571.宝石を分ける
「おっはよう! 薬師さん、取敢えず、一番小さいの一本だけちょうだい」
薬師アウェッラーナは、夜明けと同時に宿の部屋を訪れた運び屋フィアールカに起こされた。
自分の取り分も含めて千年茸は四本ある。プラ容器を開けて寝呆け眼で大きさを確め、同族の運び屋フィアールカに渡す。
「昨日、夜の間に宝石と【魔力の水晶】をありったけ掻き集めとくように言って来たから、船賃と当面の生活費はなんとかなるわ。代金の残りとキノコの残り三本は、ニプトラさんが協力してる団体に寄付で、ホントにいいのね? ……わかった。それは後で回収するわ。じゃ! 戸締りしっかりね」
湖の民の運び屋フィアールカは、早口に言い置いて慌ただしく出て行った。
言われた通り、扉に付いた物体の鍵と術の【鍵】を掛け直し、薬師アウェッラーナはベッドに戻った。隣のベッドのアミエーラは疲れているのか、まだ眠っている。
……スクートゥム王国は、まだ夜明け前よね? お店、開いてるのかな?
目は覚めたが、思考が回らず、ぼんやりそんなことを考える。カーテンの隙間から射し込む光が少しずつ明るさを増してゆくのを眺める内に、頭も冴えてきた。
フィアールカがどれだけの対価を持って戻るか全く予測がつかないが、分配は、星の道義勇軍の三人に多く渡して、次は宛のないロークとパン屋兄姉妹。父が生きている可能性が高いクルィーロとアマナの兄妹には、他のみんなより少な目に渡しても大丈夫だろう。
……私は自分で魚を獲れば食べ物は困らないし、薬師の仕事はきっと忙しくて死にそうなくらいあるでしょうね。
メイドが部屋を回り、移動販売店のみんなを起こしに来た。
出航時間の都合でやや早い朝食で、食堂にはまだ他の宿泊客の姿はない。貸し切り状態だが、みんなはそわそわ落ち着きなくパンとスープ、目玉焼きを食べ、そそくさと部屋へ引き揚げた。
荷物の整理が終わる頃、フィアールカが戻ってきた。
「お待たせ。遅くなってゴメンね。早くみんなを呼んで」
「私、行きます!」
針子のアミエーラが部屋を飛び出す。
運び屋フィアールカは、肩から提げた大きな革袋をソファに置いた。重みで座面が深く沈む。
「換金しやすいように安い宝石に交換してもらったから、量が多くて……」
フィアールカが苦笑して、袋の重みで痛む肩をさすった。
みんなが揃うのを待ってしっかり戸締りすると、運び屋は革袋から両掌に余る大きさの革袋を次々と取り出して、卓上に並べた。安いもの程、数が多く、袋が大きくなる。
「安物の宝石と【魔力の水晶】、それと塩に換えてもらったから、換金しやすい筈よ。宝石は、魔力を籠められないものばかりだから、安心して。オパール、琥珀、トパーズ、キャッツアイ、それからアメジスト。種類別で袋に入ってるわ。確認して」
レノ店長、ソルニャーク隊長が袋の口を開けて覗く。
「朝早くからすみません」
「確かに」
「いいのよ。船の上で分けるのはちょっと物騒かもしれないから、三十分で分けてちょうだい。私は喫茶室で待ってるから、遅刻しないでね」
薬師アウェッラーナが千年茸の残りを渡し、運び屋フィアールカが出て行くと、移動販売店のみんなはどうしたものかと顔を見合わせた。
宝石類は一種類ずつで五袋、塩は十二袋――人数分に小分けしてある。塩の袋は面倒なので一人ひとつずつ受け取った。
まず、アウェッラーナが先程の考えを提案し、自分は今回の分の受取りを辞退する。針子アミエーラも、大伯母さんの所へ行くって決めたから、と断った。
「この【魔力の水晶】、作用力を補うタイプじゃないから、俺がもらっていいですか?」
クルィーロの申し出にみんなふたつ返事で同意する。
薬師アウェッラーナはそれを聞いて思い出した。
「あ、これ、私は自力で製塩できるんで、隊長さんたち、どうぞ」
「じゃあ、私の分もいいです。モーフ君にあげるね」
アウェッラーナが塩袋を手渡すと、針子のアミエーラも続き、ソルニャーク隊長と少年兵モーフは素直に礼を言って受け取った。
「俺も、行き先決まってますし、キノコ一本と、動画の広告収入はもらっちゃうんで、宝石はいいです。塩だけ、お守りに使うんで下さい」
ファーキルが宝石の受取りを断り、塩袋をさっさと自分の鞄に仕舞う。みんなも取敢えず、塩だけ片付けた。
「我々は、トラックをもらうからな。船賃はアメジストがこれだけあれば足りるだろう」
