572.別れ難い人々
ピナティフィダとエランティス、アマナが、しゃがんで青いヒナギクを見ている。
湖の女神に捧げる花で、近頃は温室などで育てて年中出回るようになったが、元々は秋の花だ。今を盛りに咲き誇る花は、中心の黄色い蕊の集まりから湖水のように青い花弁が放射状に広がり、やわらかな日射しに輝いている。
パニセア・ユニ・フローラ神殿の装飾にも見られる小さな花が、女の子たちの目を楽しませ、束の間の安らぎを与えていた。
レノ店長と工員クルィーロは、妹たちの傍に立ってホテルの玄関を見詰める。湖の民の運び屋フィアールカの姿はまだ見えず、二人はこれからのことを小声で話し合っていた。
少し離れた所で、少年兵モーフとメドヴェージがじゃれあい、ソルニャーク隊長がやさしい目で見守る。
針子のアミエーラとロークは、ファーキルの手許を熱心に見ていた。薬師アウェッラーナもその輪に加わり、タブレット端末の画面を覗く。
日付と呼称、国旗のマークと短い文章が並んでいた。
「これは……?」
「ユアキャストのコメント欄です。みんながドーシチ市のお屋敷で歌った時の動画を閲覧した人たちが、感想とか書いてるんですよ」
ファーキルの説明を聞きながら、手帳より一回り大きい画面を見る。ラクリマリスやアミトスチグマなど、湖南地方の国旗が半分くらい。残りはアウェッラーナの知らない国旗だ。
――頑張って下さい。
――応援してます。
――無事でいて下さい。
――早く平和になって、安心して暮らせますように……
励ましや祈りの言葉に混じって、下手だと罵るコメントや歌詞の案なども書き連ねられていた。罵りのコメントには窘めるコメントが付き、歌詞案には改善案などが付いている。
湖南語だけでなく、共通語や、アウェッラーナには何語なのかさえ分からない外国語のコメントもある。
共通語はスラングや書き間違いが多いのか、半分以上の意味がわからない。なんだかよくわからない記号の羅列だけのコメントもあった。
ファーキルの指が画面を撫でて上に押し上げ、再生が終わって停まった動画と数字を表示させた。
「少し大きい黒い数字が、再生回数……えーっと、見られた回数で、少し小さい赤い数字はこの動画をいいと思った人の数、青いのはその逆。コメントの名前の横の赤と青の数次もそうです」
「えぇッ? ……いち、じゅう、ひゃく……えーっと、三千万回以上見られたってコト?」
ロークが桁数に驚き、薬師アウェッラーナと針子のアミエーラも、自分の目で数字を読んで呆然とする。
ネモラリス共和国の人口より遙かに多い。
「同じ人が何回も見てるかもしれないんで、この数字は見た人数じゃないんですけどね」
「あ……そ、そうなんだ?」
ロークが拍子抜けする。
「ラゾールニクさんが“平和の花束”の人たちに歌ってもらったのとか、これを見た人が『自分も歌ってみました』って言うのをUPしてて、そう言うのも含めたら、それなりの人数にあの歌が届いてますよ」
具体的にどのくらいの人数に届いたのか、どれだけ差し引いて考えればいいのかさっぱりわからないが、とにかく凄い人数だと言うことだけはわかった。
ファーキルは明るい声で説明したが、ロークの尖った声が穴を指摘した。
「ネモラリス人は、こんな機械持ってないから、少ないだろうけどなぁ」
「ラゾールニクさんたちは、アミトスチグマの難民キャンプで地道に国民健康体操と歌を広めてますし、ネモラリスの国内でも、空襲に遭わなかった街で慈善コンサートをしてるそうなんで、その辺はまぁ、口コミでちょっとずつですけど、一応、広まってるみたいですよ」
「そうなんだ?」
「そう言われてみれば……何かそう言うお話、前にも聞いたような……」
薬師アウェッラーナは、ファーキルの説明で少し思い出した。
「おはようございます。間に合ってよかったわ」
額を寄せ合って小さな画面を見ていた四人は、カリンドゥラの声で顔を上げた。頬が上気し、息を弾ませている。
