563.それぞれの道
夕飯の席には歌手のニプトラ・ネウマエと、湖の民の運び屋フィアールカも同席した。
「みなさん、ここまで妹の孫アミエーラを守って下さってありがとうございました。私の家は、クレーヴェルとレーチカにあって、どちらも無事です。もし、宿泊先がみつからなければ、おっしゃって下さい」
「いえいえ……流石にそこまでは……俺たちも、アミエーラさんにたくさん助けていただいたんで……」
レノ店長が両手を振って遠慮すると、店長の妹のピナもTシャツをつまんで言った。
「この服、アミエーラさんに作り方を教えていただいたんです。ズボンも。他にも色々……巾着袋とか鞄とか、アミエーラさんのお陰で私たち、今までやって来られたんです」
流石に、キルクルス教の聖印旗を作ってアーテル兵を騙し、北ヴィエートフィ大橋を無血で渡ったことまでは言えない。だが、少年兵モーフは、近所のねーちゃんアミエーラの最大の手柄は、あの聖印旗だと思った。
あれがなければ、みんな今頃、ここには居なかっただろう。
……ねーちゃんが魔女の親戚だったなんてよ。
リストヴァー自治区の外にも力なき民が居るなら、自治区の中に力ある民が居ても不思議はない。現に、同じ親から生まれた兄妹でも、クルィーロは力ある民で、アマナは力なき民だ。
……なんで、今までこんな当たり前のハナシに気が付かなかったんだ?
少年兵モーフは生まれてこの方ずっと、司祭や両親、学校の先生、近所の年寄り連中、星の道義勇軍の偉い人、いけすかない工場長まで、リストヴァー自治区の大人たちみんなに、自分たちは魔力と言う穢れた力を持たない無原罪の清い存在で、自治区は魔法使いが一人も居ない清浄地だと教えられてきた。
大人たちの内、誰がそれに騙されて信じて、誰が力ある民の存在を知りながらみんなを騙していたのか。
モーフの頭の中で、教えを説いた大人たちの顔がぐるぐる回って、昨夜より豪勢な料理の味がさっぱりわからない。
……こんなすげーメシ奢ってくれるって、あのそっくりさんは御大尽なんだなぁ。
近所のねーちゃんアミエーラにそっくりの魔女は、食卓の誰よりも優雅な所作で料理を口に運ぶ。魔女にそっくりなアミエーラは緊張しているのか、昨日よりも動きがぎこちない。
見れば見る程そっくりだが、二人の雰囲気は全く違う。
黙って何もしてなくても、その雰囲気で別人とわかる。
……一人で生きてくより、親戚と一緒の方がいいに決まってらぁな。
しかも、その人はラクリマリスで有名な歌手で、大金持ちだ。一人や二人、余裕で養ってくれるだろう。
自治区に居た頃、モーフはアミエーラとは殆ど喋ったことがなかった。
父親同士が同級生で仲が良く、その流れで家族ぐるみの付き合いをしていたが、モーフとアミエーラは歳が離れていたし、学校や仕事で忙しく、生活の時間帯が合わない。アミエーラは、歳の近いモーフの姉とはよく喋っていた。
モーフの父が事故で亡くなってからも交流は続いて、時々、歩けない姉の為に包みボタン作りの内職まで持って来てくれたし、婚礼衣装の端切れで拵えたと言う立派なリボンまでくれた。
アミエーラの助けがなければ、モーフの一家は飢え死にしていたかもしれない。
……俺、ねーちゃんに何も恩返しできてねーのに、このまま一生、会えなくなんのか?
キルクルス教徒のモーフと、力ある民では住む世界が違う。
アミエーラがキルクルス教の信仰を捨てなくても、力ある民はリストヴァー自治区では暮らせない。
……ん? 力ある民?
