564.行き先別分配
夕飯後、薬師アウェッラーナは移動販売店のみんなを部屋に呼んだ。
戸締りして【鍵】も掛け、カーテンを閉めて、アミエーラと二人では広過ぎる部屋の中央に呼び集める。
「みなさん、なるべく小さな声でお話して下さい」
アウェッラーナが前置きすると、みんなは首を傾げながらも、一歩近付いて小さく頷いた。
湖の民の薬師は、自分の荷物から完成してプラ容器に詰めた傷薬を出し、一人一個ずつ配る。
「まず、これを……」
「ありがとう……ございます?」
受け取ったみんなが囁き声で礼を言い、何故これを秘密にするのか、と首を傾げる。薬師アウェッラーナはみんなを見回し、今から配るものについての心構えを説いた。
「フィアールカさんがおっしゃったコト、憶えてますか? 身を守る手段のない人は、あんまり高価な物を持たない方がいいって……」
「あぁ、そう言や、何かそんなコト言ってたな。それがどうしたって?」
メドヴェージが先を促す。
ソルニャーク隊長と少年兵モーフがハッとして顔を見合わせ、アウェッラーナの鞄を見た。あの時、一緒に居た二人には、アウェッラーナが何を配ろうとしているか、わかったようだ。
「小さいのは採らなかったので、人数分はありません。一応、行き先別と言うことで……店長さん、隊長さん、クルィーロさん、ファーキルさん、ロークさん、アミエーラさん、受け取って下さい」
薬師アウェッラーナは、鞄から傷薬と同じ半透明のプラ容器を取り出した。掌より一回り大きい長方形で、密閉できる蓋付きのありふれた物だ。中身は、緩衝材と目隠しを兼ねてポケットティッシュで包んである。
ソルニャーク隊長が絞った声で確認した。
「あの時のキノコか」
アウェッラーナが頷くと、みんなは息を呑んで固まった。重ねた容器を持ち、薬師アウェッラーナはレノ店長の前に立つ。
「受け取って下さい」
「いや、あの、でも……」
「換金できれば、お店の再建資金になりますよ」
薬師アウェッラーナが言うと、ピナティフィダが「お兄ちゃん」と囁いて、レノ店長の背を押した。パン屋の末の妹エランティスは、薬師の手許と兄姉の顔の間で忙しなく視線を往復させる。
レノ店長の手が、下手な操り人形のように持ち上がり、一番上の容器を取った。
「確認……させてもらっていいですか?」
ピナティフィダが押し殺した声で聞きながら、兄の手からプラ容器を取る。薬師が無言で頷くと、パン屋の長女は礼を囁いて蓋を開けた。エランティスに蓋を持たせてポケットティッシュをそっと外す。
靴べら型で、硬質で光沢のある菌体、橙色の傘の端に繋がる同色の柄。千年茸は、食用として一般的な店で目にするキノコとは、形が全く違う。硬くて食べられないが、貴重な薬の素材になる。今のアウェッラーナには、その薬を作る術は高度過ぎて使えないが、大きな街では商材として高値で取引されるキノコだ。
「これが……」
「換金する時以外は、誰にも見られないようにして下さい」
パン屋の兄姉妹は三人とも力なき民だ。コソ泥ならともかく、強盗に襲われてはひとたまりもない。
「換金……した後も、ですよね。大金……持ってるのが知られたら……」
「お金は、銀行口座に振り込んでもらった方がいいでしょうね」
「でも、通帳は……」
中学生のピナティフィダが泣きそうな顔で、同年代に見える長命人種の大人を見る。パン屋の兄姉妹の両親より年上のアウェッラーナは、子供たちを安心させる為に微笑んでみせた。
「通帳の再発行は、大きな支店に行けば、身分証明書がなくてもできますよ」
半世紀の内乱中に生まれた湖の民アウェッラーナが言うと、若いみんなの口から、どうすればいいのか、との呟きが漏れた。
ソルニャーク隊長とメドヴェージも内乱中の生まれだが、内乱が終結した三十年前の時点でも子供で「大人の用事」の中身までは知らないようだ。
「銀行の本店や大きい支店には、【鵠しき燭台】とか【明かし水鏡】とか、魔法の道具があって、それで身元の確認ができるので大丈夫です。ただ、焼け出された人が多くて、そう言う道具は数が少ないので、時間は掛かると思います」
それでも、ネモラリス島には無事な都市が多く、半世紀の内乱中よりずっとマシだろう。レノ店長たちの顔が明るくなり、仲のいい者同士で喜びの視線を交わす。
「俺んとこは、給料手渡しだったもんだから、銀行口座なんざ持ってねぇぞ」
「それに、自治区では魔法薬の原料を換金できん。多額の現金を持ち歩くのは危険だ。サファイアなどの宝石類は二重の意味で危険だ」
メドヴェージとソルニャーク隊長の指摘はその通りだが、リストヴァー自治区へ帰る彼らにだけ渡さないのは、人として間違っている気がした。
「でも、隊長さんが、火の雄牛をやっつけて私を守って下さったんですし……」
「我々にはトラックをくれないか? 自治区も焼けて……ファーキル君が見せてくれたインターネットのニュースでは、仮設住宅などが建設されたようだが、実際に見てみなければわからない。それを売ったカネの内、ネーニア島への船賃だけくれればいい」
ソルニャーク隊長にそうまで言われては、アウェッラーナも引き下がらざるを得ない。少年兵モーフは、湖の民の手許に恐ろしい物を見る目を向けて、首を横に振った。
針子のアミエーラが手を後ろで組んで言う。
「私も、大伯母さんの所へ行くのが決まりましたし、それは、みなさんで分けて下さい」
「でも、これからの生活費とか……」
「家を再建するのにどのくらいお金が掛かるのかわかりませんし、お譲りしますよ。仕事が決まるまでの生活費、後で働いて大伯母さんに返しますから、私は大丈夫です」
「俺も、力なき民の子供が一人でこんなの持ってっても、換金断られるか、最悪、騙し取られて口封じされるかもしれないんで、いいです」
ロークも首を横に振った。
「俺は、親戚に預けるんで、会えるまで隠しとけば、まぁ……店長さんとクルィーロさんは大人だし、もらっとけばいいんじゃないんですか?」
ロークより年下のファーキルは、容器を手に取って礼を言った。ラクリマリス人の中学生に助け船を出され、薬師アウェッラーナが心底ホッとする。
クルィーロは遠慮がちに手を伸ばして礼を言い、小学生の妹に絶対秘密にするように言って聞かせる。アマナは硬い表情で頷いた。
☆あの時、一緒に居た二人……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照




