565.欲のない人々
「ネモラリス島の現状がわからん。運び屋は王都にも詳しいのだろう? 我々の分は、ここで換金してくれないか?」
「えっと……余りはどうしましょう? 相当、お釣りが出ますよね?」
フィアールカは、大量のプラ容器や偽造ナンバー、放送局のマークを誤魔化す車体用シール、【光の槍】の呪符、十二人が地下街で過ごした十日間の宿泊費と食費と駐車場代、保存食やレノ店長たち四人の冬服、こんなに豪華な宿の宿泊費とネモラリス島行きの船賃などを出しても、まだまだお釣りがあると言っていた。
現金に換えたら幾らになるのか、庶民のアウェッラーナには想像もつかない。
「えーっと、あの、フィアールカさんって、今、下の喫茶室で大伯母さんと話してるんですよね? フィアールカさんも、このコトご存知ですし、今の内に相談しておいた方がいいと思うんですけど……」
針子のアミエーラが遠慮がちに言って、扉に目を遣る。
他に手はない。
換金するなら、明朝の出航までに何とかしなければ。
薬師アウェッラーナはベッドに容器を置いて、窓の外を覗った。もう星が瞬いている。明日はいい日和だろう。
「じゃあ、ちょっと呼んできます」
「私も行こう」
薬師アウェッラーナが【鍵】を解除すると、ソルニャーク隊長がついて来てくれた。
……ずっと助けてくれてた隊長さんたちとも、もうすぐお別れなのね。
漠然とした不安に、階段を降りる足が鈍った。
貴族の館を改装したホテルの一階に降り、喫茶室に顔を出す。
上品な装飾を施された広い部屋は、元々サロンだったらしい。庶民の薬師アウェッラーナと自治区民のソルニャーク隊長は、その豪華な雰囲気に気圧され、思わず入口で足が止まった。
湖の民の運び屋フィアールカが先に気付き、奥の席から手を振って二人を呼ぶ。
「どうしたの? 喉乾いた? ルームサービス頼む?」
「いえ、ちょっと、折り入って相談したいことが……」
薬師アウェッラーナは、フィアールカとカリンドゥラから視線を逸らし、湖水と同じ色のテーブルクロスを見て言った。二人の前の豪奢なティーカップは空だが、ティーポットの中身はまだ残っているかもしれない。
「なあに? ここで言えない話? 私たちの話は終わったし、私はいいわよ」
「アミエーラの件でしたら、私もご一緒させていただいてよろしいかしら?」
フィアールカが気軽に応じ、カリンドゥラは遠慮がちに言った。
見れば見る程アミエーラにそっくりだが、カリンドゥラは針子の大伯母で、長命人種だ。薬師アウェッラーナよりも年嵩の彼女は、アミエーラに瓜二つの姿に年相応の落ち着きを纏って、この喫茶室に違和感なく馴染んでいる。
……アミエーラさんには断られちゃったんだけど、来てもらってもいいのかな? 受け取ってもらうように説得してもらう? でも、迷惑かも知れないし……
「あ、いえ……あの、えーっと、その……」
「彼女の件も含まれています。あなたも、この辺りに土地勘がおありでしたら、一緒に聞いて下さい」
アウェッラーナが考えをまとめられずに狼狽える横で、ソルニャーク隊長が冷静に話を進める。これではまるで外見通りの小娘だ。彼はアウェッラーナよりも十歳以上年下の筈だが、この差は何なのだろうと惨めな気分になった。
四人が連れ立ってアウェッラーナたちの部屋へ戻ると、留守番のみんなの目がカリンドゥラに集まった。
アウェッラーナが【鍵】を掛け直す間にソルニャーク隊長が説明してくれる。
「私が呼んだ。アミエーラさんにも関係する話で、彼女はこの辺りに伝手と土地勘がある」
その一言で、みんな納得して緊張と警戒が緩んだ。
唯一人、緊張を保つレノ店長が、湖の民フィアールカを見詰めて宣言する。
「みんなで話し合って、お釣りと……いらないって言う人たちの分は、神殿に寄付することになりました。アウェッラーナさん、勝手に決めてすみません」
「あ、いえ、そんな……無駄になるよりはいいんですけど……ホントにいいんですか?」
五人はさっぱりした顔で頷いた。薬師アウェッラーナは信じられない思いで、ロークと自治区民たちを見た。
千年茸は生える時には群生するが、去年生えた所に今年も幼菌が生えるとは限らない。しかも、素材として使える大きさに育つまで長い年月が掛かり、その間に虫や獣に食害されることもある。食用キノコのように人工栽培もできない。
当たりの宝くじをみすみす手放すようなものだ。
「あぁ、あれの残りをどうしようかってコトだったの。今ならまだ……時差があって……そうね、スクートゥム王国の端っこのお店なら、まだ間に合うと思うから、ちょっと行ってくるわ」
「あ、まっ待って下さい! これ……!」
くるりと背を向けたフィアールカを、薬師が慌てて呼び止める。運び屋は、呆れた顔で手をひらひら振った。
「今言ってすぐ代価を用意できるワケないでしょ。明日の朝イチに現物持ってって、その時に交換よ」
横で聞いていた合言葉で【鍵】を開け、廊下を走って行った。
少年兵モーフが素早く扉を閉め直し、メドヴェージが物体の内鍵を掛ける。
取り残されたカリンドゥラがみんなを見回し、身内のアミエーラに視線を留めた。
「アウェッラーナさんが、ここに来る途中の森で貴重なキノコをみつけたんです。でも、換金ルートを持ってないから、どうしようかってコトになって……」
「キノコ……?」
レノ店長の説明にカリンドゥラが首を傾げる。
薬師アウェッラーナがそっと耳打ちすると、アミエーラと同じ色の目が大きく見開かれた。目を閉じ、深呼吸して動揺を鎮める。
カリンドゥラはゆっくり瞼を上げると、移動販売店プラエテルミッサの一人一人を見た。その目は別の驚きを含み、僅かに呆れの色が滲む声が漏れた。
「あなたたち……本当に、善良で……慎み深い方々なのですね」
「何だよ、それ?」
少年兵モーフが不快げに聞く。
「あれの価値をご存知ないのですか?」
「知ってるよ。知ってっから、ヤバくて持ってらんねぇっつってんだよ」
「モーフ! ……我々、力なき民がこの状況で大金を持っていたのでは、強盗に襲われます」
ソルニャーク隊長に一喝され、少年兵モーフが身を竦めて恨めしそうにカリンドゥラを睨む。
「……大抵の人は、宝の山を前にすれば、欲に駆られて……身内でも奪い合いになりますよ。こんな状況だからこそ、暮らしを立て直すのに先立つモノが欲しい……その先、遊んで暮らせるなら、尚更です」
「家を建て直しても、そんなにお釣りが出るんですか?」
レノ店長が恐る恐る聞く。
誰も、フィアールカから具体的な金額を聞かされていなかった。
「どんな家を?」
「ウチ、パン屋なんで、一階が店とパン工房で、二階が家で……それ以外はまぁ、普通ですよ」
「その家の他に、百人くらい雇える規模のパン工場を建てて、何年かは、儲けが出なくても操業を続けられますよ」
溜め息混じりの答えに、場の空気が凍りついた。
☆まだまだお釣りがあると言っていた……「479.千年茸の価値」参照




