578.ふたつの歌詞
「ホント? 今の歌、知ってんの?」
「うん。ちょっと歌詞が違うけど、知ってるよ」
エランティスが、ピナティフィダにしがみついたまま答える。
「歌詞が違う? その歌、教えてもらっていいかな?」
赤毛の大男が向き直って腰を屈める。その勢いと体格に、女の子たちが引いた。
連れの大男は、赤毛の大男が精いっぱい小さくなった姿を見て笑いを噛み殺す。
「知ってるったって、途中までですよ。半世紀の内乱で作詞が途中になっちゃったそうで」
「えっ? どういうことか、詳しく教えてくれないか?」
答えたクルィーロに赤毛の大男が勢い込んで聞く。
クルィーロはアマナの肩を抱いて、薬師アウェッラーナを見た。内乱中に産まれた湖の民の薬師が、答えを引き受ける。
「共和制移行百周年記念の歌で、曲は先に完成したそうなんですけど、歌詞が完成する前に内乱が始まって、それっきりなんだそうです」
「誰に聞いたんだ?」
「ニプトラ・ネウマエさんです。歌手の……」
「ホントか? いつ、どこで会ったんだ? サインもらった?」
今度は連れの大男が食い付いた。
「ついさっき……王都を出航する直前に一緒に歌ったんです」
「サインはもらってないの。ごめんね」
「うーあーあー……うーらやましーいぃ!」
大男が大袈裟に身悶えして、みんなは思わず吹き出した。
「帰還難民……なのか」
赤毛の大男の気の毒そうな声に笑いが引っ込む。
アマナが元気いっぱいの笑顔で言った。
「難民キャンプで流行ってるお歌なの」
「へー、途中なのに流行ってるんだ?」
連れの大男も屈んで小学生の女の子に視線を合わせる。
……流行ってるって言うか、俺たちが歌って、ファーキル君が録って、ラゾールニクさんたちが流行らせたんだけどな。
「途中のお歌は、歌詞を募集中なの」
「他のお歌も流行ってるよ」
アマナとエランティスも、事情を完全に明かすのは危険かもしれないと思ったのか、適当に濁して話をすり変える。
大男は二人とも興味津々で言った。
「途中でもいいから、そのお歌、教えてくれないかな?」
「うん。いいよ。その代り、お兄さんが歌ってたのも教えてね」
赤毛の大男はアマナの交換条件をふたつ返事で飲んだ。
……さっきはイヤがってたのに?
彼にとってどんな思い入れがあるのか知らないが、特に断る理由もない。六人は横一列に並んで歌った。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる……」
「俺たちが知ってる歌詞はここで終わりです」
あっという間に歌い終え、クルィーロが恐る恐る言う。
険しい顔で考え込んでいた赤毛の大男は、夢から醒めたような目で六人を見た。
「確かに……全然違う歌だな。俺が知ってるのは、夏至祭で歌う里謡で、神々を讃える歌詞なんだ」
「内乱中にできた歌なんですか?」
……割と新しくて、伝統って言う程じゃないんだな。
ロークが聞くと大男は首を横に振った。風が吹き、燃え立つ色の髪が本物の炎さながらに揺れる。
「祭の歌としては新しいが、村長の話じゃ、七百年くらい前にできたらしいから……」
「えっ? じゃあ、そのお祭りの曲を百周年の歌に?」
ロークたちの驚きに、赤毛の大男も困惑を隠しきれない顔で頷く。
六人は空腹も忘れて顔を見合わせた。
……どう言うことなんだ?
ラキュス・ラクリマリス王国が共和制に移行した百周年を記念する歌で、当時はキルクルス教徒もフラクシヌス教徒に混じって暮らしていた。
何故わざわざ、フラクシヌス教の祭礼の旋律を流用したのか。
……キルクルス教徒にバレたらガチ切れされそう……って言うか、バレたから作詞者が消されて、完成させられなかったとか? いや、でも、じゃあ、何で国立の交響楽団が曲だけレコーディングしたんだ?
村長から聞いたと言うことは、少なくとも赤毛の大男は歌が作られた七百年前には産まれていないのだろう。
「どこの里謡ですか?」
「アサエート村……ウーガリ山脈の東の端っこの山の中にある小さい村だ」
薬師アウェッラーナの質問に、赤毛の大男は知らないよなぁと言いたげに答えた。
「麓にリャビーナ市があるんだけど、知ってる?」
初めてネモラリス島へ渡った六人は同時に首を振った。
ロークは地理の授業で習って、リャビーナ市の名は知っているが、小さな山村までは流石に知らない。
「えっと、お祭のお歌、教えてくれますか?」
アマナが、疑問が渦を巻いて澱んだ空気を変えてくれた。赤毛の大男はアマナに微笑むと、背筋を伸ばして村に伝わる祭礼の歌を朗々と詠じた。
「ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる
涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る
この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に
涙湛え受け この湖に今でも……」
ロークたちが知る「すべて ひとしい ひとつの花」と同じ旋律で、湖南語の歌詞だが、彼は魔力を乗せて歌っているのか、呪歌の詠唱のように聞こえた。
アミエーラの手帳に記されていた部分の少し先まで歌って、赤毛の大男は不意に歌うのをやめた。
レコードで聴いた主旋律は、ここから先がサビだ。
一番いいところの手前で止められ、ロークは何とも落ち着かない気持ちで赤毛の大男を見た。
「俺、夏至祭であんまり真面目に歌ってなかったから、空覚えで、ここから先はちょっとよくわからないんだ」
「あ、いえ、ありがとうございました。ホントに……全然違うって言うか、普通に神話の歌なんですね」
赤毛の大男が小さく見えるくらい恐縮すると、クルィーロが代表して礼を言った。
……見た目怖そうだけど、やさしい人なのかな?
ロークは改めて赤毛の大男を観察した。
鮮やかな炎色の髪のしたにある顔はコワモテだが、よく見ると目の光は穏やかでやさしげだ。
連れの大男と同じ徽章を提げている。
ロークが見たことのない徽だ。猛禽類だから戦いに関する術なのだろうと予想が付くが、どんな学派なのかはわからない。
二人とも元々体格がいいのだろうが、それを更に鍛えた分厚い筋肉が服を押し上げ、見る者を圧倒する。服の要所に力ある言葉で数種類の呪文が入り、徽章を見なくても力ある民だとわかった。
クルィーロのマントやアウェッラーナのコートより呪文が多いのは、彼らが二人より魔力が強いからなのだろう。
……魔獣駆除業者の人なのかな?
赤毛の大男は、襟に花弁形の飾りを着けていた。
厳つい男性には不釣り合いで、恋人の趣味で選んだプレゼントを無理に着けているのかと勘繰ってしまう。
「書く物持ってくればよかったなぁ。知ってる歌と混ざって覚えられないや」
「歌詞、あるよ」
アマナが列を離れ、手すりの傍に置いた荷物から歌詞を書いたコピー用紙とノートとペンを取り出す。
「お兄さんが知ってるお歌、書いてもらっていいですか?」
「お安いご用さ」




