575.二カ国の新聞
魔装兵ルベルの外出は驚く程あっさり許可されたが、行き先は首都クレーヴェルに限定された。
私服の襟には帰省時と同じ【花の耳】の花弁部分を装着し、本部から呼出しが掛かれば、基地に舞い戻らねばならない。
「よかったじゃないか。許可出て。街へ出るの久し振りなんだろ? 見物がてら、港までゆっくり歩こう」
同僚が屈託なく笑ってルベルの肩を気安く叩く。
彼の呼称を聞きそびれたルベルは、厳つい顔に気マズい愛想笑いを浮かべた。
二人は連れ立って、首都クレーヴェル郊外にある基地の門を出る。
ルベルの上着のポケットは緑青飴十粒入りの小袋で膨らみ、同僚はレコードと交換する不用品を詰めた鞄を肩に掛けていた。
明るい朝の光の下で見る門は、相棒のムラークを喪った夜とは別の場所に見えた。
魔物対策で血痕はすっかり片付けられ、土の地面はキレイなものだ。頭の芯をガーゼで包まれているようで、現実感がない。
……あれは、本当にあったことなのか……?
「遅くなるとメシ屋が混むからな。街の門までは【跳躍】しよう。鵬程を越え、此地から彼地へ……」
同僚はルベルの返事も待たず、手首を掴んで跳んだ。
一瞬の浮遊感の後、首都クレーヴェルの門を見降ろす丘に立っていた。
首都は魔物などに対抗する為、防壁には【跳躍】除けなどの結界が施されているが、中に入ってしまえば、公道上や広場など一部の公共の場所などでは跳べる。
「今日の慈善バザーは、港公園なんだ」
「ふうん。じゃあ、着くのは昼前だな」
「屋台が出てるそうだから、何か食いながらレコード探そう」
半年前の空襲跡が修復され、そこだけ石畳が新しい。
崩れた建物は撤去され、地主の厚意でプレハブの仮設住宅が並ぶ。力なき民が多いのか、たくさんの洗濯物が空きスペースの物干し台ではためいていた。
道行く人の服装から、地元民と避難民がはっきりそれとわかる。
仮設住宅の薄い戸が開き、よれて薄汚れた姿の男性がどこかへ急ぐ。
……力ある民なら、洗濯も楽にできるのになぁ。
仮設入居者の力ある民には、隣人の洗濯物を引き受ける余裕がないのか、力なき民に洗濯の駄賃を払う余裕がないのか。
それとも、ルベルには想像もつかない何か別の理由があるのか。
湖の民の地元民は、きちんとした身なりでゆったり歩いていた。
「慈善バザーなんだけどさ、地元民は売上の八割を寄付に回して、帰還難民は丸ごともらえるんだとよ。折角来たんだし、何か買ってやんなよ」
「緑青飴しか持って来てないぞ?」
「いいじゃないか。ルベルみたいに湖の民と取引するのに便利だし、いらなきゃ向こうが断るだろ」
通り沿いの飲食店がランチの仕込みを始め、あちこちから旨そうな匂いが漂う。食料品店の店先では、昼食の買物客が値切り交渉に姦しい。
郵便配達の自転車が、車道にまで溢れた買物客にベルを鳴らして先を急ぐ。
……手紙……!