「どうやって、ねーちゃんが力ある民だってわかったんだ?」
思わずこぼれた問いの声は、モーフ自身が思うより大きく、食卓だけでなく、周囲で控える給仕たちからも一斉に注目された。
一呼吸置いて、湖の民の運び屋フィアールカが、気を取り直したように答える。
「どうやってって……【魔力の水晶】よ。力ある民が握ったら、魔力が充填されて中に光が点るでしょ」
「あ……あぁ……何だ、あれかぁ。今までそう言う風に思って見たコトなかったから……」
モーフが初めて目にしたのは、冬のあの日だ。
炎に囲まれ、運河の畔に追い詰められた時、クルィーロがロークの持っていた【魔力の水晶】を借りて握っていた。真珠色の淡い輝きが、工員の手の中にあった。
それから何度も、クルィーロと薬師アウェッラーナが魔力を充填するのを見ていたが、全くそんな認識はなかった。言われて初めて、力ある民でなければ、魔力を充填できないことに気付き、ファーキルの呆れた顔から目を逸らした。
隣のメドヴェージにまで「坊主、お前、今まであれを何だと思って見てたんだ?」と呆れられた。
「うっせぇな。なんか、当たり前過ぎて余計にわかり辛ぇんだよ」
ここの給仕たちはモーフの失言を笑ったりせず、澄まし顔で控えている。
「あ、あの、モーフ君は親同士仲良くて、家族ぐるみで仲良くしてたウチの子で、あの……その……」
「そちらの方が彼のお父様?」
アミエーラが説明すると、そっくりさんはメドヴェージに視線を向けて聞いた。アミエーラが答えるより先に、本人が苦笑する。
「残念ながら、他人なんだ。こん中で身内なのは、パン屋の三兄姉妹と、魔法使いの兄ちゃんとちっこい妹。その二組だけだ」
「みなさん、大変な苦労をなさってここまで避難して来られたのですね。遠慮なさらず、ウチに……」
「ネモラリス島に着いてからは、別行動になる予定なんです」
ソルニャーク隊長が、そっくりさんの厚意を遮った。自分とモーフ、メドヴェージを掌で示して続ける。
「我々三人はトラックで蔓草細工を売りながら、ネーニア島へ戻る日を待ちます」
「俺は役所の支援を頼って仮設住宅に入って、復興作業員の仕事を探します」
ロークが言うと、魔法使いの工員クルィーロも予定を語る。
「空襲当時、俺たちの父は仕事でクレーヴェルに居たんで、多分、すぐみつかりますから……」
「私の身内も、当時、湖に出て漁をしていたので、どこかの港に避難してると思うんです」
湖の民の薬師アウェッラーナの言葉に、そっくりさんは気の毒そうに眉を下げ、少し明るい声で言った。
「そうなんですの。ラクリマリス領の港にも、船で避難して来られた方々が大勢いらっしゃいます。差し障りなければ、船名を教えて下さいませんこと?」
「光福三号です。小さな漁船なんですけど、王都に来た可能性があるんですか?」
「直行ではないのだけれど、湖上封鎖前はネーニア島の港伝いに航行して、ここまで逃れてきた船もありましたの」
「えっと、それじゃあ、湖上封鎖で母港に戻れなくなってしまったんですか?」
そっくりさんは、薬師アウェッラーナの質問に頷いた。
ネーニア島のラクリマリス領の港か、王都などフナリス群島の港で足止めされているなら、ネモラリス島へ渡っても仕方がない。だが、湖の民の薬師は、王都に留まらずネモラリス島へ渡ると言う。
「ラクリマリスは近くても外国だから、もしかするとネモラリス島の方へ行ったかも知れません。ここの景色を憶えてる内にネモラリス島へ渡って、両方を行き来して探します」
少年兵モーフは、【跳躍】の術では知らない場所に跳べない、と教わったのを思い出した。
そっくりさんは少し残念そうだが、すぐに気を取り直して明るく言う。
「じゃあ、私の方でも光福三号を探して、この近くの湖の女神様の神殿に託けておきますね。後で目印になる物をお渡ししますから、それを見せて神官にお尋ね下さいね」
「えっ……あ、あの……ありがとうございます」
薬師アウェッラーナは恐縮したが、その厚意は素直に受け取った。
……身内の手掛かりは、ひとつでも多い方がいいに決まってらぁな。
そっくりさんは、最後に残ったファーキルにどうするのか聞いた。ラクリマリス人の少年は、澱みなく答える。
「俺は、グロム市の親戚のとこへ行きます。腥風樹の件で避難してるかも知れませんけど、明後日の便で行きます」
「そうなのですか。無事に会えますように、お祈りしますね」
みんな、モーフの知らない間に行き先とやることを決めていた。
……いや、元からそうするって決めてたんだ。いちいち言わなかっただけで。
何となく、みんなはずっと一緒に居るものだと思っていたモーフは、足下の床が急に消えてなくなったような気がした。
☆キルクルス教の聖印旗を作ってアーテル兵を騙し……「307.聖なる星の旗」参照




