562.遠回りな連絡
国会議員の姉は深い皺の刻まれた顔に影を落として続ける。
「その後の動きを見ておりましたが、自治区長たち一部の独立派と属領派は、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲を事前に知っていたようなのです」
「彼らはどんな手段で知ったのですか?」
表向きはネモラリス共和国と、アーテル共和国・ラニスタ共和国との間に国交はなく、リストヴァー自治区も例外ではない。
「そこまでは調べられませんでしたが、武器の密輸などと同じで、第三国を経由して部品単位で少しずつ……仕様書などに紛れこませて手紙を遣り取りしたのか、部品に紛れこませて密輸した端末でインターネットとやらを使って……」
「待って下さい。自治区で……インターネットが使えるのですか?」
「えぇ。何でも南東の端で、ラクリマリスの電波を使うんだとか何とか……小耳に挟みましたが、私には、それがいつ区長たちの手許に届いたのか、わかりませんものですから……」
呪医セプテントリオーも驚いたが、針子の少女も信じられない物を見る目で雇い主の老女を凝視する。
「大火の後、インターネットを使ってアーテルやラニスタだけでなく、バンクシアの大聖堂や外国の信者団体に助けを求めて、たくさんの救援物資や寄付金が集まりましたので、彼らがあの日、何をしたか知った人も、批難し難いのが現状です」
老女は食卓に視線を落とし、自治区の現状を語る。
大資本の工場は再建され、或いはそもそも類焼することなく稼働中だが、自治区内で消費する日用品などの中小企業の工場は大部分が再建できておらず、生活物資は半年以上経った今も寄付頼みだ。
教会関係者や仕立屋らが中心になって、古着を袋や寝具などに再生し、その手間賃を支払う形で自治区内の生活困窮者を支援し、生活物資の増産をしているが、到底、足りるものではない。
山中のクブルム街道を掘り起こし、山の肥えた土と腐葉土と薪を自治区内に運び込み、今冬と来年の収穫の準備を進めているが、これでどの程度、凍死者と餓死者を減らせるかわからない。
「何もしないよりはマシですけれどね。焼け石に水です。独立派も属領派も、焼け出された東地区住民のことには関心がないようです。私たちのように内乱前の状態を望む人たち……“親和派”とでも申しましょうか。親和派は数が少なく、大したことができないのです」
老いに枯れた声が悲しみに震え、呪医セプテントリオーの耳と心を打った。
「政府の正式な被害状況調査団としてここに帰って来た日、弟の意志を確認しました」
「ラクエウス議員は何と……?」
「それまでは、住み分けてお互いに関わらないようにすれば、平和に暮らせると思っていたそうですが、それは大きな間違いだったと気付いたと言っていました」
国会議員の姉は、冷めきった鎮花茶を啜り、大きく息を吐いて続けた。
「老い先短い命の全てを懸けて、民族融和の為に働き掛ける……そう言っておりました」
「それが、魔哮砲の告発なのですか?」
「本当の敵は、軍や政府そのものではありません。現場の兵隊さんやお役人は、何も知らされないまま、駒として働かされているだけです」
「じゃあ、ホントの敵って、誰なんですか? 誰が、こんな酷いコトさせてるんですか? 区長さんですか?」
それまで黙っていた針子の少女サロートカが堰を切ったように問いと憤りを吐き出した。区長一人が悪いなら、殺してでも止めると言い出しかねない勢いだ。
呪医セプテントリオーは、大人しげな少女の勢いに気圧され、仕立屋の老女を見た。
「区長だけじゃないわ。自分の利益の為なら平気で他人を踏みにじる人たち、何もかもを失って、復讐に駆り立てられている人たち、絶望した人を助けられない私たちみんなよ」
「それは……みんなが悪いから、結局、誰のせいでもないって言うんですか?」
針子の少女はかなり聡明な子らしい。
きちんとした教育を受けられれば、その頭脳を未来に活かせそうな気がしたが、学校の再建もままならぬネモラリス国内に留まったのでは、叶わないだろう。
「大きな括りで見ればそうなるわね」
雇い主の老女が肯定すると、針子の少女は否定を期待していたのか、頬を引き攣らせた。老いた仕立屋は少女の目を見て続ける。
「……でも、人が負う責任には、それぞれ大きさと言うものがあるし、みんなに責任があると言うことは、逆に、みんなにこれからの未来を作って、変えて行く力があると言うことでもあるの。……わかる?」
針子のサロートカは、雇い主をじっと見詰め返し、数呼吸置いて小さく顎を引いた。仕立屋の老女は頷き返し、呪医に向き直って続ける。
「私は弟が国外でどんな活動をしているのか、知る手立てがありませんが、きっとその思想が多くの人たちに伝わると信じています」
……この人も、ラクエウス議員も、常命人種だ。自分たちに時間がないことを知っているから、若者たちに望みを託しているのだろう。
呪医セプテントリオーは針子の少女を見たが、サロートカは表情を殺して食卓の一点を見詰めていた。その面からは考えも感情も窺い知れない。
湖の民の呪医は、思い切って話題を変えた。
「あの……つかぬことをお伺いしますが、先程……針子のアミエーラさんを自治区の外へ逃がした、とおっしゃいましたね?」
「えぇ。あの子がここに留まるのは危険だと思いましたので……」
仕立屋の老女が怪訝な面持で答える。
「その方は、金髪で、この……えー……サロートカさんより少し年上……二十歳前後くらいの女性ですか?」
「え、えぇ、何故、それを……?」
老い弛み垂れ下がった瞼が持ち上がり、期待と驚きに見開かれた目が呪医を見詰める。
