566.名も知らぬ仲
魔装兵ルベルは一日中、首都クレーヴェル郊外に位置する兵舎の自室で、新聞を読んで過ごした。今日の歌番組は全て聴いたが、里謡のコーナーはなかった。今はラジオの電池を抜いてある。
……番組名も聞いておけばよかったな。
新聞中面の週間ラジオ欄から、メモ用紙に歌番組を書き出して表を作った。毎日、何かしら歌番組はある。今日は朝と夕方の二本だったが、明日は夜に一本だけだ。
番組が始まるまでずっと、戦時色に染まった新聞を読み続けるのかと思うと気が重くなったが、待機を命じられた以上、仕方がない。他にできることはなく、文庫本はついこの間、故郷に置いてきたばかりで、手許には一冊も残っていなかった。
ノックの音に振り向くと、ドア越しに同僚の気遣わしげな声が届いた。
「ルベル、晩メシまだだろ?」
ラジオ番組の時間は気にしていたが、実際の時間は気にしていなかった。カーテンを開けたままの窓に目を遣ると、もうすっかり夜で、常夜灯の下で番兵が見張りに就いていた。
同僚が更に声を掛ける。ルベルは仕方なしに応えた。
「ありがとう。今、腹減ってないから……」
「身体の具合、悪いのか?」
「いや、それは大丈夫」
「じゃあ、無理にでも食っとかないと、身体まで悪くしちゃよくないぞ」
言われて改めて気付いた。体調不良で除隊されてしまっては、ムラークの願いを叶えられなくなってしまう。
ルベルの魔力と修得した術なら、個人でも何とかなりそうだが、重大な秘密を抱えた魔装兵を軍の上層部があっさり放してくれるとは思えない。最悪の場合、殺処分される可能性もあり得ると思い到り、ドアを開けた。
同僚より先にスープの匂いが入って来る。
「一緒に食おう。食器は明日、食堂に返してくれってさ」
同僚が書き物机に向かう。新聞とメモ用紙と手帳、筆記具が邪魔でトレイを置けず、戸口のルベルに声を掛けた。
「何これ? 歌番組いつやってるか書いて……」
「うん。歌でも聴けば、気が紛れるかと思って」
戸を閉め、机上の紙類を重ねて端に置く。
一人部屋なので当然、椅子は一脚しかない。同僚はトレイからビスケットの小袋を取って、壁にもたれた。
「俺はメシ食ったから。今からおやつ」
「……ありがとう」
あたたかいスープを一口食べると、そのぬくもりが胃の腑に沁み渡り、身体は餓えていたのだと思い知らされる。同僚は、ルベルが食べ進めるのを少し見守って、ビスケットの袋を開けた。
旗艦で哨戒任務を共にして、顔に見覚えはあるが、特に親しい訳ではない。今更、呼称を聞くのは気マズい。
相手の呼称すら知らないのでは、仕事以外に共通の話題がないが、今は仕事の話はしたくない。二人は黙々と食べ進めた。
……何でコイツは俺の呼称……あぁ、艦長とかが呼ぶのを聞いて憶えたのか。
ルベルは慣れない艦上任務と遙か彼方のアーテル軍と魔哮砲にばかり気を取られ、すぐ傍で働く者に全く意識を向けて来なかったことに気が付いた。
同僚の徽章はルベルと同じ【飛翔する蜂角鷹】だ。交代の時に顔を合わせるだけだったから、彼の呼称を憶えていないのだ、とひとつ言い訳をみつけて何となくホッとする。
……ムラークは、二人きりの任務で【索敵】する俺を守る為だけに傍に居たから……
それでも、仕事以外の話はしなかった。
元々居た治安部隊でも、そうしていた。
軍の仕事は、いつ、誰が命を落とすかわからない。
ルベルは喪失の痛みを恐れ、ずっと軍の誰とも仲良くならないようにしていた筈だが、そんな小細工は全く無意味だった。今もこうして、名も知らぬ同僚がルベルを気遣い、ルベルは彼に感謝と親しみを感じている。
目の前で息を引き取ったムラークは勿論、原隊の安否も、ルベルの心に痛みを残す棘となった。
