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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二十三章 分岐

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585.峠道の訪問者

 焚火に炎が()ぜる頃には、すっかり日が暮れていた。

 あたたかいスープと堅パンで人心地つく。


 「……この量では、一晩もたないかもしれませんね。拾ってきます、」

 「私も……」

 「いえ、何度でも言いますが、あなたはこの輪から出ないで下さい。視えるでしょう」

 呪医セプテントリオーが【簡易結界】の外を示して立ち上がると、サロートカは息を呑んだ。言葉を失った少女を残して、薪を拾い集める。


 ……王国軍で数えきれないくらいの夜を野営で過ごしたが、焚火は……初めてだったな。


 少なくとも、記憶にはない。

 どのくらいあれば足りるのか計算できず、木立と結界を何度も行き来する。余っても、誰かここを通る者か、鳥が巣材に使うだろう。

 だんだん【簡易結界】から離れ、峠道を少し戻って枯れ枝を拾い集める。


 薪の束を抱えて九十九折(つづらお)りの角を曲がると、サロートカが立ち上がって誰かと話をしていた。



 焚火から伸びる少女の影が揺れ、【簡易結界】の周囲を雑妖の群が完全に包囲している。この世の火の光は、雑妖をすり抜け、影を作らない。

 焚火を挟んでサロートカと向かい合う人物は、少女より頭ひとつ分背が高いが、顔立ちが判然としなかった。


 「まぁ。道に迷ったんですか」

 「あぁ……寒い……」

 地の底から吹き上がる風のような声に、呪医セプテントリオーは肌が粟立った。


 サロートカが同情する。

 「山は冷えますもんね。こっちで火に当たって下さい」

 その者は、遠慮したのか動かない。


 呪医セプテントリオーは薪を抱え直し、小声で【魔除け】を唱えながらゆっくり近付いた。結びの言葉を残し、改めてその者を見る。

 雑妖が退き【灯】の光が届いても、その者の顔は黒い靄が掛かったように男女の別もわからなかった。


 「あの……遠慮なさらず、どうぞ」

 サロートカは呪医が戻ったことにも気付かず、安全であたたかい場所を勧める。


 「戻りました」

 「あッ……センセイ、おかえりなさい。この人、迷子になって困ってるんで、入れてあげてもいいですか?」

 振り向いた少女の目には生気がない。

 呪医セプテントリオーは結界内に薪を置くと、サロートカには答えず、全力で魔力を籠めて結びの言葉を唱えた。


 「……現世(うつよ)(ことわり)(いまし)を守るッ!」


 その者の憎悪が峠道を冷やし、雑妖を勢い付かせる。【魔除け】に弾かれた雑妖は、数倍に膨れ上がりながら焚火と【灯】の光が射さぬ暗がりへ逃れた。


 呪医セプテントリオーが結界の端に立ち“迷子”を指差して【退魔】を唱える。


 「(とお)らう灼熱の御手以(みてもっ)て、焼き(はら)え、祓い清めよ。

  大逵(たいき)より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ……」


 その者は、底冷えする憎悪と悲しみを撒き散らしながら人の形を崩し、黒い靄となって逃げ遅れた雑妖を呑み込んだ。


 「日々に降り積み、心に(よど)塵芥(ちりあくた)()ぎ祓え、祓い清めよ。

  夜々に降り積み、(ちまた)に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。

  太虚(たいきょ)を往く風よ、日輪翳(ひのわかげ)らす雲を薙ぎ、月を翳らす(もや)を祓え」


 呪医セプテントリオーを中心に淡い光の(さざなみ)が起こった。

 (あた)う限りの魔力を乗せた【退魔】が、場に立ちこめた悪意を浄化する。


 光の漣が二度、三度打ち寄せる度に凝った憎悪が薄くなり、黒い靄が峠道から押し出された。雑妖が靄について行き、【簡易結界】の周囲から居なくなる。


 呪医セプテントリオーは、輪の外へ出てもう一度【退魔】を唱えた。

 影を生まぬ淡い光がひたひたと木立に広がり、雑妖を呑んだ無形のモノを更に木々の奥へ追いやる。

