574.みんなで歌う
運び屋フィアールカがタブレット端末を取り出し、片手を振って合図する。アミエーラの大伯母カリンドゥラが応え、恭しくお辞儀して宣言した。
「まずは私、ニプトラ・ネウマエから、曲は国営ラジオ天気予報の歌『この大空をみつめて』です」
この空と同じに澄んだ歌声が朗々と響き、朝の大気を震わせて風に乗る。
降り注ぐ あなたの上に
彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認めて この眼で大空調べて予報
空 風渡り 月 青々と
星 囁けば 雲 流れ道
おひさまの 新しい光
昨日から今日に移ろう
順々に 黄道廻り 季節 渡って 一年巡る
大きな流れにこの身を委ねて 大空みつめ天気を予報
春 穏やかに 夏 輝いて
秋 清らかに 冬 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
雪 深々と 霜 真直ぐに
空 穏やかに 月 輝いて
星 清らかに 雲 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
虹 七色に 空 晴れ渡る
レコードで聴いたのと同じ、いや、それ以上の圧倒的な歌声だ。
居合わせた人々は、アカペラの歌唱が終わっても動けなかった。
船員の一人が我に返って拍手する。
他の聴衆も夢から醒めたように手を叩き、大きな拍手が沸き起こった。
薬師アウェッラーナたちもカリンドゥラの方を向いて拍手し、少年兵モーフが「ねーちゃんの親戚、すげーな。普通の歌なのに魔法みてぇだ」と瞳を輝かせる。
拍手が収まるのを待って、レノ店長が言った。
「じゃあ、次は『パンを届けよう』です」
移動販売店プラエテルミッサの一行は、拍手が起こる船に向き直り、客寄せの歌を歌った。
届けるよ あなたの許へ
焼きたてのおいしいパンを
ふっくらとふくらむパンは 心満たして 笑顔を作る
大きなトラック 幸せ積み込んで みんなで今日も街から街へ
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
おひさまの新しい光
昨日から今日に移ろう
手から手へ幸せ分けて みんな笑顔で 一日生きる
大きなトラック 幸せ積み込んで これから今日も街から街へ
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
パン 分け合って 皆 幸せに
パン おいしいよ 皆 分け合って
生地 捏ね上げて 今 発酵中
生地 整えて 今 焼いてるよ
パン 分け合って 皆 微笑んで
パン ふっくらと 皆 幸せに
同じ旋律でも、歌詞が違えば全く別の歌に聞こえる。
薬師アウェッラーナは自分も胸を張って声高く歌いながら、ふたつの歌を聴き比べた。
一人一人の歌唱力は拙いが、十二人の歌声が合わさってひとつになると、ニプトラ・ネウマエとはまた別の力が歌に宿るようだ。
薬師アウェッラーナは、フィアールカたちが驚いた目でこちらを見るのを感慨深く見詰め返して歌い上げる。
素人の歌にも惜しみなく拍手が送られ、一同は深々とお辞儀した。
「えっと、最後は途中までしか歌詞がないんですけど、『すべて ひとしい ひとつの花』です。できれば、みなさんも、歌詞の続きを考えていただけると嬉しいです」
レノ店長の言葉に船上の人々が顔を見合わせる。
カリンドゥラが「歌手ニプトラ・ネウマエ」の顔を船上に向けて説明する。
「ラキュス・ラクリマリス共和制移行百周年の記念企画でしたが、半世紀の内乱が始まって、作詞が未完なんです。完成したら私が歌う予定でした」
船上の人々が溜め息を吐く。
「歌詞の続きは、インターネットで募集しています。機会がありましたら、ユアキャストにアクセスして“平和の花束”がカバーした動画のコメント欄に書き込んで下さい」
フィアールカが合図し、ニプトラ・ネウマエを加えた十三人の歌声が空高く昇った。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる……
十二人の声が【歌う鷦鷯】学派の歌い手ニプトラ・ネウマエに導かれるように溶け合い、ひとつの歌になる。
未完の歌詞の残りをスキャットで歌い上げ、辺りに静けさが戻った。
フィアールカがタブレット端末を撫でてバッグに仕舞い、大声で言って拍手する。
「いいもの聴かせてくれてありがとうねー!」
我に返った聴衆から割れんばかりの拍手が起こった。
カリンドゥラが歌手ニプトラ・ネウマエとして歓呼に応え、大きく手を振る。みんなもおっかなびっくり手を振った。
バラスト水が排出され、大型の魔道機船が予定より三十分遅れで岸を離れる。魔力を動力にスクリューが回転し、船体が静かに旋回した。
乗船タラップを登る直前、ここを離れる一人一人が、針子のアミエーラ、ファーキル、カリンドゥラに握手と別れの挨拶を交わした。その手のぬくもりが、まだ薬師アウェッラーナの掌に残っている。
船体に【耐衝撃】が掛かっているのか、ラキュス湖を滑るように移動し、殆ど揺れない。舳先を北へ向けた純白の魔道機船は、出航の遅れを取り戻そうとしているのか、一気に速度を上げた。
移動販売店プラエテルミッサの一行は艫へ走り、岸壁で手を振る三人に大きく手を振り返す。
「お元気でー!」
「ねーちゃーん! 元気でなーッ!」
風景が流れ、岸があっという間に遠ざかり、人の姿が豆粒になる。みんなは湾を出るまで、艫から動けなかった。
「ここは風が強い。中へ入ろう」
