579.湖の女神の名
赤毛の大男が歌詞を書いている所へ、レノ店長が戻ってきた。
布の手提げ袋から旨そうな匂いが漂い、みんなの腹が一斉に鳴る。
「お兄ちゃん、お帰りー。今、お歌教えてもらってるのー」
「歌?」
エランティスが駆け寄って得意げに言う。
怪訝な顔で大男たちと妹を見るレノ店長に、ピナティフィダが状況を説明した。
「じゃあ『すべて ひとしい ひとつの花』に別の歌詞があるってコト?」
「えっ?」
赤毛の大男が手を止めてレノ店長を見る。
「それが、この歌の題名なのか?」
「多分、そうだと思いますよ」
「多分? どう言うことだ?」
赤毛の大男に問い詰められ、勢いに呑まれたレノ店長が固まる。ロークは思い切って助け船を出した。
「空襲の後、しばらく放送局の廃墟に避難してたんです。そこでみつけたレコードに、国立ラキュス・ラクリマリス交響楽団が歌ナシで録音してて、歌詞は、後からニプトラさんの親戚の人に教えてもらって……」
「レコードに書いてあった曲名が『すべて ひとしい ひとつの花』で、親戚の人が持ってた手帳に、ニプトラさんのメモがあって、そっちは『ラキュス・ラクリマリス共和制移行百周年記念』だったんです」
気を取り直したレノ店長が言うと、赤毛の大男は眉間に皺を刻んで首を振った。
「今、そのレコードって……持ってないよなぁ」
「えぇ、はい……すみません」
レコードはトラックに積んだままだ。再生機がないのに持ち出しても仕方がない。
ソルニャーク隊長たちがリストヴァー自治区へ戻る途中で、トラックと一緒に放送局へ返してくれるだろう。
赤毛の大男は、ノートに続きを書いてアマナに返した。
「女神の御名だ」
「えっ?」
「今、書いた」
みんながアマナのノートに額を寄せる。
大男は、歌うような調子で神名を解説してくれた。
「湖の女神の御名パニセア・ユニ・フローラは、リンフ山脈より南の地域の古代語で『パニセア』は『パス・イソス』の転訛だ。現代の湖南語に訳すと『すべて ひとしい』で、『ユニ・フローラ』は『ひとつの花』だ」
アマナが広げたノートには力強い筆致で歌詞が書かれ、隣のページに神名があった。ロークの知らない文字に矢印と湖南語の説明が付けられ、各単語がどの意味かわかりやすい。
「嘘だと思うんなら、神官に聞いてみるといい」
「あ、いえ、疑ってるとかじゃなくて、すごく意外で……」
ピナティフィダが両手を胸の前で振って言い繕う。
「だって、昔はキルクルス教徒の人たちも一緒だったのに、女神様のお名前をそのまま曲名にするなんて……」
「元の歌詞のままだったら、その曲名で合ってると思うんですけど……」
湖の民アウェッラーナが、ノートに視線を落とす。
赤毛の大男の手で綴られた曲名は「女神の涙」だ。
フラクシヌス教の神話では、旱魃の龍を倒した後、女神の【魔道士の涙】に水を発生させる術を掛けた。女神の【涙】は「青琩」と呼ばれ、現在も乾きを潤し、湖に水を注ぎ続けていると言う。
ラキュス湖が「涙の湖」と呼ばれる所以だ。
赤毛の故郷の歌が、どんな経緯で共和制移行百周年記念の曲になり、国立交響楽団の演奏でレコーディングされるに至ったのか、ロークには想像もつかなかった。
他のみんな……大男たちも同じ疑問を抱えて黙り込む。
……作曲者が面倒臭くなって山奥の小さい村の歌ならバレないと思って盗作した? いや、ムリがあるな。百周年ってスゴイ記念だし、内乱がなきゃ今頃は国民みんなが知っててもおかしくないのに。
後世に残る記念碑的な曲だ。
作曲家として、命を懸けて一世一代の最高傑作を作って名誉と共に自らの名を歴史に刻みたい、と思う筈だ。盗作だと知れたら、汚名が残ってしまう。
……そんなヤバい橋、フツーは渡らないよな。
それでは、何かこの曲を全国民に広めなければならない理由があったのか。
……作曲者の人がこの人と同じ村の出身とか?
