567.体操着の調達
支援者が仲間内で声を掛け合い、運動着を調達してきた。
アミトスチグマの夏の都にある支援者宅の一室に集められ、ラクエウス議員と諜報員ラゾールニク、平和の花束のメンバーの前に積まれている。
ネモラリス共和国の公立中学で採用されているジャージの上下。湖の青に緑と茶の線が白線に挟まれる形で袖とズボンの側面を彩る。
ラクリマリス王国で唯一、力なき民の為に設立された私立高校の体操着。左胸のポケットに校章が刺繍されただけの簡素な長袖服で、綿の生地は全体が薄い緑色だ。袖口と裾は別布で絞ってあり、動きやすい。
アーテル共和国の公立中学の体操着は、ラゾールニクが現地の服屋で買ってきた。
「おウチに帰ったら、まだ置いてあるんですけどねー……」
エレクトラが体操着の校章を見て、母校のものだと呟く。
諜報員ラゾールニクは鼻で笑った。
「今、君たちの家に近付いたら、大変なことになるよ? わかってる?」
「まぁ、そりゃそうでしょうけど……」
エレクトラが体操着から目を逸らすと、少女の肩に掛かった土色の髪がはらりと落ちた。
アーテル共和国のトップアイドルグループ「瞬く星っ娘」を脱退し、国外に逃れた四人はアミトスチグマで新ユニット「平和の花束」を結成した。
コンサート会場で突然引退宣言し、混乱に乗じて彼女らの護衛を解雇された魔女の知人――諜報員ラゾールニクらが属する武力に依らず終戦を目指す者たちの仲間が、アイドルの少女四人を国外に脱出させた。
アーテル共和国の人々からしてみれば、誘拐事件だ。
貴重な収入源を失い、アーテル政府は痛手を被った。
教団は、若者らを教会に呼び込むアイコンを失った。
半世紀の内乱の痛手からまだ完全に立ち直ってない都市を抱え、終結から三十年経った現在も、首都ルフスから遠い地方では復興予算が組まれている。
瞬く星っ娘の持ち歌には、キルクルス教の聖歌をポップ調にアレンジした曲が多く、彼女らは主にアルトン・ガザ大陸のキルクルス教国に遠征して、外貨を稼いでいた。
若者がキルクルス教の信仰に関心を失いつつあり、アーテル共和国内のキルクルス教団にとって、彼女らは若者の関心を惹きつける絶好のツールだった。
ポップ調にアレンジした聖歌を通してでも若者を教会に繋ぎ止めていたが、彼女らが引退と同時に信仰への決別を宣言した為、それに同調した若者が日曜の礼拝に来なくなった。
稼ぎ頭を失った所属事務所は、販売済みチケットの払戻しや会場レンタル費の解約手数料などの損害が発生した。
コンサートのチケットやグッズ、楽曲のダウンロード販売だけでなく、ユアキャストの動画配信による広告収入。その大部分は、まだネット上に資産として存在し、すぐに収入が絶えて倒産する訳ではないが、別のタレント全員を使っても、瞬く星っ娘の穴を埋めるには足りなかった。
家族や所属事務所のトップ、司祭、文化庁の長官やファンクラブの会長などが連日、手記の公開や記者会見を開き、その記事はニュースサイトのトップテンに入る。
芸能界だけでなく、経済とキルクルス教の信仰にとっての大事件だ。
アーテル国民にとって今や、彼女らのファンであろうがなかろうが、重大な関心事となっていた。
「まぁ、あぁやって騒いでんのって、もう聴けなくなるかもって危機感煽って今の内に売ろうって言う商売だからねぇ」
ラゾールニクが露草色の瞳に意地の悪い笑みを浮かべる。
……彼女らを本気で案じる者がどれだけ居るのやら、と言うのか……? いや、そんなコトは……家族はきっと……
ラクエウス議員は母校の体操着を手に項垂れるエレクトラと、彼女を慰めようと寄り添うアステローペ、ラゾールニクを批難がましい目で睨みつけるアルキオーネを順繰りに見たが、掛ける言葉がみつからず、こっそり溜め息を吐いた。
ラゾールニクは、リーダーのアルキオーネが向ける射るような眼差しもどこ吹く風だ。
タイゲタが、眼鏡を外してそっと拭き、卓上に残った一着を手に取って広げた。
これだけは半袖と半ズボンだ。ズボンの裾は膝のすぐ上くらいまでしかなく、今の時期はそろそろ寒いかもしれない。襟と袖、裾には、ラクエウスには何の呪文なのかわからないが、力ある言葉が刺繍されている。
