577.別の詞で歌う
トラックが見えなくなるまで手を振って、後にはゼルノー市民の七人が残された。
「ネーニア島行きの船は当分ないんだから、一緒にセンターで待てばいいのに」
「身分証の再発行って言うか、身元確認で【鵠しき燭台】とか使いますから……自治区民だとわかったら、警察に捕まりますよ」
ロークのこぼした疑問に、薬師アウェッラーナが溜め息混じりに答えをくれた。
すっかり失念していたが、あのトラック自体、国営放送ゼルノー支局で無断拝借した「盗難車」だ。トラックで行った星の道義勇軍の三人は、その罪を丸ごと引き受けたに等しい。
ロークはトラックが去った方を見て、胸が詰まった。
はぐれないように兄妹たちが手を繋ぎ、他人のロークと薬師アウェッラーナも一緒になって港公園に入る。
ポスターを貼りつけただけの段ボールの看板が、街灯の支柱で風に揺れ、パタパタ音を立てた。今日から三日間、慈善バザーをするらしい。
「どうせ、公園を横切るんだし、ちょっと覗いてみようか?」
レノ店長に反対する者はなく、大荷物を抱えて広場への坂を上った。
鍋、食器、古着、古本、タオル、石鹸、玩具や日用品などの中古品に混じって、焼き菓子やお茶、手芸品などのブースもある。
ゼルノー市よりも湖の民が多く、なだらかな丘に連なる敷物の間を行く人の流れが、草地に見えた。
「北隣……か。坂、キツイですね」
ピナティフィダが珍しく弱音を吐く。
レノ店長が、荷物をひとつ持とうか、と気遣うが、ピナティフィダは断って足を進める。店長も同じように大荷物を抱え、とてもこれ以上持てるように見えなかった。
時折、人にぶつかって平謝りしながら、何とか展望台に辿り着いた。
出店がないからか、人は疎らだ。
七人はどっと疲れが押し寄せ、その場に座り込んだ。
帰還難民センターは目と鼻の先だが、とても動けそうにない。
風に乗って旨そうな匂いが届き、盛大に腹が鳴る。
大荷物で手が塞がっているせいで、ここに来るまでに見た屋台は全て素通りした。
景色を眺める余裕もなく、エランティスがべそをかく。
みんなを心配させてはいけないと思っているのだろう。唇をきゅっと結んで涙と弱音を堪えるのが、ロークの目にもよくわかった。
レノ店長が荷物を置いて立ち上がる。
「屋台で何か買ってくる。クルィーロ、みんなを頼む」
「あぁ、気を付けてな」
ピナティフィダが荷物から手作りの布袋を出して、レノ店長に渡した。
肉などを焼く屋台は、近隣の飲食店の出店なのだろう。什器はどれもプロ仕様だった。
レノ店長のウェストポーチには、安物の宝石が少しだけ入っている。残りは鞄の底だ。センターで荷物の点検があるかもしれないが、それまでは用心に越したことはない。
まだ浅い秋にトレンチコートを着たレノ店長の姿は、遠目にも周囲から浮いて見えた。
すっかり人混みに紛れるまで見送って、ロークは立ち上がり、展望台の手すりにもたれた。
穏やかな湖の青に陽光のきらめきがちりばめられ、宝石箱をひっくり返したように輝く。今朝、分けたばかりのオパールやトパーズの輝きを思い出し、ロークは少し気が重くなった。
運び屋フィアールカが千年茸の対価としてスクートゥム王国の商人からもらってきたのは、どれも魔力を籠められない安物だ。
小学生のアマナとエランティスを除くみんなは、針子のアミエーラが余り布で作ってくれたウェストポーチに少しずつ宝石を入れていた。
宝石としては安物だが、装飾品や魔法の道具に組込めば魔力の流れを誘導できるので、素材としては、その辺の石ころとはワケが違う。
石の重量以上に心が重い。
……帰還難民センターで色々手続きして、仮設住宅に入居して、それから……?
みんなには復興作業員として働くと言ったが、この先、生きて行く気にはなれなかった。
チェルトポロフは無事だったが、チスとヴィユノークの安否は不明。チェルトポロフの家族は姉以外残らなかった。
テロの情報を知りながらみんなを見殺しにしただけでなく、武闘派ゲリラの一員として、アーテル兵を人数の確認もできないくらい手榴弾の餌食にした。人殺しになったロークが、のうのうと「幸せへ至る道」を歩むなど、どの面下げて言えるのか。
ロークのような力なき民の高校生でも、武器さえ手に入れば、プロの軍人相手でもそれなりに戦えるとわかった。
……正規軍の足引っ張ってる政治家を暗殺してでも止める? いや、呼称もわかんないんじゃ、ムリだな。
こんなことなら、もっと父の話をちゃんと聞いておくのだった、と後悔がひたひたと胸に満ちる。
……シルヴァさんが勧誘に来るのを待って、ランテルナ島へ戻ろうかな?
警備員オリョールに言えば、協力してくれるかもしれない。だが、無差別ではいけない。
ちゃんと情報収集して、誰が獅子身中の虫で、ネモラリス政府を内から蝕んでいるか見極めねばならない。
……でも、どうやって?
情報収集の手段すら思いつかない自分に嫌気が差す。
ロークたちを乗せて来た魔道機船が、ここからでは玩具に見え、港湾労働者は蟻のようだ。
「こんなとこで歌うのか?」
「いいじゃないか。他んとこより人が少なくて」
傍らで交わされた会話に思わずそちらを見る。
若い男性二人で、どちらも見上げるような大男だ。手ぶらの男性が厳つい顔に困惑を浮かべ、赤毛の頭を掻く。鞄を肩に掛けた大男は、からかい混じりに言った。
「聴衆が居る方が張り合いがあっていいだろ?」
「ないよ。恥ずかしい」
二人とも逞しい体格で、傍に立たれただけで威圧感がある。
振り向くと、他のみんなも呆然として大男たちを見ていた。
「でも、約束は約束だからな」
「あぁはいはい。わかったよ」
連れにつつかれ、赤毛の大男は港の方を向いて大きく息を吸い込み、朗々と歌い始めた。
「ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる……」
「えっ?」
ロークはよく知っている旋律に思わず横顔を見上げた。
水平線の彼方に歌を投げる赤毛が、驚いた顔をこちらに向け、眉を下げる。
「ごめんな。うるさいよな。……ほら、やっぱりダメだって。宿舎に帰って……」
「夜勤明けの奴らの安眠を妨害する気か?」
連れの大男は、どうあっても赤毛に歌わせたいらしい。
……罰ゲームか何かなのかな?
「あ、いえ、うるさいとかじゃなくて、知ってる歌だったんで、ちょっとびっくりして……」
ロークの言葉と同時に移動販売店のみんなが頷く。
鞄を持った大男が、目を丸くして大荷物の一行を見回した。
☆自治区民だとわかったら、警察に捕まります……「202.ネットの環境」参照




