589.自分の意志で
「心配しないで。私は何も、キルクルス教徒を皆殺しにしたいワケじゃないのよ」
「えっ? じゃあ、どうやって……?」
「坊やも、私に応えて行動してくれた一人よ。まさかこんなに大きな影響力を持つようになるとは思わなかったけど……」
フィアールカが神官を辞め、運び屋になったのは二十年くらい前だとホテルの支配人は言っていたらしい。
アーテル領で弾圧に苦しむフラクシヌス教徒を【跳躍】で王都やネーニア島西部へ逃がしてやる以外の活動もしているのだろうか。
「その端末、日之本帝国製なの、気付いてた?」
「えっ?」
思わず裏返して表示を確認する。
ファーキルが初めて目にする文字と、共通語で確かに日之本帝国製と刻印されていた。
「これって、まさか……」
「そうよ。私と仲間が密輸してアーテル本土で売り捌いてるの。バルバツム連邦とかキルクルス教国にも協力者が居て、政府の検閲や規制を突破するアプリの配布もしてるわ」
ファーキルは今までずっと、自分の意志だけで動いているものだと信じて疑わなかった。
フィアールカの復讐……この地からキルクルス教の信仰を排除する為に、掌の上で踊らされていたと言うことなのか。
不意に足下が湖面となって波立つ錯覚に捕われ、ファーキルは思わずテーブルクロスを掴んだ。湖水色に染められた布は、ファーキルの支えにはなってくれなかった。
「驚くのも無理ないけど、まぁ、お茶でも飲んで落ち着いて聞いてちょうだい。香草茶、追加する?」
「……いえ、いいです」
ファーキルはゆっくり息を吐き、紅茶を口に含んで目を閉じた。飲み下した紅茶が体内で移動する様子に意識を向け、動揺を紛らわす。
胃の腑に落ち付いたところで目を開けると、フィアールカの可哀想なものを見る目と視線がぶつかった。
「私は、機械と知る機会を用意しただけよ」
「でも……」
「知りたくない人に無理強いはしないし、違う信仰を持つ人の命を取ったりなんかもしてない」
「でも……」
「坊やは知りたかったんでしょう? アーテル政府やキルクルス教会が隠す不都合な真実」
それには素直に頷く。
その為に家と家族を捨てて来た。
真実を知って、多くの人に知らせる為なら、命も惜しくないと思っている。
……でも、フィアールカさんたちの活動で大勢のアーテル人が、本当の理由を知らないまま死んだんだ。
「一滴の血も流さずに目的を果たせるに越したことないけど……自分の命を捨てたり、隣人の命を奪ったりしたのはアーテル人自身なのよ。他の選択肢は幾らでもあるのに」
心を読まれたような驚きと不快感で、思わず視線が尖った。
フィアールカは、アーテル人の少年の視線を受け流して話を続ける。
「他の人たちの目的がどうだか知らないけど、少なくとも私は、常命人種の人生……何世代分の時間を掛けてでも、この土地ではやっていけない無茶な教えの呪縛から、ラキュス湖半の人たちを解放するのが目的よ」
「もう何百年も前に伝わって、すっかり定着してるのに、今更……」
ファーキルは呪医セプテントリオーの昔語りを思い出した。
昔は、キルクルス教徒とも隣人としてそれなりに仲良くやって来られたと言う。
現に、アミエーラの祖父母はそれぞれの信仰に折り合いをつけて結婚していた。
だからこそ、この地に住まう力なき民たちの間に、新しい信仰が根付いたのだ。
「それに、他の人の目的は知らないって……信者を殺してでもキルクルス教を排除したい人も居るってことですよね?」
「暴力に訴えてでも排除したいって人たちは、とっくに別行動してるでしょ? 坊やたちが一緒に居たゲリラとか」
「あっ……」
「ラゾールニクさんたちが何回か接触して、協調できないか探ってくれたんだけど……」
「連絡の行き違いで……えっと、スパイとして入り込んでたとこで正体がバレて怪我して、呪医に治してもらったって……」
ランテルナ島の拠点に居た頃、呪医セプテントリオーから教えてもらった。
アーテルを相手にゲリラ戦を挑む人々は一枚岩ではなく、武闘派も幾つか集団があり、どこの組織にも属さずに戦う者も大勢居る。
ラゾールニクは、直接の武力は使わずに戦争を終わらせようとしているグループの情報ゲリラだ、と聞いた。
「共通の敵が居るんだから、バラバラに行動するよりいいんじゃないかって思っても不思議はないでしょ」
「えぇ、まぁ……」
ファーキルの歯切れの悪い相槌に、フィアールカははっきり状況を語った。
「あの拠点のグループからは取敢えず敵認定されずに済んだけど、別の武装グループからは邪魔者扱いで攻撃されたし……」
「えぇッ?」
「あらっ? 聞いてなかったの?」
互いの驚きに沈黙が降りる。
……別の武装グループの攻撃……? ネモラリス人が、戦争を終わらせたい同胞と協力者を襲うだって? 平和になって欲しくない人が居るってこと?