「あ、それ? 半世紀の内乱中のラキュス・ラクリマリス共和国の女学校の体操服。効果が弱い刺繍だけど、【耐寒】と【耐暑】、それに【魔除け】の呪文入りだから、力ある民が着れば快適だよ」
諜報員ラゾールニクの説明に、アイドルの少女らが眉を顰める。タイゲタは、顔を引き攣らせて手にした体操着から目を逸らした。
仲間内で顔を見合わせ、誰が着るか、視線で押し付け合う。
「君たちの親御さんの手記、PDFをダウンロードして来たけど、読む?」
「そんな、わざわざ里心がつくようなことを……」
流石にラクエウス議員はラゾールニクを窘めたが、アルキオーネが首を振って遮った。
「いいえ。読まなくたってわかります。心にもないお涙頂戴の作文なんて、誰が読んでやるもんですかッ!」
ラクエウス議員は、激しい口調にギョッとして黒髪の少女を見た。ここに居ない敵を見据える目が、虚空を睨む。
アルキオーネは、タイゲタの手から内乱時代の体操着をひったくって宣言した。
「私が着ます。もう、キルクルス教徒なんかじゃないってコト、世界中に見せてやりますよ」
十八歳の少女と家族の間に何があったのか知らないが、ただならぬ様子に老議員は何も言えなくなった。
彼女らは自ら提案した通り、国民健康体操の練習を重ねている。支援者宅の中庭で、人目につかないように気を遣っていた。
体操着が揃うまでは、アーテルから着てきた普段着で練習していた。上は闇に紛れる色のTシャツで、これは問題ないが、ズボンは固い素材で、動きにくそうにしていた。
当初は、年配のネモラリス建設業協会の会員が指導していたが、ラクエウスより若いとは言え、五十過ぎの身にはやはり無理だった。腰を痛めて急遽、別の者を探す羽目になった。
今は、湖の民のタイル職人が指導に当たる。
アサコール党首の呼び掛けで来てくれた彼は長命人種で、ラクエウスより二十も年上だが、何も言われなければ、十代後半か二十歳そこそこに見えた。
ラクエウス議員は中庭に面した窓を開け、国民健康体操の主旋律を竪琴で奏でて彼女らの練習に付き合う。
タイル職人は、各部分を改めて小分けにて説明し、実演してから、彼女らにもさせる。数日それを繰り返して、今日やっと、通しで身体を動かした。
「百年以上も前のことをよく覚えておるものだな」
ラクエウス議員が感心して言うと、タイル職人は首に巻いたタオルで汗を拭く手を止めて笑った。
「内乱が終わってからも、現場作業の前、朝礼でやってたんですよ」
半世紀の内乱後、国がみっつに分かれてからは、学校で教えなくなったが、建設現場では復興の建設ラッシュが終わる頃まで続き、それが落ち着くと次第にしなくなったと言う。
「だから、まぁ、せいぜい二十年そこそこのブランクで、学校も含めたら九十年近くやってましたからね。忘れろって方がムリですよ」
タオルの下で職人を表す【編む葦切】の徽章が揺れる。
ラクエウス議員は、アミトスチグマの支援者宅に身を寄せてから、建築に携わる魔法使いの学派について、一通りアサコール党首やラゾールニクから教わり、最近は少しわかるようになってきた。
……家一軒建てるにしても、実に様々な系統の術者が必要なのだな。
内乱前――人々が信仰や思想信条で分かたれる前の時代――ラクエウスは建設現場をじっくり見たことがなく、魔法使いなら誰でも同じようなことができるものだとばかり思っていた。
姉のクフシーンカの親友姉妹は、【歌う鷦鷯】と言う呪歌の系統を修めていたが、他の系統の術も色々使えるので、そう言うものだと思い込んでいた。
……自治区の外は、魔法で安く簡単に復興できたと思っておったが、そうではなかったのだな。
今回の戦争で、破壊された国土の復興には、どれ程の人手と時間、費用を要するのか。それ以前にこの戦争をどう決着させ、国の形をどうすべきなのか、まだまだ多くの人と話し、蒔かねばならない未来の種子は山のようにあった。
☆コンサート会場で突然引退宣言……「424.旧知との再会」「429.諜報員に託す」「430.大混乱の動画」参照
☆新ユニット「平和の花束」を結成……「515.アイドルたち」参照




