなかった。音楽の授業でみんなの歌声がひとつになった時、何とも言い表しようのない感動と高揚感に包まれた。
聖歌ではない歌があんなに心に響くとは思わなかった。
「あら……この歌……」
カリンドゥラの呟きに隣を見ると、大伯母は眉を顰めてオラトリックスに疑問の視線を向けている。
年配のソプラノ歌手が、ピアノ奏者のスニェーグを促した。
☆知らされた時の複雑な思い……「548.薄く遠い血縁」参照
☆テープに入れた歌を渡すだけよ……ネモラリス共和国の科学文明レベルは、リアル日本の昭和四十年代くらいなので、カリンドゥラは「テープレコーダーを使ってカセットテープに録音して渡す」と言っています。
「カセットテープ」がわからない方は検索して下さい。
こういうの本文中でどのくらい説明すればいいのやら。