正規ルートを通したら検閲がある。
親戚など、秘密を守ってくれる人の手を介せば、アサエート村の両親に夏至祭の歌の歌詞を送ってもらえるかもしれない。
……いや、ダメだ。クレーヴェルにそんな知り合い、居ないや。
麓のリャビーナ市に出稼ぎへ行く者は居るが、ルベルの知る限り、首都まで足を運んだことのある村人は、ルベル自身だけだ。
同僚が何か面白そうなものをみつけては、話し掛けてくれるが、ルベルは上の空で生返事して、街の景色は殆ど目に入らなかった。
港公園の広場は、戦争中とは思えないくらい賑っている。
慈善バザーの出店は、古本、古着、食器、贈答用のタオル、石鹸、手作りの小物やクッキーなどの菓子類やドライフルーツなどの保存食が多かった。
不用品を持ち込んだのは地元民だけだろう。
手作り品は、地元民と帰還難民の両方で、中には「魔力を補充します」と言う看板を出して、力ある民が座っているだけのブースもあった。力なき民が【魔力の水晶】を持ち込んで、魔力の補充と引き換えに渡した様々な品が、背後の箱に入っている。
同僚はレコードを並べる小さなブースで足を止めた。
「ニプトラ・ネウマエのレコードってありますか?」
「俺の手持ちにはないけど、こっちの箱にはあるかもしれないなぁ」
店番の男性がぎっしり詰まった段ボールを指差した。
二人が首を傾げると、年配の男性は箱をつついて苦笑する。
「友達から預かった分で、俺も何が入ってるか覚えてないんだ。自分で探してくれないか?」
「そうなんですか。じゃあ、ちょっと見せて下さいね」
同僚は箱の前にしゃがみ、一枚ずつ引っ張り出して確認し始めた。
「俺、あっち見て来る」
「うん。わかった。ここで待ってる」
ルベルは同僚を置いて人の流れに乗った。
鍋や食器、ノートや筆記具などの文房具、タオル、石鹸、鞄、古着、帽子や手袋などの小物、玩具、古本、雑貨類。帰還難民が作った手作りの布袋は、買った物を入れるのに丁度良く、交換品の箱がいっぱいだ。
意外と売れているようで、魔装兵ルベルは他人事ながらホッとした。
蔓草で編んだ小物入れや鍋敷き、コースター、香草を干して作るお茶やタンポポの根の代用珈琲、傷薬になる薬草を干した物など、素材を売る者も居る。【灯】や【炉】など安価な呪符屋、呪符の素材になる虫や植物、銀のペンや乳鉢など、専門的な物を売る業者のブースもちらほら見かけた。
「飴と新聞、交換しますよー。湖南経済新聞、ラクリマリス版とアミトスチグマ版」
ルベルは老婆の声に立ち止まり、新聞売りのブースを探す。
ネモラリスでは検閲で載らない記事も、ラクリマリスとアミトスチグマでは止められない。
外部から客観的に見た自国の姿を見たかった。
「国内版に載ってない記事も読めますよー。難民キャンプの避難者インタビューもありますよー」
少し離れた所に人集りをみつけた。
輪を外れた者が歩きながら新聞を広げる。
大股にそちらへ向かうルベルに、通行人がギョッとして道を開けた。
「日持ちする飴なら何でもいいですよー。新聞一部に飴ひとつー」
老婆の後ろには、緑青飴と、その他に分けた蔓草細工の籠が幾つも置かれ、既に山盛りの籠もあった。
上品な老婆は白髪で、陸の民か湖の民かわからない。
陸の民は緑青飴を食べられないが、湖の民との交換品には使える。
ブースには、売店の新聞売り場以上に積んであった。
「こちら側はアミトスチグマ版、反対側はラクリマリス版。どちらも最近の一週間分で、最新版はそれぞれ一番端の山ふたつ」
ルベルの手持ちは緑青飴十粒だけだ。
陸の民のルベルには食べられないので、全部渡すのはいいが、各一部なら四粒足りない。
品のいい老婆は恐らく、外国へ避難した知り合いの安否を知らせるボランティアのつもりなのだろう。
破格の安さから更に値切るのは気が引けた。
見れば、買物客は老婆の言い値以上の飴を気前よく渡している。
どの版のどの日の分を諦めるか悩ましい。
他に何かないかズボンのポケットを探る。
ハンカチ一枚きりだ。
……洗って、どこかで飴と交換してもらおう。
飴を売るブースを探しながら噴水へ向かった。
食べ物を扱うブースは、材料が無料で手に入る野草のお茶類や、キノコや山菜の乾物、趣味で作る者が多い焼き菓子類、業者のドライフルーツなどばかりで、飴を売る者は見当たらない。
飴は対価の端数、お釣りなどの調整に使われることが多く、菓子屋でない物がわざわざ作って売るような物ではなかった。
飴売りが見つからないまま噴水に辿り着き、ルベルは【操水】で念入りにハンカチを洗った。
タオル地のハンカチは、最近手に入れたばかりで、まだ傷んでいない。
ルベルは新聞売りの老婆のブースへ向かう道すがら、片っ端から声を掛けて回った。
「飴が欲しいんですけど、ありませんか?」
「今日はお釣りいらないから、持って来てないんですよ」
「交換品でもらった中にもありませんか?」
「今日はまだもらってないんですよ。すみませんね」
「いえ、こちらこそ……お邪魔しました」
店番の人々は、大柄で厳つい赤毛のルベルに声を掛けられ、ギョッとする。
欲しい物に怪訝な顔をしながらも、ちゃんと答えてくれた。
幾つかのブースは飴を持っていたが、数が足りなかったり、使用済みのハンカチとの交換を断られた。
ルベルは老婆のブースに背を向けて港へ歩きながら、飴を持っているブースがないか声を掛けて回る。
……倉庫街の方に香草か薬草が生えてれば、さっきのとこで換えてもらえないかな?