自治区民が蜂起した武装テロの直後、不意打ち同然に行われたアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で、原隊のみんながどうなったのか、全くわからない。
下手に確認して無事ではないとわかれば、傷が深くなる。知らなければ、ルベルと同じように他所の部隊へ配転されたのだと思える。
「好きな歌手って誰?」
「えっ……? あぁ、いや、特には。いい曲なら誰が歌ってても聴くから」
ビスケットを食べ終えた同僚が、ぬるくなったホットミルクを手に質問し、ルベルの答えに意外そうにしたが、すぐに微笑を浮かべた。
「そうなんだ。俺、ニプトラ・ネウマエのファンなんだ。知ってる? ニプトラ」
「うーん……さぁ?」
魔装兵ルベルが首を傾げると、同僚は頬を上気させて語った。
「半世紀の内乱前にデビューしたソプラノ歌手なんだけど、最近十年くらいは古典だけじゃなくて、今時の歌のカバーもしてて、俺はそのカバー曲で知ったクチなんだけど、声が何せもう、すっげーキレイなんだ」
「へぇー……古典も聴くから、声を聴けばわかるかもしれないなぁ」
「俺、明日非番なんだけど、一緒に慈善バザー、見に行かないか?」
「俺は今、待機中だから……」
「すぐそこの港だし、外出願、出してみろよ。案外、イケるかもよ? ずっと部屋に籠ってるより、外に出て気晴らしした方がいいって」
「でも、俺は今、交換できる物を殆ど持ってないし……」
同僚は、渋るルベルの肩を気安く叩いて笑う。
「気晴らしだから、見て回るだけでいいんだよ。レコード探すの手伝ってくれないか?」
「……わかった。じゃあ、言うだけ言ってみるよ」
外出許可が出なければ、それまでのことだ。わざわざ用事を作ってまで連れ出してくれると言う同僚の気遣いが心に沁みた。
半世紀の内乱後に生まれた若い兵は、戦争がどんなものか、歴史の授業と教官や上官、祖父母や両親の話でしか知らず、実感がなかった。経験者の話をどれだけ聞いても、実際の様子の想像がつかず、ピンとこない。
内乱終結後の三十年は至って平和で、復興が急速に進み、ルベルたち若者は焼け跡や廃墟の記憶が殆どない。
僅かに残った廃墟は、男の子たちの絶好の遊び場だったらしいが、ルベルの故郷の村は内乱中も平和だったので、それも都会に出た誰かの思い出話でしか知らない。
魔獣の討伐隊が負傷すれば、新聞に載って「部隊編成と装備に不備があったのではないか」などと批判されるくらい、平和が続いていた。
魔装兵ルベルは開戦後、炎の中で治安部隊と別れてからは、防空艦がミサイルで沈められた瞬間や、荒廃した街で人々が奪い合う様子、戦闘機と爆撃機の大編隊を迎撃する為に自国民を生贄に捧げた様子など、たくさんの死を目撃してきた。
それは【索敵】の術で見た手の届かない遠くの出来事や、ルベルの知らない人たちの不幸だったから、何とか心の安定を保っていられたのだ。
ルベルの手の中には、ムラークの力とぬくもりを失った身体の重みが、まだはっきりと残っていた。
「最近、歌番組が短くなって、楽しみが減ったよなぁ」
「そうだな」
空になったマグカップをトレイに戻し、同僚が言う。辛い記憶に沈んでいた魔装兵ルベルは、現実に引き戻されて言葉少なに答えた。
「でも、時間短くなった分、内容を濃くしようってつもりなのか、新コーナーができたりして、趣味が合えばそれなりに楽しめるけどな」
「ふーん…………えーっと……例えば?」
相槌だけでは会話が続かないと気付き、ルベルは質問を付け加えた。
「例えば……そうだなぁ。明日のこれ、里謡のコーナーができて、毎週一回、どっかの里謡を一曲か二曲流してんだ」
