580.王国側の報道
魔装兵ルベルは、同僚の奢りで屋台のスープを飲みながら、先程読んだ記事と帰還難民の子らの歌について考えた。
湖南経済新聞のアミトスチグマ版だけでなく、政府がその発表をしたラクリマリス版でも勿論、紙面を大きく割いて詳細が報じられていた。
知らぬは当事者のネモラリス国民だけで、これから各国がどう動き、どうなるのか、全く想像もつかない。
……俺が待機を命じられたことと、何か関係あんのかな?
魔哮砲の秘密を知り過ぎなくらい知り、その制御符号の歌を知る魔装兵。捕獲命令を下されない筈がないが、外出許可は拍子抜けするくらいあっさり出た。
今回も治安部隊が動いたらしく、湖南経済新聞のネモラリス版は「輪転機が故障した」が、内閣府は大騒ぎだろう。
……政治家の結論が出ないから、待機なのか?
事がこれ以上大きくならない内に、魔哮砲を回収した方がいいに決まっている。
何を揉めることがあるのか。
ルベルには争点がわからなかった。
帰還難民の話も大いに気になる。
何故わざわざ、アサエート村の里謡を国立交響楽団がレコーディングしたのか。山奥の寒村に伝わるありきたりな祭歌だ。
いや、魔哮砲の制御符号と同じ旋律なのが特別だが、それは偶然なのか、それとも、制御符号であることを隠して伝える為に祭歌としての歌詞を付けたのか。
何故、内乱の直前に別の歌詞を付けてまで広めようとしたのか。
湖の民の薬師は、戦闘が激しくて音楽どころではなかったと言っていた。
恐らく、レコード販売のハナシは流れただろう。
僅かに作ったレコードが国営放送に配布されたようだが、「女神の涙」と「すべて ひとしい ひとつの花」どちらの題名で出しても似たような意味だ。キルクルス教徒の反発は必至。実際には放送されずに終わっただろう。
ルベルは改めて、故郷の詞を噛みしめた。
ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる
涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る
この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に
涙湛え受け この湖に今でも
魔装兵ルベルが知る夏至祭の詞は神話の説明だ。
暗号化した別の意味が織り込まれているのかも知れないが、どう考えてもわからない。
帰還難民の女の子がくれた詞は、完成後に歌う予定だった歌手ニプトラ・ネウマエの親戚に教えてもらったと言っていた。
詳しい経緯を聞かなかったことが悔やまれる。幼いが丁寧な筆跡で書かれた詞を見ても、夏至祭の歌「女神の涙」の替え歌にしか見えない。
「羨ましいよなー。あのニプトラと一緒に歌ったなんて……」
スープを食べ終えた同僚が溜め息を吐く。視線の先には帰還難民センターのプレハブ。駐車場に急拵えした建物だ。
二人は串焼き肉とフライドポテトを食べ歩き、あいた椅子をみつけて腰を落ち着けた。
彼らももう、センターで荷物を下ろして休憩している頃だろう。
ルベルは具だくさんのスープを頬張ったまま、同僚に頷いてみせた。
「二月からこっち、全然コンサートがなかったの、戦争だからだと思ってたけど、ニプトラが王都へ避難してたからなんだなぁ」
「そうだな。コンサートどころじゃないだろうし……」
「そうでもないぞ。空襲に遭わなかった街じゃ、市民楽団や売れてない歌手が慈善コンサートしてる」
「そうなのか?」
ルベルは意外だった。
てっきり、そんな余裕はないものだとばかり思っていたが、よく考えれば、故郷のアサエート村は開戦前と変わらずのんびりしていた。
リャビーナ市辺りなら、そういうこともあるかもしれない。
……そう言えば、里謡調査の歌手も、リャビーナ市の議員の紹介で来たって言ってたよな。
「俺も仕事がなきゃ、王都へ跳んで行きたいよ」
「おいおい……」
ルベルが苦笑すると同僚は真顔に戻って声を低めた。