 木立の中までは追ってゆかず、湖の民の呪医は【簡易結界】の内へ戻った。


 「もう大丈夫です」

 多分……と心の中で付け加え、自信のなさを笑顔で隠す。

 呆然と立ち竦む少女は緊張を解かず、震える声で聞いた。


 「今の……何だったんですか?」


 「恐らく、山で亡くなった人の想いです。何人分の塊なのかまではわかりませんが……」

 「人の想い……センセイが魔法でやっつけて下さったんですよね?」

 「いいえ。【魔除け】と【退魔】で遠ざけただけで、直接どうこうしたワケではありません」

 呪医セプテントリオーが、その者の去った夜の森を見遣ると、サロートカは肩を抱いて身震いした。【灯】と焚火の光が届かぬ先から、無数の目がこちらを見ている。


 「火を絶やさないように交代で休みましょう」

 針子の少女を先に休ませ、呪医セプテントリオーは無数の星が瞬く山の空を仰いだ。



 呪医は自分に与えられた呼称の星「北極星(セプテントリオー)」をみつけ、その冴え冴えとした輝きを見詰めた。


 天の中央に座して北を教える星は、ほんの僅かにその立ち位置を変える。ラキュス・ラクリマリス王国軍の軍医だった頃は、野営中にこの星を見上げて交代の時間を計ったものだった。


 聞いた話では、鯨大洋(げいたいよう)鵬大洋(ほうたいよう)を航海する船乗りはこの星で船の位置を測ると言う。


 ラキュス湖の漁師や船乗りが夜に船を出したのは、セプテントリオーが知る限り半世紀の内乱中だけだ。

 日のある内に遮る物のない湖面へ出ると、キルクルス教徒の戦闘機の爆弾や機銃掃射に晒された。

 夜間は、魔物や魔獣が活気付いて危険だが、【魔除け】などである程度防げる分、魔法の射程外から襲い掛かる戦闘機より被害が少なかった。


 ……科学で武装した人間は、化け物より危険……いや、異なる信仰を持つ者を排除しなければならない、と言う思想に取り憑かれた者が危険なのだ。



 生活の基盤が魔法であれ、科学であれ、人間であることに違いはない。

 どんな経緯で成立した神を信仰しても、人間であることに違いはない。


 どんな文明、どんな信仰、どんな民族集団にも様々な人が属している。

 どんな集まりの中にでも必ず、いい人と悪い人が、階調的に存在する。


 特定の集団が全て善人であることはなく、全て悪人であることもない。

 属する集団で他人を裁くなど、愚の骨頂であると何故気付かないのか。



 呪医セプテントリオーは、ファーキルが見せてくれたインターネットの情報と、諜報員ラゾールニクが語ったアルトン・ガザ大陸の様子、リストヴァー自治区の仕立屋の老婆の話を()り合わせた。


 盤石で絶対不変な教えなどない。

 人々が気付かぬうちに、時代に合わせてほんの僅かに変化する。


 北極星(セプテントリオー)がその位置を変えるように。



 道を示す光を見誤れば、船は遭難してしまうだろう。



 フラクシヌス教は、三界の魔物との戦いの頃、信仰が揺らいでラキュス湖が水位を下げた。主神の秦皮(フラクシヌス)が枯れ、代わりに樫が植えられてどうにか事なきを得た。

 呪医セプテントリオーのような一般の信者は秦皮(トネリコ)も樫も変わりなく、主神フラクシヌスとして崇めるが、聖職者たちやラクリマリス王家の人々はどう思っているのか。


 キルクルス教は、聖典の成立過程で既に聖者キルクルス・ラクテウスの教えが変質してしまったらしい。

 直弟子の記録でさえ、聖者の教えを正しく伝えられていない。

 時節に合わせて都合よく解釈を変え、時の権力者に(おもね)った結果のひとつが、アルトン・ガザ大陸南部の植民地支配で、そこから、このチヌカルクル・ノチウ大陸に波及したのが民族自決の思想だった。


 ……それがなければ、今でもラキュス・ラクリマリス王国は存続していたのだろうか。


 そして、今も人々を魔物や魔獣の襲撃から守る騎士団の一員として、軍医を続けていたのか。


 呪医セプテントリオーは、答えのない問いを交代の時間まで考え続けた。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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