ソルニャーク隊長に促され、後ろ髪引かれる思いで荷物を拾い上げた。
乗船を急かされ、一言二言交わした慌ただしい別れで、まだ、アミエーラとファーキルが居ないと言う実感が薄い。
大広間のような船室に入ると、テーブルとイスが床に固定されていた。他の客の姿はない。
四人掛けの席に着き、椅子がふたつ余ってやっと、アミエーラとファーキルの不在が目に見えた。
何事もなければ、船は昼過ぎにネモラリス島のクレーヴェル港に着くと言う。
みんなはチケットの確認と引き換えに一人ずつ手渡された「帰還難民の手引き」と言う小冊子に目を通す。
薄い冊子だが、紙を節約する為だったのか、各ページには小さな文字とフローチャートがびっしり印刷されていた。到着までに全部読めるかどうか怪しい。
湖上の景色を楽しむ余裕がなくなり、一心に読み耽る。
お役所式のお堅い文章は、少年兵モーフや小学生のアマナ、エランティスには難し過ぎて、早々に冊子を置いた。
「落ちたら危ないから、甲板には出るなよ」
「うん。お兄ちゃんたちの傍がいい」
アマナは鞄に冊子を片付け、ノートと筆記具を取り出した。エランティスがノートを覗き、二人で何やら相談しながら書き始めた。
「なぁ、おっさん、それ、何が書いてあるんだ?」
「外国へ避難してて、ネモラリスに帰って来た奴の……えー……まぁ、生活を立て直す為の当面の手続きや何かが載ってるな」
「どんな?」
「まぁ、待て。えー……何々? 仮設住宅の申し込み、身分証や預金通帳の再発行、医療費の補助、食いモンの配給、仕事の斡旋やら、避難中に産まれた赤ん坊の国籍登録、死亡届、相続……うん、まぁ、何せ、色々だ」
「そこに書いてあるヤツ、全部やんのか?」
少年兵モーフが顔を顰めると、メドヴェージは笑い飛ばした。
「ハハハハハッ! んなワケねぇだろ。ガキは産まれてねぇし、俺らには銀行の通帳なんざねぇから関係ねぇ。自治区へ帰るんだから、こっちで仮設住宅を申し込んだってしょうがねぇ」
「じゃあ、自治区に帰る奴はどうすりゃいいって書いてあるんだ?」
「あぁん? ちょっと待ってろよ」
メドヴェージの太い指がページをめくり、目次に戻って一行ずつ、項目を確認する。
最後まで指を走らせて、冊子から上げた顔は、鳩が豆鉄砲を食らったようだ。
「ねぇ」
「は? 何でだよ?」
「自治区は空襲を受けておらず、この冊子の対象者ではないからだ」
ソルニャーク隊長が苦笑した。
「じゃあ、何で隊長は読んでるんスか?」
「彼らが仮設住宅などに落ち着くまで、どの程度の日数を要するか、確認していたのだ」
現在もネーニア島行きの船が定期運行されているなら、星の道義勇軍の三人はすぐに移動できる。
ロークたちの住む所が見つかるまでトラックに泊めると言ってくれた。ソルニャーク隊長は、出発の予定を立てる為に読んでいたのだ。
薬師アウェッラーナは、ソルニャーク隊長の「全体を見て先の計画を立てられる視野の広さ」に頭が下がった。
……私は、自分のことで精いっぱいなのにね。
アウェッラーナは湖の民の長命人種で、ソルニャーク隊長よりも長く生きているが、一緒に行動するようになってからずっと、見た目通りの小娘のように、色々な判断を隊長に任せて来た。
力なき民で常命人種のソルニャーク隊長が、何故そんなにも他人の為に考えて動けるのか、その余裕がどこから生まれるのか、不思議だ。
薬師アウェッラーナは壁の時計が視界に入り、時間がないことを思い出した。
小冊子に視線を戻し、各種手続きの項目を読む。
クレーヴェル港の近くに帰還難民センターが設けられ、そこで大体の手続きができるらしい。この冊子も、センターの発行だ。
主要銀行の臨時出張所もあって、通帳の再発行が最短二十日でできると書いてあり、アウェッラーナはホッとした。
【白き片翼】と【青き片翼】の呪医が常駐して、国の補助でかなり安く治療を受けられる。
……ここで働かせてもらいながら、兄さんたちを探そうかな?
「おっ? みんなよかったじゃねぇか。住むとこ決まるまで、この、なんとかセンターで泊めてくれるってよ」
「じゃあ、別に、トラックいらねぇな……」
メドヴェージは嬉しそうだが、少年兵モーフは何故か不満そうだ。
ロークがメドヴェージに笑顔を向ける。
「じゃあ、メドヴェージさんたちは船の便があれば、すぐに帰れるんですね」
「そうだなぁ。呆気ないもんだなぁ」
メドヴェージのしみじみした声に、船室が静まり返った。
窓から流れる風切音の他は息遣いさえ聞こえない。
今年の二月から今までの道程が甦り、胸が詰まる。
薬師アウェッラーナは、彼ら星の道義勇軍のテロで父と自宅を目の前で喪い、姉は行方不明、当時ラキュス湖で操業中だった兄たちの漁船も、どこへ行ったかわからなかった。
アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で故郷のゼルノー市を焼き払われ、ラクリマリス領へ逃れたが、魔獣に追われてアーテル領ランテルナ島へ渡った。
生きる為に、テロリスト同然のネモラリス人武闘派ゲリラの後方支援までした。
この半年余りで色々なことがあり過ぎた。
家族の安否がわかるまでは心が騒いで香草茶でも落ち着かない。
立入制限が解除されなければ、故郷のゼルノー市にも帰れない。
戦争が終わらなければ、この先も辛いことが起きるに違いない。
……それぞれの目的に向かって、行き先が分かれるだけで、まだ何も終わってないのよ。
アウェッラーナは胸に溜まった重い空気を吐き出して、冊子の続きに目を通した。