「今の任務がなきゃ、すぐにでも王都へ行ってあの記事がホントかどうか確かめたいよ」
「……そうだな」
魔装兵ルベルは記事の内容が事実だと知っているが、【制約】に縛られて何も言えない。
代わりに慰めを口にした。
「あのお婆さんは、アミトスチグマとラクリマリスで新聞を調達してたし、他にも難民支援で行き来する人や、あの子たちみたいに帰国した難民も居る。そう言う人たちの口コミでその内わかるんじゃないか?」
「その頃には、戦況がどうなってるかわかんないけどな」
同僚は帰還難民センターから慈善バザーのブースへ視線を巡らせ、屋台のテーブルに積んだ新聞に話し掛けるように言った。
「情報統制で、国内じゃ検閲がある。口コミでも、迂闊なコト言えなくなるかもしれないだろ。……それ、みつかんないようにしろよ」
「あっ! じゃあ、あのお婆さんは……」
治安部隊に捕まるかもしれないと気付き、ルベルは思わず腰を浮かせた。
同僚が手振りでルベルを落ち着かせ、一番上の新聞を手に取って中面を開く。
「難民のインタビューを見せたいだけなんだろうけど、当局が耳を貸してくれるか……まぁ。土地勘がありゃ【跳躍】できるんだ。人の口に戸を立てるのは無理だ。婆さん一人を捕まえたところで、時間の問題だよ」
人々を黙らせる為、見せしめに処刑される可能性については語らない。
バザーを楽しむどころではなくなり、二人は言葉少なに港公園を後にした。首都クレーヴェル郊外の基地へ戻り、宿舎の自室へ引き揚げる。
魔装兵ルベルは一人になって改めて、湖南経済新聞のラクリマリス版に目を通した。
王国軍は、魔哮砲と接触した部隊を【鵠しき燭台】に掛け、その情報を解析したと書かれている。更に、ツマーンの森に新設されたばかりの道が不自然に抉れた箇所なども同様に調べ、その情報から、濃紺の大蛇と戦った部隊も調べた。
魔哮砲は、約七百年前の記録に残る魔法生物だと結論を出したのは、当時、封印に関わった【渡る白鳥】学派と【舞い降りる白鳥】学派の研究者たちだ。
当時若手だった彼らは、研究の中枢には居なかったが、末端の下準備には携わっていた。実験が失敗に終わったとの決定に従い、封印に使う呪具の制作や制御符号の作成に関わったと言う。
別の記事には、アミトスチグマへ逃れたネモラリスの国会議員たちが「魔哮砲は魔法生物である」との告発をインターネット上に動画で発表したとある。
ラクリマリス政府はこれを受け、水面下で調査を進めていた、との主旨で記事は締めくくられていた。
……告発? 国会議員がアミトスチグマに「逃れた」?
新聞を置き、目をつぶって考える。
議員宿舎襲撃事件が脳裡を掠めた。
当時、旗艦に乗り組んで哨戒任務に就いていたルベルは、その事件には全く関わっておらず、発生を知ったのは数カ月後の新聞報道による。
その記事は、クレーヴェルの議員宿舎が何者かの襲撃を受け、警備兵や国会議員が何人も殺害されただけでなく、多数の行方不明者も出たと報じていた。
あれが、魔哮砲の正体を公表すべきと主張した国会議員と、機密扱いを継続せよと言う議員の対立だったなら、辻褄が合う。
警備兵は当然、機密側についただろう。
どうにかして議員宿舎の【跳躍】除け結界の圏外に出られた者が、ネモラリスの国外へ脱出できた。
最近まで公にされなかったのは、国内を捜索して発見次第、口封じをするつもりだったからだろう。
魔哮砲について知り過ぎたルベルもまた、戦況によってはどう扱われるか知れたものではなかった。
……公表に踏み切ったのは、難民支援で国内外を行き来する人たちから情報を集める為……か。
目を開き、見開き一ページを使って詳細に書かれた魔哮砲の解説に目を通した。
☆慈善コンサート/リャビーナ市辺りなら、そういうこともあるかもしれない……「278.支援者の家へ」「295.潜伏する議員」「305.慈善の演奏会」参照
☆ネモラリスの国会議員たちが「魔哮砲は魔法生物である」との告発をインターネット上に動画で発表した……「497.協力の呼掛け」参照




