561.命を擲つ覚悟
「私は、共和制に移行する前のラキュス・ラクリマリス王国時代は、軍医でした。キルクルス教徒だけでなく、フラクシヌス教徒でも、力なき民は魔獣を討伐する部隊には配属されませんでした」
「どうして、力なき民は除け者なんですか?」
少女は顔を上げることなく、感情のない声で問う。呪医セプテントリオーは誤解を招く言い方だったと気付き、言い直した。
「魔獣は実体を持たない魔物よりずっと強いんですよ。部隊には魔法の武器や防具が支給されていましたが、魔力がなければ、その魔法が発動しません。危険だから、力なき民の武官は前線に出さず、後方支援を任せていたのですよ」
「キルクルス教徒とは、全然、会ったコトなかったんですか?」
一息に吐き出された問いが心に刺さる。
「いいえ。魔物や魔獣に襲われた町や村へ救助に行った時、キルクルス教徒の住人も居ましたよ。本人や家族が望めば、傷を癒しましたが、意識不明の人を癒して、気が付いてすぐ自殺されたこともあります」
「どうしてそんなことに?」
……それは、私が知りたいのだがな。
古傷を恐る恐る指でなぞるような昔語りに、現在の痛みが加わる。共和制移行時に軍を辞め、公立病院に勤務してからも逃れられなかった痛みだ。
「意識不明の患者さんとご家族の信仰の……解釈の違いだと思います。信仰に殉じるより、助かるものなら魔法に頼ることも厭わない人は、少なからず居ました。負傷者が子なら、親の多くはそうでした」
治療を拒んで子を死なせる親も居たが、半世紀の内乱前はどちらかと言えば少数派だった。
「病院でも、そうだったんですか?」
「当時は……いえ、自動車が発明されて救急車が使われるようになるまで、キルクルス教徒の患者を【跳躍】の術で運ぶ人は、滅多に居ませんでしたから」
「どうしてですか?」
「同じ理由ですよ。生命を助けたのに後で『魔法を使った』と批難されたり、自殺されたのでは、近所に住めなくなるくらい大きなトラブルに発展してしまいます」
「センセイもホントは見殺しにしたかったんですか?」
「私は仕事ですから、病院で治療して後で苦情を言われる分には、そう言うものだと割り切っていました。窓口や経理の担当者も対応には苦慮しています」
針子の少女サロートカは、鎮花茶の薄く色付いた水面を見詰め、何も言わなかった。老人二人は、若い彼女の考えを妨げないよう、静かにそれぞれの物思いに耽る。
呪医セプテントリオーは、鎮花茶を口に含み、ゆっくりと舌の上で転がす。香と同じやさしい甘さに、疲れた舌が心持、軽くなった。
……たった一人の女の子も納得させられない。信仰を堅持する大人たちの内どれ程の人が耳を傾け、その何割が賛同してくれるだろう。
呪医セプテントリオーは、星の道義勇軍から聞いた蜂起の理由を思い、王都での難民支援では、リストヴァー自治区を開放して内乱以前と同じように隣人として受け容れるよう、人々に説くつもりだった。
この少女よりキルクルス教を深く知る老女は、平和だった時代を知っているから、呪医セプテントリオーの言い分もすんなり受け容れた。
昨日、呪医の治療を望み、山中のクブルム街道に集まった人々も、星の標の目がなければ、賛同してくれるだろう。
……彼らの暴力に屈さず、信念を通すには、命を擲つ覚悟が必要だ。
多くの人は、そんな決心を付けられない。
戦う力も守る力も持たない者たちは、その決心諸共、生命を奪われる。
キルクルス教の聖職者でさえ、彼らの暴力に屈し、この自治区では彼らを止められないと言う。その恐怖心は負傷者たちや針子の少女を見た限り、一般の信者にも染みついていた。
……少なくとも、聖職者だけでも守り、星の標は異端者の集まりだ、と呼び掛け続けてもらえれば、人々の意識は……変わるのだろうか?