それも何だかしっくりこない。
呪医セプテントリオーの記憶や、ファーキルがインターネットで調べてくれた記録では、当時、民族自決の思想が広まって世相がきな臭くなり、共和制移行百周年どころではなくなりつつあったらしい。
そんな中、わざわざ国立の交響楽団を使って旋律だけレコーディングしたのは、何か相当大きな理由がなければ納得がゆかない。
ロークには、それがどんな理由なのか全く見当が付かないが、疑問は大きな棘になって胸に残った。
「レコードになってたってコトは、ラジオで流したり、レコード屋さんで普通に売ったりするつもりだったんでしょうか?」
思い切って大男たちに聞いてみたが、彼らもさっぱりわからないと首を振る。
赤毛の大男が残念そうに言う。
「俺は内乱後の生まれで、当時のことは知らないけど、レコードが市販されてたら、知ってる人がもっと大勢居るハズだ」
「俺もだ」
連れの大男が言うと、薬師アウェッラーナも首を振った。
「私は内乱の半ば頃の生まれですけど、戦闘が激しくて、音楽を聴く余裕なんてありませんでしたから……」
大男たちが、湖の民の少女を意外そうに見る。胸元で輝く【思考する梟】の徽章に気付き、納得顔で小さく頷いた。
「お兄ちゃん、なに買ってきてくれたの?」
「ん? サンドイッチとチキンフリッター」
エランティスが小声で聞くと、レノ店長は布袋の口を開いてみせた。旨そうな匂いが更に濃くなり、ロークの腹が盛大な音を立てる。
「あぁ、ゴメンゴメン。邪魔しちゃったな」
「歌詞、ありがとう」
「帰還難民は手数料なしで出店できるそうだから、センターで聞いてみなよ。世間は今日から秋分祭で三連休だ。俺の休みは今日だけだから買いに来られないけど……」
「俺は……明日も来られたら来ようかな? 君たち、しばらくはセンターに居るんだろ? 歌詞の続き、思いついたら知らせに行くよ」
赤毛の大男の申し出にアマナが笑顔を見せた。
「それじゃ、大変だと思うけど、元気でな」
大男たちは「すべて ひとしい ひとつの花」の別の歌詞と、よくわからない疑問を残して人混みに分け入った。
頭ひとつ分大きい彼らは、離れても一際目立つ。その姿が完全に見えなくなるまで見送って、食事を始めた。
サンドイッチは油紙で一人前ずつ包まれ、チキンフリッターは三つか四つを串に刺して大型の紙コップに入れてある。飲み物は瓶入りの紅茶だ。
お預け状態だったみんなは、夢中で屋台の料理を食べた。
食休みに紅茶を飲みながら、ピナティフィダとアマナがレノ店長にさっきの話をする。
「それでさっき、赤毛の人はあんなコト言ったのか」
「でも、俺たちに続きを教えてもらっても、どうしようもないんだけどなぁ」
クルィーロが苦笑する。
ファーキルに伝えられれば、ラゾールニク経由で武力に依らず平和を目指す団体に伝えられるが、生憎、ネモラリス共和国にはインターネットの設備がない。
「でも、カリンドゥラさんのおうちは、クレーヴェルとレーチカにあるんですよね?」
「ちゃんとした住所、聞かなかったよ」
「あっ……」
ロークは、エランティスの一言で大きな穴に気付かされた。
「私は、こっちでウチの船がみつからなければ、王都で聞き込みをするので、神殿に託けてきますよ」
薬師アウェッラーナに助け船を出され、ロークはホッとする。
展望台脇のゴミ箱へ捨てに行くと、慈善バザーの日程が貼り出されていた。この三連休中はずっと開き、次は来月。どうやら五月から毎月しているようだ。
一行は荷物をまとめ直し、帰還難民センターへ向かった。