「里謡……!」
「珍しいだろ? そこ出身の人か、えーっと、何とかって市民楽団の歌手が歌って、出身者は、アミトスチグマの難民キャンプの中から募集して、現地で録音したのを流してるんだとよ。難民が歌う回は、歌う前に一人ずつ呼称を名乗るから、その分時間食って一曲だけになるんだけど、知り合いとかの安否がわかるからってんで、好評らしいぞ」
ルベルの顔に喜びが見えたのだろう。同僚は嬉しそうに説明した。
……明日の夜……二十一時。
そう都合よく、ルベルの故郷アサエート村の歌が流れるとは思えないが、番組がわかっただけでも大きな収穫だ。電池を余分に消耗せずに済む。
「教えてくれてありがとう」
「いいって、こんくらい。里謡とか好きなんだ?」
「好きって言うか……」
ラジオの放送は一回きりだ。聞き逃しても、レコードのように戻して前の部分を繰り返し聞けない。ルベルは思い切って頼んでみた。
「この間、ちょっと帰省した時に、その里謡調査の歌手が地元に来てたんだ」
「スゲー! サインしてもらった?」
「いや、それが、途中で招集掛かって基地に戻ったから……」
「そっか。俺の地元ってエージャなんだけど、ルベルは? ……あ、実家は無事だったから、気にしないでくれ」
ネーニア島北西部の都市も空襲を受けていた。
その南のガルデーニヤ市に比べればマシだと言えるが、安心できるような状態ではない。同僚の身内や友人知人が本当に無事なのか疑わしいが、聞けることではなかった。
「アサエート村って言う……ウーガリ山脈の東の端の村なんだ。山の中だからホントに何もなくて……」
「そうか。じゃあ、空襲に遭わずに済んだんだな。よかった」
同僚がやわらかな笑みを浮かべてルベルを見る。
「あ、ゴメン。立ちっぱなしで。俺、ベッドに座るから、椅子、使ってくれ」
ルベルが椅子を持ってベッドの前に移動すると、同僚は「そんな、気を遣わなくていいよ」と言いつつ、腰掛けた。
「その……えーっと、アサエート村って、どんな歌があるんだ?」
「夏祭の歌だ。今年はまぁ、こんなだから、祭の日に帰省できなくて……ウロ覚えだから、ちゃんと聞いて覚え直したいと思ってな」
「そうなんだ。覚えてるとこだけでも歌える?」
「うん。それで、ひとつ頼みがあるんだけど、いいか?」
「ん? 何だ? 俺でできることで、カネ掛かんないんなら、別にいいぞ」
「里謡、いつ放送されるかわからないけど、もし、基地に居る時に聞けたら、歌詞を書き留めてくれないか? 俺一人だと聞き逃したらそれで終わりだから……」
帰省して村の誰かに聞くのが一番だが、今度はいつ帰れるかわからない。それどころか、生きて帰る保証がなかった。
「うん。いいよ。その代り、今度、郷土料理でも奢ってくれよな」
「いいけど、ここじゃ材料が手に入らないから、いつになるかわかんないぞ」
「いいよ。平和になってからで」
同僚は屈託なく笑ってみせたが、今は何よりも、その言葉が重かった。
☆旗艦で哨戒任務……「136.守備隊の兵士」参照
☆他所の部隊へ配転された/部隊編成と装備……「221.新しい討伐隊」参照
☆炎の中で治安部隊と別れた……「025.軍の初動対応」参照
☆防空艦がミサイルで沈められた瞬間……「274.失われた兵器」「279.悲しい誓いに」参照
☆荒廃した街で人々が奪い合う様子/その南のガルデーニヤ市……「304.都市部の荒廃」参照
☆大編隊を迎撃する為に自国民を生贄に捧げた……「309.生贄と無人機」参照
☆里謡調査の歌手が地元に来てた……「506.アサエート村」~「508.夏至祭の里謡」参照