ファーキルは、恐ろしい結論に達した思考を洗い流すように紅茶の残りを飲み干した。
ティーポットからおかわりを注ぐと、淹れたてと同じ湯気が立ち昇る。
フィアールカと二人、湯気の消えゆく先を見詰め、話を再開した。
「まさか坊やがこんなに深入りするとは思わなかったからでしょうね。……警備員たちのグループは、あれでもまだ穏健で常識が通じる方よ」
「そうなんですか?」
「私が聞いた限りでは、ね。アーテル軍の反撃で人数が減って、人が入れ替わったでしょうから、今の方針はどうだか知らないけど」
ファーキルは拠点で過ごした最後の二日間を思い出し、胃がずしりと重くなった。吐き気を堪えて状況を説明する。
「今は……もしかしたらもう、次の人が補充されたかもしれませんけど、十人足らずに減ってますよ」
「そうなの。私が二、三日前に聞いた話だと、呪医と葬儀屋さんと職人さんが抜けて、力ある民が五人、力なき民が十八人加わったそうだけど」
ファーキルは苦い思いで、立ち昇っては消える湯気を見詰めた。
老婦人シルヴァが連れて来た二十人以上のゲリラは、何人が生き残れるだろう。
……ラゾールニクさんは、今もあの拠点に出入りしてんのか。
「大事なことだから、もう一度言うわ。坊やはキルクルス教社会の矛盾に気付いて、そこに居るのが苦しくなったから、真実を知りたくて行動を起こしたの。……自分の意志で」
……フィアールカさんたちの掌の上で転がされてたのに?
湖の民の運び屋は、ファーキルの心を見透かすように言う。
「私たちは、坊やみたいな人たちの為に、外を覗く窓と、出口への扉を用意しただけ。実際にその窓を開いて外を見るか、扉を開いて出て行くかは、本人次第よ」
「外を見て、出て行った後はどうなったって知らないってコトですか?」
……自分の意志……自己責任って言って、責任逃れしてるだけじゃないか。
別の疑問と憤りに駆られ、怒鳴りたいのをどうにか堪えた。
ファーキル自身は命を捨てる覚悟で出てきたからいいが、他の者たちはそうやって煽られて、アーテル領を脱出した後、生活に困って後悔しているかもしれない。
緑の瞳を見る目が尖った。
☆フィアールカが神官を辞め、運び屋になったのは二十年くらい前だ……「535.元神官の事情」参照
☆呪医セプテントリオーの昔語り……「359.歴史の教科書」「369.歴史の教え方」「370.時代の空気が」「371.真の敵を探す」参照
☆アミエーラの祖父母……「549.定まらない心」「555.壊れない友情」「559.自治区の秘密」参照
☆正体がバレて怪我……「285.諜報員の負傷」参照
☆拠点で過ごした最後の二日間……「472.思い知る無力」参照
☆今まで運んだのは力ある民……「176.運び屋の忠告」参照




