590.プロパガンダ
「そんな怖い顔しないで。確かに、一生面倒を見るなんて無理よ。私の今の仕事は運び屋なんだから」
「でも……」
「今まで運んだのは、アーテル領で生まれて苦しんでた力ある民なのよ」
「でも、その人たちを運んだ後、どうなったか知らないんですよね?」
そう言えば、初めてネーニア島へ【跳躍】した時、そんなことを言っていたような気がする。
力なき民を運ぶのは気が進まない、と。
「王都やネーニア島の知り合いに改宗と魔力の制御方法の勉強を頼むとこまではしてるけど、その先の人生全部なんて、面倒見切れないもの」
「何もない荒れ地に放置したワケじゃないんですね」
ファーキルがホッとしてほんの少し皮肉を籠めて言うと、フィアールカは呆れた目で言い返した。
「モールニヤ市へ行かなかったのは坊やじゃないの」
「俺は、そう言う人たちとは、目的が違うんで……」
「そうよね。……ネットで世界中のキルクルス教国の人たちの話を見たんだけど、何かのきっかけで自分に魔力があるのを知って、教義に存在そのものを否定されて、身近の誰にも相談できずにひっそり命を絶った人が大勢居るそうよ」
湖の民フィアールカが話を逸らす。
ファーキルは、その話題に乗った。
「えぇ。俺も、そう言うの、掲示板とかで色々見ました」
魔力を持ちながら、その制御方法を知らない者は、ふとした弾みで魔力を暴発させ、周囲に大きな被害を与えてしまう。
キルクルス教が“悪しき業”として禁じる魔法を修得し、魔力を制御できるようにならなければ、その人の存在そのものが忌むべきものになってしまうのだ。
このラキュス湖周辺地域では、力ある民と力なき民の混血が進み、両者が混在する家庭もある。
工員クルィーロと妹のアマナのように、両輪の国のネモラリス共和国でなら仲良く暮らせるが、アーテル共和国などキルクルス教に基づく科学文明国では、魔力のある者は息を潜めて一生を過ごさなければならない。
「アルトン・ガザ大陸の北部では、半視力の人が多数派だけど、この辺は力なき民でも霊視力を持ってる人が多いでしょ」
「そうですね。俺も、視えてますし……」
「それって、どう言うコトかわかる?」
今まで考えたこともなかったが、この流れでそう言われれば、辿り着く結論はひとつしかなかった。
「俺は……力なき民だけど、子孫に……隔世遺伝で力ある民が生まれるかも……ってコトですか?」
ファーキルの答えに、湖の民フィアールカがひゅうっと息を鳴らした。
「あなたホントに中学生とは思えないくらい賢いのねぇ」
「ネットで色んな文献、読みましたから……」
「魔物が多くて、血筋的にも純粋な力なき民なんて居ない。神々に守られたこの地では、聖者キルクルスの教えは、みんなの心を捕える呪いの縛鎖と変わらないのよ」
「魔力を持って生まれた人が、生まれてごめんなさいって、自殺するしかないからですか……」
「そうよ。キルクルス教が伝来してから二百年ちょっとの間に、本来ある筈のなかったたくさんの不幸が生まれたの」
「でも……これだけ情報が遣り取りできる時代に、信仰を完全になくすことなんて無理ですよ。どうやってラキュス湖だけからキルクルス教の教えを取り除くんですか?」
どんなに時間を掛けても、無血で信仰を排除するのは不可能だろう。
信仰を無理に取り上げようとすれば、逆にしがみつきたがるものだ。
長命人種のフィアールカは、力なき民の少年にやさしい声で言った。
「時間を掛けて少しずつ、その教えに従えば生きられない、逆に不幸になると自覚させるのよ。今だって、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教徒自身が、教義の矛盾についてネット上でこっそり議論してて、教会はそれを抑えるのに躍起になってるでしょ」
「隠された情報を開示して、本当のことを教えて、自分の頭で考えさせる……それだけで、そんな上手く行くかなぁ……?」
「すぐには無理よ。でも、この戦争の行方次第で、状況は大きく変わる筈よ。現に坊やだって、真実を伝えたくて家と国を捨てたんでしょ?」
「まぁ、そうですけど……」
ファーキル自身は教室の中で浮いていた。
聖者キルクルスの教えを頭から信じ込む家族や先生、同級生たち、近所の人たち、聖職者の誰とも理解し合えず、仲良くもなれない。
彼らとファーキルの間には常に見えない壁が横たわり、同じ湖南語を話している筈なのに、いつもコトバが通じなかった。
いつの間にか、会話を諦めた。
その諦念が更に壁を厚くした。
「坊やは頭がいいから、聖典を読んで、実際の社会の様子と見比べるだけで矛盾に気付いて、信仰心をなくしたのよ。……馬鹿馬鹿しいと思ったでしょ?」
「そんなので頭いいとか言われても……」
ファーキルの困惑に構わず、フィアールカは続けた。
「矛盾点を示してあげるだけで、もっと多くの人が気付くわ。それを教会がどうやって誤魔化してるかとかも付け加えれば、もっと、もっと」
「でも、それじゃ、フィアールカさんの言う、頭良くない人たちはずっと気付かないままですよね? そう言う人たちはどうするんですか?」
「そう言う人たちの大半は、大した意見を持ってないし、自分で考える意思も弱いから『みんながそう言ってる』って言う雰囲気に流されてくれるの。流れを変えてあげれば勝手についてくるわ」
……時代の空気を変えるってコト? どうやって?
「流されない人は?」
「少数派になれば、肩身が狭くなって大抵の人は黙るし、考える力の弱い人たちが少数派の意見に耳を傾けることはないから、大勢に影響なくなる。だから、気にしなくていいのよ」
「でも、今の俺は少数派だけど、ネットじゃあんなに……」
「逆のことが起きるのを心配してくれるのね。ありがとう。でも、大丈夫よ。世界中のキルクルス教社会に坊やみたいな人が大勢居て、もう火種はあちこちで燻ってるのよ」
「燃料を投下したら一気に世界中で大炎上……ってコトですか?」
フィアールカはそれに答えなかったが、自信に満ちた態度が全てを物語っていた。
ファーキルは太い息を吐いて頷き、最後の質問をする。
「じゃあ、広告塔って、具体的に何すればいいんですか? 今、掲示板のそう言う話題を湖南語に訳して転載する作業してますけど、それ以外で」
「自分自身の体験として語ってくれてもいいし、“旅人”としての伝聞形式でもいいから、アーテルで暮らしてた間、矛盾に思ったこと、困ったこと、辛かったこととかをSNSで拡散してちょうだい」
「それだけでいいんですか?」
「それくらいなら、坊や自身がやりたいことの片手までもできるでしょ」
「まぁ、このくらいなら……」
「他のことは他の人に頼むから、生の声を届けて欲しいのよ。無理しなくていいからね」
「……わかりました」
ファーキルは、アーテルを出るまでの暮らしが一気に甦り、胸が詰まった。
☆初めてネーニア島へ【跳躍】した時……「176.運び屋の忠告」参照
☆教室の中で浮いていた……「163.暇潰しの戯れ」~「166.寄る辺ない身」参照