呪医セプテントリオーはカップを置き、仕立屋の老女に聞いた。
「先程、自治区の有力者が星の標を支持しているとおっしゃいましたね? その人たちは何故、異端者に与するのですか?」
「他所はどうだか知りませんけれど、自治区の星の標は元々、農業地区の自警団だったんですよ」
「信仰……キルクルス教内の宗派とは関係なく……ですか?」
意外な答えに呪医は目を丸くして聞いた。
老女は遠くを見詰めて答える。
「野菜泥棒を防ぐ為に、ラニスタ共和国の星の標が銃を提供しました。密輸だったんですけどね。それで、大勢の貧しい人たちが殺されました。勿論、泥棒はよくないことです。でも、何も小さな子供まで殺さなくても……」
老女の説明に、カップに添えた少女の手が震えた。
「武器を手に入れた彼らは、富裕な農家や団地地区の有力者に取り入って、彼らの富を守る為に働いて、たくさんの見返りを得てきました。冬の大火も、そのひとつです」
呪医セプテントリオーは先程の説明を思い出し、改めて星の標とその支持者の非道に心が冷えた。
「彼らは、星の道義勇軍も唆して、アーテルやラニスタの星の標に協力を仰いで、武器などを調達して……自分たちの欲で他の人たちの信仰心を利用して、自分たちは直接手を下さずに甘い汁を啜っているのです」
異端とは言え、彼らの信仰心は殉教をも厭わぬ程に篤く、強固なものだ。
……もし、ソルニャーク隊長が自治区へ戻ったとして、利用されたと知ったら、どうなるだろう?
呪医セプテントリオーは、星の道義勇軍の一部隊を任されたソルニャーク隊長の湖のように青く澄んだ瞳を思い出した。
針子の少女は重苦しい沈黙に今にも押し潰されそうだ。鎮花茶の効力が辛うじて心を支えていた。仕立屋の老女が決然と顔を上げ、呪医セプテントリオーの緑の瞳を見据えて言う。
「自治区の外にもキルクルス教徒が住んでいて、その人たちも、星の道義勇軍の蜂起を支援しました」
「外国ではなく、ネモラリス領内に……ですか?」
「そうです。彼らは物資の調達や作戦行動中の休息場所を提供しました。彼らの家を足掛かりにしてゼルノー市に進軍したんです」
老女は重々しく頷き、何故そんなことを……との問いを飲み込んだ呪医に内情を暴露する。
「自治区内の有力者は、一枚岩ではございません」
星の道義勇軍がゼルノー市を制圧した暁には、市域全体を自治区に組込みたい者。
穀倉地帯のゾーラタ区、真水の水源が得られるミエーチ区、鉱床を得られるピスチャーニク区、貿易港のグリャージ区の内いずれか、あわよくば複数が手に入ればいいと言う「控え目」な者。
ゼルノー市全域を手中に収めた上で、キルクルス教国として独立したい者。
現在の自治区の形のまま、独立したい者。
属領となって、アーテル共和国の統治下に入りたい者。
蜂起前の段階では、まさか本当にゼルノー市全域を制圧できるとは思わず、襲撃作戦を知る人々の間では「控え目」な者が多数派だった。アーテル・ラニスタ連合軍の空襲によって灰燼に帰し、立入制限中の現在は、独立派と属領派が有力者の勢力を二分している。
「弟は“控え目”な人たちの依頼を受けて、星の道義勇軍に全ての罪をなすりつけて政府に差し出す代わりに、ゼルノー市のどこか二地区だけでも自治区に編入するよう働き掛ける予定でした」
呪医セプテントリオーは、あまりのことに声もなく、老女の説明を頭の中で反芻した。
リストヴァー自治区選出の国会議員ラクエウスは、一体どんな思いで有権者の――それも極一部の有力者の意見を汲んだのか。
☆星の道義勇軍から聞いた蜂起の理由……「017.かつての患者」~「019. 壁越しの対話」参照
☆冬の大火も、そのひとつです……「054.自治区の災厄」「156.復興の青写真」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆彼らは、星の道義勇軍も唆し……「161.議員と外交官」参照