使用済みハンカチとの交換は断られたが、今、確実に飴を持っているのは、不要な食器を持って来た地元民のブースだった。
「えっ? 四粒でいいのかい? どうせ食べられないから、お兄ちゃんに全部あげるよ」
手編みのセーターやマフラーを売る黒髪のおばさんが、使用済みのハンカチと緑青飴七粒を換えてくれた。ルベルは何度も礼を言い、老婆のブースへ急ぐ。
「一種類ずつ、全部下さい」
ラクリマリス版にはまだ余裕があったが、アミトスチグマ版はギリギリで間に合った。
他に何も欲しい物はない。
緑青飴十七粒を全部渡し、二カ国の新聞を最近の一週間分手に入れた。
ルベルは新聞の束を抱えて人波をすり抜け、同僚が待つレコード売りのブースへ戻った。
「えっ? 全部渡しちまったのか? 昼メシの分、どうすんだ?」
「あっ……!」
同僚に呆れられてやっと気付いた。
特に何も欲しくなかったから、現金は持って来ていない。
緑青飴が十粒あれば、湖の民の店でサンドイッチくらいは買えるハズだったが、外国の情報が手に入ると知った瞬間、昼食のことは頭から消し飛んでいた。
「……宿舎に帰るよ」
「いやいや、折角ここまで来たのに、もう帰るなんて勿体ない。俺が奢るから、夕方まで居よう。なっ」
「それは流石に申し訳ないよ」
……呼称も知らない奴に奢ってもらうなんて。
「えーっと、じゃあ、歌でも歌ってくれよ。ルベルが気にしてた里謡とか」
「あれは歌詞がわからないから……」
素人の中途半端な歌で食事を奢ってもらうなど、烏滸がましくて申し訳なさ過ぎる。
同僚はちょっと辺りを見回し、ルベルに視線を戻した。
「じゃあ、歌と情報。その新聞、遠くのブースで買ったんだろ? そこへ行くまでにレコード売ってる人、居なかったか?」
「んー……居なかったな。噴水と港の手前まで行ったけど、なかった」
「そっか。ありがと。歌はあっちで聞かせてくれ」
「ホントに歌うのか?」
「メロディは覚えてんだろ?」
「うん。まぁ……」
風に乗って肉や魚の焼ける匂いが流れて来た。
目当てのレコードが見当たらなかった同僚は、さっさと食べ物の屋台が並ぶ一画へ向かう。
「そんないっぱい新聞買ってどうすんだよ? 基地の近所の売店でも売ってんだろ」
同僚が呆れた声で聞く。
ルベルは抱えた束から一部抜いた。
「アミトスチグマの新聞。難民キャンプのことが詳しく載ってて、難民のインタビューもあるって言ってたから……」
「あぁ、それで……って、オイ! ちょっと、これ……ッ!」
頷きかけた同僚の顔色が変わる。
ルベルも紙面を見て息を呑んだ。
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湖南経済新聞アミトスチグマ版の一面トップには、特大のフォントが踊っていた。