「三月の……日付までは憶えていませんが、確か……三月頃だったと思います。レサルーブの森で癒した若い女性も、アミエーラと名乗っていました」
流石にランテルナ島の武闘派ゲリラの拠点で、共同生活を送っていたなどと言うのは憚られ、当たり障りのない出会いだけを教える。
「あの子が、一人でそんな危険な場所に居たのですか?」
「いえ、空襲の生存者の方々と一緒でしたよ。無事なトラックをみつけて、その荷台に乗って、北ザカート市へ避難する途中でした」
「まぁ……」
老女が目を潤ませ、口許を覆う。
「私はあの頃、他の人と一緒に製薬会社の研究所に身を寄せていて、そこで、骨折していたアミエーラさんを癒しました」
「まぁ……では、今、あの子は北ザカート市に?」
老女が涙声で聞いた。
「いえ、私も後で北ザカート市へ行きましたが、ゼルノー市と同じ廃墟で、軍の前線基地もありましたので……」
途端に老女の喜びが凋む。呪医セプテントリオーは彼女の無事を強調した。
「ザカートトンネルを抜けて、ラクリマリス領へ行くと言っていましたよ」
「南へ行ったんですか? でも、あそこは、魔法使いでないと……」
「ラジオの報道で、ネーニア島北岸部の都市もかなり被害を受けたことがわかっていましたし、ラクリマリスから救援物資が届いていましたから……後で知りましたが、かなりのネモラリス人が難民としてラクリマリス領を通過しています」
「じゃあ、今、ラクリマリスで、無事なんですね?」
仕立屋の老女の顔は冴えない。キルクルス教徒のアミエーラが、魔法文明国へ行ったことの不安が大きく、手放しでは喜べないようだ。
呪医セプテントリオーは、慎重に言葉を選んだ。
「ラクリマリスからは、首都クレーヴェル行きの船が、まだあります。それに、えーっと、とても遠回しになるのですが、アミエーラさんに連絡を取れるかもしれません」
「どういうことですか?」
老女が食卓に身を乗り出す。
「先程、ラクエウス議員に連絡できる可能性がある人物の話をさせていただきましたが、その彼と繋がりのある人物と行動を共にしているようなのです」
「それは、確かなんですの?」
「私がアミエーラさんと直接、会って話したのはほんの少しです。インターネット経由で知りましたが、それを教えてくれたのは、湖の民の知人なんです」
「……どう言うことですの?」
関係がややこしく、老女の理解が追い付かない。だが、呪医セプテントリオーは話を先に進めた。
「えーっと、知人は聖地に巡礼者を【跳躍】で連れて行く仕事をしていて、顔が広いんですが、それらしい一団と【跳躍】の契約をしたと言っていたので……多分、今頃はラクリマリスの王都か、もう、クレーヴェルに渡ったかもしれません」
呼称を出さずに説明するのはまどろっこしいが、流石にここで何もかも明かすのは危険だ。
老女は食卓に指で、まどろっこしい関係の図を描いてしばらく無言で考え、情報を整理して聞いた。
「えぇっと……弟と連絡できる人、その人と繋がりのある人、呪医のお知り合いの湖の民の方……この三人の方々のどなたが、アミエーラと会えるか、おわかりになりませんか?」
「うーん……直接となると、三人とも難しいかもしれません。私が直接会えそうなのは、湖の民の知人と、ラクエウス議員に連絡できる人……ですが、三人はインターネット経由で連絡できる状態なので……」
最悪でも、呪医セプテントリオーが地下街チェルノクニージニクに【跳躍】して、湖の民の運び屋フィアールカに会えればよし、彼女が不在でも、呪符屋かクロエーニィエに謝礼と共に託ければ、何とかなる筈だ。或いは、王都でラゾールニクを探し、ファーキルに連絡してもらうか。
数人の手を経れば、移動販売店の一員となったアミエーラに届くだろう。
「あの……呪医……大変、厚かましいお願いで恐れ入りますが、弟とアミエーラに手紙を渡して下さいませんか?」
「私は構いませんが、間に何人も入りますし、このご時勢です。確実に届きますかどうか……それに、お返事は……」
「構いません。時間が掛かっても……弟宛の手紙は、本人が無理でしたら、アサコール党首に読んでいただいても構いません」
きっぱりとした返事に驚いて、問いを返す。
「個人的なものではないのですか?」
「平和の為に役立てられる情報です。……申し遅れましたが、わたくし、クフシーンカと申します」
仕立屋の老女が、居住いを正して呼称を名乗った。
湖の民の呪医もつられて背筋を伸ばす。
「クフシーンカさん、ですね。こちらこそ、申し遅れまして恐れ入ります。ゼルノー市立中央市民病院外科部の呪医、セプテントリオーと申します」
「あ、あの、私はサロートカって言います。店長さんのお手紙が弟さんに届けば、平和になって、何もかも、よくなるんですか?」
針子のサロートカは、二人を交互に見た。
クフシーンカが悲しげに首を横に振る。
「すぐには無理よ。時間が掛かるけれど、みんなが諦めずに頑張れば、きっと世の中はよくなるのよ。それがいつになるかは、誰にもわからないのだけれど……」
「ひとつだけ確かなのは、何もしなければ、何も変わらない、ということです」
針子のサロートカは、年を経た二人の言葉に大きく頷いた。
昼食後、仕立屋の店長クフシーンカは手紙を書きに自室に籠り、針子のサロートカは店長に言われた通り、食卓で分厚い聖典を熱心に読み進める。
呪医セプテントリオーは、治療の報酬にもらった自治区内発行の新聞を貪るように読んだ。
☆住み分けてお互いに関わらないようにすれば、平和に暮らせると思っていた……「214.老いた姉と弟」参照




