0058.敵と味方の塊
湖の民の少女が、モーフの知らない言葉で暢気な雰囲気の歌を歌う。少年兵モーフは、緑髪の魔女に信じられない物を見る目を向けた。
モーフは護送車が横転した時、内壁に叩きつけられて口の中が切れた。あちこち打撲でズキズキ痛む。
歌が進むにつれ、口に広がる鉄錆に似た味と痛みが薄くなり、身体のどこかへ消えて行く。
歌唱は、五分程で終わった。
他の者の様子をそっと窺う。
ガラスが刺さった人々は、その傷が拭い去られたかのように消えた。
骨折したらしい少年少女が地面に蹲り、あるいは横たえられ、警官の応急処置を受ける。大怪我をした大人たちも、マシな者から手当てを受けた。
星の道義勇兵も、等しく手当てが施された。
軽傷の義勇兵が、その様子を呆然と眺める。
周囲の火勢は衰えを見せず、風向きが変わる度に熱風が吹き寄せる。
そうかと言って、運河に近付き過ぎると、魔物に引きずり込まれる惧れがある。
三方は炎、前方は魔物の巣食う運河、上空には国籍不明の爆撃機。
どこにも逃げ場がない。
少年兵モーフは、静かな気持ちで状況を見た。
穢らわしい魔法で傷を癒されてしまったことも、今は気にならない。
何もかもを諦めた訳でもない。
ただ、不思議だった。
警察官だけでなく、住人も、モーフたちがゼルノー市の街を焼き、多くの人を殺めたのを知らないハズがない。
……何で、治すんだ? 何で、俺たちまで助けるんだ?
護送車の扉を閉じたまま放っておけば、蒸し焼きになっただろう。だが、警察署の職員は、扉の魔法を解いた。
この場でただ一人の湖の民が小声で礼を言い、陸の民の少年に何かを渡す。
少年がそれを受け取った途端、湖の民の少女は、崩れるように倒れた。少年が慌てて抱き起こしたが、ぐったりとして反応がない。
「あー、それ、魔力使い果たしただけだから、休ませたげて」
青いツナギを着た陸の民の工員が、狼狽える少年に説明する。
少年は、金髪の工員と湖の民を見比べた。
「……って言うか、俺ももうムリ!」
金髪の工員が、魔法で支えた水壁を炎に向かって倒す。白煙が上がり、ほんの少し炎が後退した。火薬ではなく、燃料入りの爆弾なのか、まだ消えない。
「荷物を枕にして寝かせてやれよ」
言いながら、工員は湖の民が肩に掛けていた鞄を緑の頭の下に置く。
少年が恐る恐る湖の民から手を離すと、工員は少女の傍らに腰を降ろした。毛布を羽織った十歳くらいの女の子が、工員の膝に乗って胸に顔を埋める。工員は女の子を抱きしめ、その背を軽く叩いてあやした。
モーフは、母を思い出した。
集会に参加するようになってから、もう長い間、顔を合わせていない。
……姉ちゃん、まだ生きてるかな?
ざっと見回したところ、星の道義勇兵は、四人が無事、二人は重傷。警官は、三人無事で二人重傷。住人は元が何人か知らないが、十五、六人が動いていて八人が重傷だ。モーフと同年代の少年少女が多い。
ここに居ないのは、最初の爆撃で事切れた者と、動かすのも無理なくらい重篤な者だ。
車内から脱出できた者も、この先、何人が生き延びられるのか。
義勇兵で無事だったのは、ソルニャーク隊長と元トラック運転手、銃の組立方を教えてくれた老兵、少年兵のモーフだ。
今は炎を避け、住人と一塊になる。
「お巡りさん、橋、渡れないし、夜に備えて休んで下さい」
住人の一人が、水の壁を支える警察官に言った。
爆弾の燃料と建物の可燃物は、未だ激しく燃え続ける。
四車線道路の中央にも息苦しい程の熱風が押し寄せる。
無事な人々が、気道熱傷から身を守ろうと袖やマフラー、ハンカチなどで鼻と口を覆う。気休め程度にしかならないが、何もしないよりはいいだろう。
……こんなんで、夜まで生きるつもりかよ。
モーフは、図々しい奴だと住人を睨んだ。
爆発が起こり、炎が膨張した。立っていた数人が、運河に向かって数メートル吹き飛ばされる。
モーフは両腕で顔を庇い、姿勢を低くして爆風から身を守った。転倒したが、大した怪我はない。
また爆撃機かと、車道に転がったまま、空を見上げる。
黒煙の隙間に機影は見えない。
「ガソリンに引火して、車が吹き飛んだのだろう」
ソルニャーク隊長が起き上りながら言った。
火に巻かれた破片が次々と降って来る。
意識のある者たちは、恐る恐る身を起こし、爆心地から離れた。
警官が負傷者を抱え、運河に近い場所へ移動する。軽傷者も手伝った。
隊長が手伝うので、少年兵モーフも手伝う。
手伝いながらもモーフは、聖なる星の道の腕章を付け、ほんの二、三日前まで魔法使いを殺しまくった義勇兵が、救助を手伝うのが不思議でならなかった。
……何の為にわざわざ、こんなコトしてんだろ?
勝手に魔法で傷を癒された。
こっちの気も知らず、親切の押し売りをした湖の民の少女が、今は気を失って少年兵モーフの腕の中に居る。
運河に投げ込めば、簡単にトドメを刺せる。
そんな考えが頭をかすめたが、モーフは運河の手前に魔女を横たえた。
陸の民の少年が、その緑色の頭の下に荷物を挟む。
他の魔法使い……警察官と工員も、疲れ切って魔法が使えないらしい。
今なら、魔法使いにも負けないだろう。炎の中に蹴り込むのは簡単だ。だが、星の道義勇兵は、誰もそうしなかった。
キルクルス教の聖印「聖なる星の道」の腕章を着けた義勇兵と、魔法使いと、フラクシヌス教徒の陸の民が、一塊になって身を寄せ合う。
子供の泣き声と、それを宥める大人の声以外、何もない。
星の道義勇軍は、爆撃機なんか持っていなかった。
ネモラリス共和国の政府軍が、自国の領土を空襲するとも思えない。
……一体、どこのどいつが、こんなコトしやがったんだ?
少年兵モーフは、黒煙に覆われた空を睨んだが、答えは見つからなかった。