「おっ運び屋の姐ちゃんも出て来たぞ」
メドヴェージの声にホテルを見ると、玄関から緑髪の女性が出て来たところだった。ここからでは、小指程にしか見えず、顔まではわからない。
「この庭園も、冬の間はネーニア島から避難してきた人たちでいっぱいだったのよ」
歌手のニプトラ・ネウマエことカリンドゥラは、針子のアミエーラとそっくりな顔で、元貴族の館の広大な庭園を見回す。
薬師アウェッラーナは、何故そんな話をするのかと訝りつつ、カリンドゥラの胸で輝く【歌う鷦鷯】学派の徽章を見た。喉を反らして、天を仰いで一心に歌う小鳥は、呪歌の歌い手の証だ。
「知り合いに頼んで、ラクリマリス港に停泊している船を調べてもらったのだけれど、光福三号はなかったそうなの。お役に立てなくてごめんなさいね」
「いえ、そんな、ありがとうございます。それがわかっただけでも大助かりです。他の港を先に探せばいいって、わかりましたから。こちらこそ、お手数お掛けしてすみません」
薬師アウェッラーナが早口に言うと、カリンドゥラは笑顔を作って明るい声を出した。
「でも、難民支援の活動で、こことアミトスチグマのキャンプを行き来している方が、湖の民の漁船に助けられたって言う方に、何人も会ったって話してましたから……」
「ありがとうございます。望みがあるってわかって嬉しいです」
漁業に従事する湖の民は多い。
アウェッラーナの身内でなくとも、僚船や近隣の漁協の者なら、何か手掛かりになる情報を持っているかもしれなかった。
星の道義勇軍のテロと、その直後に始まったアーテル・ラニスタ連合軍の空襲。
あの時、ラキュス湖の沖合で操業中だった漁船は、一隻も母港のジェレーゾへ帰港していなかった。ジェレーゾ漁協の船がどこへ行ったのかわかるだけでも、今は有難い情報だ。
「お待たせー。出航まで後三十分ちょっとあるから、ゆっくり歩いても充分、間に合うわよ」
フィアールカがにっこり笑って一行を促し、みんなは大荷物を抱えてホテルの敷地を出た。
歩きながら、ネモラリス共和国のクレーヴェル港に着いてからのことを話す。
「港のどこか広い場所でトラックを出し、荷物を分けよう」
「そこで……解散なんですね?」
薬師アウェッラーナがソルニャーク隊長に聞くと、隊長は前を向いたまま頷いた。
「そこからは、行き先と目的が違うからな」
「俺たち、父が見つかるまでトラックに泊めてもらってもいいですか?」
「なに言ってんだ、あったりめぇじゃねぇか」
不安げに聞いたクルィーロの背中を運転手のメドヴェージが笑って叩く。クルィーロとアマナ兄妹は、ホッとして笑みを交わした。
「勿論、ローク君たちも仮設住宅などへの入居まで、居て構わん。我々も、いつネーニア島へ渡れるか、わからんからな」
ソルニャーク隊長が付け加えると、場の空気が何となく緩んだ。
……みんなも、これからのコト、心配なのね。
薬師アウェッラーナにとっては、ほぼ接点がなかった者たちで、テロと戦争がなければ、一生会わなかったかもしれない。
特に自治区民の四人と外国人のファーキルはそうだ。
それなのに、こんなにも別れ難いのが不思議だった。
……恋人とか、そう言う種類の好きじゃないのにね。
王都ラクリマリスの水路は、野菜や果物、魚など、まだ生きていて【無尽袋】に入れられない荷を満載した船が行き交い、早朝から賑やかだ。
みんなと一緒に歩く畔の風景を心に刻みながら港へ向かった。
☆“平和の花束”の人たちに歌ってもらった……「517.PV案を出す」参照
☆難民キャンプで地道に国民健康体操と歌を広めてます……「202.難民キャンプ」「290.平和を謳う声」「291.歌を広める者」「306.止まらぬ情報」参照
☆空襲に遭わなかった街で慈善コンサート……「278.支援者の家へ」「295.潜伏する議員」「305.慈善の演奏会」「306.止まらぬ情報」「326.生贄の慰霊祭」「330.合同の演奏会」「348.詩の募集開始」参照