「俺らが住んでた下町で高ぇ宝石持ってても、タダの石ころだからな」
ソルニャーク隊長が一番嵩張る革袋をさっさと仕舞い、メドヴェージが笑う。
後に残ったのはオパールと琥珀、トパーズ、キャッツアイの袋だけになった。
「えっと、時間ないから、テキトーに決めるね? 俺たちはオパールと琥珀を取るから、ローク君はトパーズとキャッツアイでいいかな?」
「俺、宝石の値段わかんないんで……もう、何でもアリですよ、ハイ」
ロークは、レノ店長から宝石の袋をふたつ受け取り、残った二袋をレノ店長とピナティフィダが鞄に仕舞った。
「三十分も掛かんなかったな」
「とっとと決まってよかったじゃねぇか」
少年兵モーフとメドヴェージが顔を見合わせて笑う。それぞれ部屋に戻って忘れ物がないか確認し、喫茶室へ降りた。
「あら……早かったわね。もう決まったの」
サンドイッチの最後の一切れを手に、フィアールカが目を丸くする。朝食も摂らずに早朝から金策に奔走してくれたのだ。アウェッラーナたちは口々に礼を言った。
「えっと、じゃあ、お庭で待ってます」
「そうしてちょうだい。すぐ行くから」
一日遅れで出発する針子のアミエーラとファーキルも、見送りについて来た。
チェックアウトを済ませ、玄関先で支配人らに仰々しく送り出されて庭園に出る。
灌木が刈り揃えられ、花壇には秋咲きの薔薇や青いヒナギクが咲き誇る。
冴えて澄んだ青空の下、大荷物を抱えて歩く一団は、季節を先取りして着膨れていた。トラックをいつ【無尽袋】から出せるのか、状況が読めないので冬に備えてコートなどを荷台に積まなかったからだ。
マフラーや手袋などは鞄に入れられたが、コートは嵩張るので着るしかない。力なき民のみんなは、うっすら汗を滲ませるが、誰も文句を言わなかった。
「この服スゲーな。こんな分厚いのに軽くて、暑いくらいあったけぇ」
「坊主、いいの見繕ってもらえてよかったな。運び屋の姐ちゃんにお礼言っとけよ」
「もう言ったよ」
「あっちに渡りゃ、もう会えねぇんだ。最後にもっかい言っとけ」
少年兵モーフとメドヴェージの遣り取りを微笑ましく聞いていたが、薬師アウェッラーナはその一言でホテルを振り返った。
湖の民の運び屋フィアールカには、ネモラリス島の土地勘がない。
首都クレーヴェル行きの船に乗れば、彼らはもう会えないのだ。
薬師アウェッラーナは、クレーヴェル港で兄名義の漁船「光福三号」がみつからなければ、【跳躍】で王都ラクリマリスに戻って港を中心に調べる。ネモラリス島で再会できても、生活が落ち着いてから改めて、このホテルか湖の女神の神殿に伝言しに来るつもりだ。
……平和になって、暮らしに余裕ができれば、フラクシヌス教徒のみんなは巡礼のついでに伝言を頼んで、フィアールカさんにお礼を言えるけど、隊長さんたちは、自治区に帰ったらもう他のみんなには全然、会えなくなるのよね。
アウェッラーナやレノ店長、クルィーロたちの一家が隣のゼルノー市に帰っても、会えない。
自治区と外部は手紙も、役所などの公的な通信を除いて遮断される。
メドヴェージが運送会社に再就職して、クルィーロの勤務先の工場が再建されれば、二人は会えるかもしれないが、可能性は限りなく低かった。
リストヴァー自治区の東部は大火で焼失し、現在は復興途上。ゼルノー市は空襲で完膚なきまでに叩き潰されて、立入制限区域に指定されている。隣のマスリーナ市のように、魔物が魔獣になっているだろうから、その駆除も必要だろう。
立入制限が解除されない限り、瓦礫の撤去さえできず、インフラの復旧や住民の帰還、生活再建がいつになるのか、全くわからなかった。
復興を始めるのに何年も掛かるようでは、避難先で生活の根を降ろし、帰還しない住民が増えるだろう。
……私たちは、最悪、身内の命と船があれば、他所の漁協に入れてもらって、生活は何とかなるけど……
ネモラリス領に戻れば、みんなはそれぞれの帰る場所や目的に向かって別の道に分かれる。針子のアミエーラとラクリマリス人の少年ファーキルとは、ここでお別れだ。
薬師アウェッラーナは、胸を冷たい風が吹き抜けた思いがして、改めてみんなを見回した。
☆いいの見繕ってもらえてよかった……「532.出発の荷造り」参照
☆リストヴァー自治区の東部は大火で焼失……「054.自治区の災厄」参照
☆隣のマスリーナ市……「184. 地図にない街」「185.立塞がるモノ」参照




