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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第一章 印歴二一九一年二月一日
6/3404

0006.上がる火の手

 その第一報は患者がもたらした。

 昼過ぎ、高血圧の老人が、血相を変えて待合室に駆け込んできた。

 「戦争だ!」

 待合室と受付の視線が、白髪の老人に集まる。


 その叫びは、処方箋受付の奥にある調剤室にまで届いたが、大声に驚いただけだ。何を言ったのか、内容は聞き取れなかった。

 老人が、何度も同じ言葉を繰り返す。

 「戦争だ! 戦争! 戦争!」

 中年男性が長椅子から立ち上がり、老人の肩に手を置いて(なだ)めにかかる。

 「じいさん、落ち着け。戦争はもうとっくの昔に終わってるよ」

 「ちっ違う! 俺はボケてない! ラジオつけろ! ラジオ!」

 老人が受付に怒鳴る。


 事務の係長に促され、若い事務員が、防災用品の棚からラジオを引っぱり出した。電源を入れたが、電波状況が悪く、ノイズが酷い。

 若い事務員は、ラジオを持って窓辺へ行き、アンテナを伸ばした。

 「……武装蜂起……国民の……冷静に…………従って……」

 雑音で途切れながらも、国営放送のアナウンサーの声が拾えた。


 待合室の空気が凍りつく。

 老人が、ひとつ大きく息を吐いて言った。

 「……自治区の連中が、武装蜂起したんだ。街に火をかけてやがる」

 患者も職員も、表へ飛び出した。

 付近の住民も、家々の窓から身を乗り出して、湖の方を見ていた。

 坂の下を見降ろすと、南東の方角に煙の柱が何本も上がっている。


 「武装蜂起……」

 「ホントに……また、戦争なの?」

 「普通の火事じゃないのか?」

 「放火でも失火でも、現に燃えてるんだ!」

 「今の時期、風が強いからすぐ燃え広がるし……ヤベーよ……」

 「武器なんか、どうやって手に入れたんだ?」

 「知るかよ。自分で作ったんじゃねーのか?」

 人々の口から様々な憶測が飛び出す。


 陸の民の男が、【跳躍】の呪文を唱えた。心なしか震える声が、結びの言葉を呟くと、その姿がこの場から消えた。

 湖の民たちも、口々に同じ呪文を唱える。

 「鵬程(ほうてい)を越え 此地(このち)から彼地(かのち)へ駆ける 大逵(たいき)手繰(たぐ)り 折り重ね 一足(ひとあし)()ぶ この身を其処(そこ)に」

 事務の係長は、病院へ駆け戻った。


 ラジオからは同じ臨時ニュースが、繰り返し流れている。

 アウェッラーナは丁度、術で薬を作っていて手が放せなかった。一人、調剤室に取り残された薬師(くすし)の耳に、アナウンサーの緊迫した声が入る。


 ゼルノー市南東部、リストヴァー自治区に隣接するグリャージ区で、複数の火災が発生。

 避難した複数の住民の情報によると、自動小銃などで武装した集団が、住民を襲撃。リストヴァー自治区の住民が、武装蜂起したとのこと。

 政府は、治安部隊を派遣するとともに情報の確認を急いでいる。

 「国民の皆さまは、冷静に、身の安全を確保しながら、警察の指示に従って、避難してい下さい。繰り返します……」


 戻って来た事務の係長は、そのまま廊下を走り、奥の院長室へ向かった。慌ただしい足音が遠ざかる。

 完成した薬を容器に収め、アウェッラーナは受付の事務室に入った。


 患者が数人、待合室に戻ってきた。不安に眉を寄せ、受付を覗き込む。

 老婆は、アウェッラーナの姿にホッとした様子で言った。

 「避難するにしても、お薬は要るからね」

 「……そうですね。少々お待ち下さいね」

 老婆を不安がらせないよう笑顔で応え、事務机の上をざっと見た。誰の分の処理がどこまで進んでいるのか、確認する。


 「土竜(タルパ)さーん。お待たせしましたー」

 渡すだけの状態だった患者の家紋を呼ぶ。

 アウェッラーナは三度呼んで諦め、その患者の分をまとめて「保留」のカゴに入れた。


 事務の係長が院長室から戻り、アウェッラーナと交代する。

 「ありがとう。ここはもういい。今あるだけの素材を全て、傷薬にしてくれ」

 アウェッラーナは指示に従い、調剤室に戻った。係長がラジオを待合室に向け、事務室と調剤室の間の戸を閉める。


 魔法使いの薬師(くすし)は、また一人になり、静かな調剤室で傷薬になる素材の在庫を確認した。

 乾燥させた薬草の百グラム梱包が十七箱半、食用油千二百ミリリットル瓶は、未開封一本と残量三分の一が一本。薬草に対して油が極端に少ないが、これだけでも三百回分以上作成できる。


 アウェッラーナは調剤台の上を片付け、掌大(てのひらだい)の素焼きの壺を並べた。

 取敢えず、二十個だけ並べ、袋に半分残った薬草を全て皿に出す。


 油の瓶を開け、右手に干した薬草を持ち、心を鎮めて呪文を唱えた。

 瓶の中から植物油が起ち上がる。宙に漂う油に薬草を千切って入れながら、更に呪文を唱える。

 薬草と植物油が術で結合し、霊的な性質が組み換わる。薬草が持つ治癒の力を引き出し、油の親和、浸透、熱の性質を結びつける。

 呪文の詠唱が進むにつれ、薬草と油が溶け混じり合い、緑色の液体に変化する。

 用意した小さな壺へ順に注ぎ、結びの句を唱えると、液体は粘度を得て、緑色の軟膏になった。


 ……大丈夫よ。大丈夫。だって、自治区の人は「力なき民」なんだし。


 自治区民は誰も魔法を使えない。【跳躍】でいきなり、街の中心部に移動してくる心配はない。

 船も、この辺りのものは全て、魔法を動力とする魔道機船で、魔法使いが動力室で魔力を供給しなければ、動かせない。

 手漕ぎの木造船は小さく、輸送力は微々たるものだ。しかも、今の時期は飢えた魔物がラキュス湖を徘徊している。湖の民など、【魔除け】の術を使える者が同乗していなければ、魔物の餌食になってしまう。

 湖を通って近道される心配も、多分ない筈だ。

 政府の治安部隊が向かっている。道路が封鎖され、車も使えなくなるだろう。


 ……大丈夫、大丈夫。ウチも市民病院も大丈夫。市民病院の隣は警察署だし。もし、自治区民が来たって、きっと守ってくれる。


 アウェッラーナは、何度も自分に言い聞かせながら、傷薬を作り続けた。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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