581.清めの闇の姿
今から八百年余り前に研究が始まり、七百数十年前に完成した魔法生物だ、とある。
当時はまだ【深淵の雲雀】学派の術者が存命で、魔法生物の研究開発は、厳格に定められた国際条約を遵守する限り、許されていた。
五百年程前に最後の術者が自然災害で亡くなって以来、公式には製造されていない。
災害によって魔道書などの資料や製造器具の大半が失われ、密かに作ろうにも、断片的な情報だけではかなり難しいらしい。
湖南地方の遺跡から未使用で封印された魔法生物発掘されるのは、その災害――大地震によるところが大きい。
魔哮砲は兵器ではなく、魔法生物「清めの闇」だ――と、当時の研究資料に記されている。
主な目的は、雑妖の殲滅、場の浄化、宝石類への魔力の充填の三点だ。
雑妖が涌きやすい狭くて暗い場所にも入り込める柔軟な身は、闇に紛れる色で、元は鼠くらいの大きさだったと言う記述は、ルベルが与えられた情報と一致する。
雑妖から変換した魔力で生命を維持する為、従来の魔法生物のように使い魔の契約者に大きな負担を掛けない。
一般的な魔法生物は、その存在の維持の為に膨大な魔力を必要とし、使い魔の契約を結んで制御できる術者は、魔法使いの中でも王族並に強大な魔力の持ち主に限られる。
この研究が上手く行けば、雑妖退治が大いに捗り、街や村だけでなく、山林などの安全も格段に向上する筈だった。
結論から言うと、実験は失敗に終わった。
雑妖を魔力に変換し、魔法生物の生命維持に回す循環経路は確立できたが、一度に大量の雑妖を与えると魔力を吐き出してしまう。
それは、現在ネモラリス軍が「魔哮砲」と呼んで兵器利用している。威力は開戦以来のアーテル空軍機に対する迎撃実績の通りだ。
安全な運用ができないばかりか、もうひとつの主要な機能「宝石類への魔力の充填」は、力なき民の生活向上に大きな期待を寄せられていたが、完全に失敗だった。
力ある民ならば【魔力の水晶】などを握れば充填できるが、この魔法生物は、魔力を生命維持に回す経路が強固に過ぎ、宝石類に魔力を充填するどころか吸収した。
更に悪いことに、森林内での雑妖駆除実験中、左右口の獣に呑まれてしまった。
完全に研究者たちの失態だったが、迂闊に魔獣を攻撃すると中の魔法生物も破壊してしまう。捕獲して吐き出させる為、ただちに追跡した。
異変はその最中に起きた。
魔法生物を呑んだ左右口の獣が、森林内を駆けながら巨大化した。大木の間に挟まり、動きを止めたのはほんの一瞬で、更に肥大化した身体が木々を薙ぎ倒した。
追い付けたのは、左右口の獣が自ら足を止めたからだ。
元の数倍に膨れ上がった魔獣は、魔哮砲――当時は「清めの闇」と呼ばれた小さな魔法生物を吐き出し、森の奥へ去った。
魔物や魔獣は、この世の生物とは異なり、寿命と成長に限界がない。魔力のある存在を喰らえば喰らう程、大きく強くなり、この世に存在できる「寿命」が延びる。
研究者たちの戦力で太刀打ちできる大きさを遙かに超え、見送るしかなかった。
魔法生物「清めの闇」の身体は消化されず、魔力だけを食われていた。
研究者たちは魔法生物を回収し、ウーガリ山脈東部の研究所へ持ち帰った。連絡を受けた王国軍が討伐隊を組織し、多大な犠牲を払いながらも辛うじて仕留めた。
実験の失敗を悟った研究所員たちは、今後の対策を協議した。
協議は、【深淵の雲雀】学派の魔法生物研究者だけでなく、王国軍の魔獣討伐部門の責任者や高位の文官、聖職者も交えて行われた。
会議は非公開で、当時末端の研究員だった証言者たちには詳細を知らされなかった。
結論は、研究失敗の認定、魔法生物の破棄、ラキュス・ラクリマリス王国内での魔法生物の研究開発の禁止だった。
通常の手続きに従い、失敗作の烙印を捺された魔法生物「清めの闇」は、破壊されることになった。
一般的に、魔法生物には物理攻撃が効かず、「清めの闇」も例外ではない。魔獣討伐隊の騎士が【光の槍】で破壊する――できる筈だったが、この魔法生物は魔法による攻撃の魔力を吸収して成長した。
傍らに控え、大人しくするよう命じた使い魔の契約者は、強大な魔力を受けて急成長した闇色の身体と壁に挟まれ圧死、制御を失った魔法生物は、多くの死傷者を出して研究所から逃亡した。
……ちょっと待て。「ウーガリ山脈東部の研究所」ってウチの近所じゃないのか?
そんなものがあったなどと、ルベルは知らない。
アサエート村から遠いのだろうか。
村長なら何か知っているかも知れないが、待機を命じられた今は帰郷できない。
もどかしい思いでラクリマリス版の湖南経済新聞の続きを読む。
魔法生物「清めの闇」には元々通常の武器が効かない上、魔法による攻撃を加えれば成長することが判明した。
使い魔の契約者を喪い、暴走する魔法生物を止める為、改めて対策会議が持たれた。多くの研究員が命を落とし、中枢に居た【深淵の雲雀】学派は一人も残らなかった為、先の会議には呼ばれなかった他学派の末端研究員も協議に加えられた。
王国軍の【歌う鷦鷯】学派の術者と、契約の【渡る白鳥】や術理解析の【舞い降りる白鳥】学派の末端研究者たちによって、遠隔で魔法生物の活動を止める制御符号が開発された。
「それが、あの歌……?」
思わず呟きが漏れる。
記事の続きには、制御符号によって魔法生物の活動を停止し、封印できたとだけあり、研究所の正確な位置や制御符号の内容については触れていなかった。
……何か事情があって、本当の理由を伏せてウチの村に制御符号を伝えたのか?
将軍たちは密議の間で、制御符号は呪文ではなく旋律だ、と言っていた。歌詞はなんでもいいから、覚えやすいように神話の詞を付けて夏至祭に歌うように仕向けたのだろう。
……共和制百周年の方も、世間がきな臭くなってきたから、万が一あれを悪用された時の対策として、曲を広めようとしてたってコトか。
一人になって落ち着いて考えると、簡単に結論が出た。いや、それ以外の可能性はないと断言できた。
☆魔法による攻撃を加えれば成長する……「438.特命の魔装兵」参照




