586.気になる噂話
ファーキルは、針子のアミエーラと一緒に一泊延ばしてもらったが、当然、部屋は別だ。今朝まで一緒だったみんなの居ない部屋に一人で居る。
アミエーラは親戚のカリンドゥラ――歌手のニプトラ・ネウマエと、運び屋フィアールカの三人でティーラウンジに居る。ファーキルも誘われたが、ラゾールニクに用があるから、と誰も居ない部屋で一人になった。
タブレット端末を充電器に挿してメールを開く。
――一応、泊まるとこは手配したけど、ホントに行くのか?
諜報員ラゾールニクは、まだグロム市内の宿泊先を教えてくれない。ファーキルはみんなを心配させない為にあぁ言ったが、互いに念押しと確認を繰り返すだけで、一向に進展していなかった。
……確かに、力なき民の俺が行くのは危ないだろうけど、報道機関がツマーンの森の様子を伝えなくなって何日経つと思ってるんだ?
モースト市とプラーム市、その周辺の小さな漁村や農村の住民は避難を終えた。
呪医セプテントリオーの昔語りと、ネットの魔物図鑑で確認した限り、腥風樹は土の地面しか移動できない。
ツマーンの森は新しく開通した道路で分断され、誰かが敢えて通さない限り、あの異界の樹木はプラーム市とモースト市を結ぶ極限られた地域から出られないのだ。
確かに、アーテル軍は種子を幾つ蒔いたか発表しておらず、根を抜いて移動する毒の樹木を森林内で探すのは至難の業だ。
だが、ラクリマリス軍が駆除の戦果を一切、発表しないのはどう言うことなのか。普通なら、避難者たちを安心させる為に進捗状況を発表する気がする。
ファーキルは首を捻った。
……何か、言えない理由があるんだ。
アーテルの陸軍部隊がモースト市に居座っているのに排除しないことと何か関係があるような気がしてならない。ファーキルは、それを確めて証拠を押さえ、ネットで拡散したかった。
それに、クルィーロが呪符屋の客から聞いた話では、エージャ付近にもアーテル兵が侵入しているらしい。
そちらも、真偽を含めて気になっていた。
アーテル軍が、ラクリマリスの敷いた湖上封鎖の範囲を大きく迂回し、湖西地方上空を経由してネーニア島北部の都市へ至ったと言う噂だ。
湖西地方には強い魔獣が多数棲息し、人間が定住できる環境ではない。上空も勿論、空を飛べる魔獣が居て危険だ。
もし、本当にそんな危険な迂回路を使ったなら、魔法生物を封印した容器を遠距離から射出して廃棄するのとは、危険性が桁違いだ。
エージャ市には何か重要な施設がある筈だが、少なくとも、ネモラリスの一般人のみんなは知らなかった。
ピナティフィダは港と造船所があると言っていたが、クロエーニィエ店長の話では、半世紀の内乱で大打撃を受けて規模がかなり縮小したらしい。
呪符屋だけでなく、魔法の道具屋“郭公の巣”でも別の客が同じ話をして行ったと言う。
……アーテル人ったって、ランテルナ島民が何で軍の動きをいちいち把握して、あっちこっちの店でベラベラ喋ってるんだ?
客が聞いたと言う噂の情報源が不明で、俄かには信じられない。
いや、これ自体が囮情報で、誰かに何か行動を起こさせる為の罠の可能性もあった。
……だから、グロム市って言うか、ネーニア島へ渡るなってコトなのかな?
ファーキルは、諜報員ラゾールニクたちがどんな情報をどれだけ詳しく掴んでいるか知らされていない。
輝度の落ちた端末を撫で、ラゾールニクとの一連の遣り取りを読み返す。
ラゾールニクはのらりくらりと返事を躱し、ファーキルの質問から逃げてばかりいた。今朝になってやっと、宿泊先の目途が立ったと言う。
窓から見える空は清々しい青さで、絶好の船旅日和だ。
移動販売店プラエテルミッサの乗った船が見えなくなるまで見送ったのが、遠い昔のように感じられるが、今朝のことだ。
ラキュス湖畔に住まう者として戦争をやめさせるにはどう行動すべきなのか。
この青空に戦闘機や爆弾を積んだ無人機を飛ばさない為に、何ができるのか。
豪奢な彫刻が施されたローテーブルに端末を置いて考える。
今、実行中なのは情報の拡散だ。
周辺国から見た半世紀の内乱の歴史と記録を共通語に訳してもらって、自前のサイト「旅の記録」に順次載せている。動画の広告収入で翻訳の報酬を支払い、そこそこ順調に掲載できていて、今は次のページの翻訳待ちだ。
旅の記録は日之本帝国のレンタルサーバに置いてあり、アーテル本土の住人は政府の規制で閲覧できないが、仕事や留学、観光などでアルトン・ガザ大陸の国々に行った者なら閲覧できる。
どのくらいの人が、これを目にするかわからない。
わざわざ検索してまで見ようとは思わないだろう。
それでも、SNSや動画サイトでの拡散に期待して、少しでも目にする機会を増やす努力はやめない。
SNSに寄せられるコメントは真偽不明で文責も何もない。
ファーキルはコメントを拡散しないが、仕様で削除できない。ファーキルの記事にぶら下がったコメントの情報を目にして、真偽や価値を判断するのは閲覧者だ。
……みんなと別れたコトはしばらく内緒にした方がよさそうだよな。
力なき民で、一介の中学生に過ぎないファーキルには、できることなど高が知れている。
客観的に見れば、タダの家出少年だ。
発言者の正体が知れれば、たちまち情報の信用度が下がってしまう。
ラゾールニクは何故かはっきり言わないが、ファーキルに何か別のことをさせたいのではないかと言う気がしてきた。
――ラゾールニクさんって、俺のこと、どのくらい知ってるんですか?
正直に答えてくれるとは思えないが、メールを送った。返信を待つ間、ポータルサイトを開く。
魔哮砲は魔法生物
トップページの一番上の文字をタップする手が震えた。
☆エージャ付近にもアーテル兵が侵入しているらしい……「518.いつもと違う」「519.呪符屋の来客」「521.エージャ侵攻」参照




