559.自治区の秘密
「サロートカ、若いあなたもよく聞いて、これからどう生きるか考えてちょうだい」
仕立屋の老経営者はそう前置きし、鎮花茶で口を湿して三十年来の秘密を暴露した。
リストヴァー自治区は三十年前、魔法使いの居ないキルクルス教徒の為の清浄地として作られた。自治区外では魔法によって急ピッチで復興が進んだ。自治区は魔法に頼らず人力と機械で行ったが、予算不足もあり、東地区に生活困窮者がバラック街を形成するに至った。
人が根を降ろした場所の再開発は困難で、二月に焼き払われるまで、バラック街の無秩序は解消されなかった。
「バラック街に火を放ったのは、自治区に住む星の標の団員です」
「何故、そのようなことを……」
あまりのことに呪医セプテントリオーは言葉を失った。針子の少女が卓上のティーカップを両手で握り、その指先が白くなる。
「星の標を唆したのは、この辺りに住む有力者たちです」
「自治区の人が……ですか?」
「はい。有力者たちは、バラック街に魔法使いが混じっている、と言って彼らを煽ったんです。私は、今までと同じように、魔法を使ったと疑われた人が、見せしめにされるのだろうと思っていたのですが、まさか、街を丸ごと焼き払うなんて……」
企みを知りながら止められなかった、と老女が己の無力を嘆き、ティーカップに視線を落とす。
「後で知ったのですが、区画整理の邪魔だから……と。あの時なら、星の道義勇軍のテロへの報復のせいにできるから……と」
万が一の場合は、星の道義勇軍の生き残りに罪をなすりつけようと言う卑劣な計画だ。
言語的な意味は理解できるが、呪医セプテントリオーの理解の範疇を越える内容で、驚きが鎮花茶の効力を上回り、信じられない思いで質問した。
「放火した人たちが、無事に逃げ果せられるとは思えませんが……」
「星の標は、魔法使いを殺して殉教すれば、楽土へ行けると思い込んでいますから……」
老女の説明に針子の少女がそっと息を吐いた。
顔を挙げ、老女が秘密を語る。
「ご存知の通り、ラキュス湖周辺地域では、力ある民と力なき民の混血が進んでいます」
「そうですね。ひとつの家族の中でも混じっていますが……」
「えぇ。それは、自治区の中でも同じです。彼らは、それを根拠に星の標を煽ったのです。このサロートカの前に雇っていた針子のアミエーラは、あの大火で焼け出されてここまで逃げてきたのですが、あの子の祖母は魔法使いだったので、危ないと思って自治区の外へ逃がしました」
「えっ……?」
針子の少女サロートカがカップから顔を挙げ、老経営者を見詰めた。呪医セプテントリオーも聞き覚えのある呼称にハッとしたが、黙って続きを待つ。
仕立屋の老女は隣の少女に悲しげな微笑を向けた。
「半世紀の内乱以前は、キルクルス教徒とフラクシヌス教徒の結婚は、ちょくちょくあったのよ。お互いの信仰に折り合いを付けて……ね」
「想像もつきません」
針子のサロートカが恐れを抱いた目で、仕立屋の老女と呪医セプテントリオーを見る。
「全く問題がなかった訳ではありませんが、この地にキルクルス教が伝来してから内乱が始まるまで百年以上、それなりに上手く行っていましたよ」
呪医セプテントリオーが老女の説明を補うと、少女は何か言い掛けた口を噤んで、言問い顔を湖の民の呪医に向けた。
「私は四百年と少し生きていますので、キルクルス教伝来以前のことも憶えています。このラキュス地方は、魔物や魔獣が多いので、アルトン・ガザ大陸北部のように魔術を完全に排除しては生きて行けません」
老女が頷き、少女はぎこちなく理解を示した。
「自治区の秘密も、そこにあるのよ」
老女が話を継ぐ。
リストヴァー自治区は建前上、魔法使いの居ない清浄地だが、無自覚な力ある民は居る。その魔力を利用して、教会と学校、工場は【魔除け】の術を発動させていた。
針子の少女が息を呑む。
「全部の工場じゃないわ。自治区の外に本社がある東岸の大工場。湖と敷地を隔てる塀の湖に面した側に呪文を刻んで……」
「いえ、あの、店長さん、今、教会っておっしゃいました?」
「えぇ。サロートカ。あなた、聖典の星道記をきちんと読んだことがあるかしら?」
「聖句が載ってる部分ですよね?」
サロートカと呼ばれた少女が恐る恐る聞く。呪医セプテントリオーは何の話なのかと訝ったが、口を挟まずに続きを待った。
「一般信者向けの聖典には、聖句の部分しか載っていないのだけれど、星道記の大部分は技術書で、精光記と光跡記を全部足したよりずっと分量が多いのよ」
呪医セプテントリオーは湖の民だ。
フラクシヌス教の湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信者で、キルクルス教の聖典の中身を殆ど知らないが、針子のサロートカの様子から、それが多くの信者の目に触れぬよう隠されていたのだと察した。
「一定以上の技術と神学を修めた技術者と聖職者にだけ、星道記の残りの部分が開示されるの。どうして秘密か、察しがついたかしら?」
針子の少女サロートカは、鎮花茶のカップを石のような顔で見詰めて動かない。
呪医セプテントリオーの吐息で、カップから立ち昇る湯気の柱が傾いだ。
「……技術書……【編む葦切】学派や【巣懸ける懸巣】学派の一部の術には、道具や建物などの製作者が力なき民でも、別の人が魔力を籠めることで発動する術があります。つまり、そう言うことなのですね?」
仕立屋の老女が、呪医セプテントリオーの説明を肯定し、少女サロートカは微かに首を横に振って目を閉じた。
「精光記……聖者様の真跡の部分は欠落が多くて、解釈が分かれているのだけれど、聖典の大部分が身を守る魔法を記した技術書だと言うことは、聖者様は元々、三界の魔物を作り出した悪しき業……“魔法生物を作る系統の術”は悪しき業だから、便利でも二度と使ってはならない、とおっしゃったんじゃないかと思うんですの」
「成程。それなら、キルクルス教の聖典に【巣懸ける懸巣】学派の【魔除け】の術が載っていても矛盾しませんね」
呪医セプテントリオーは、ランテルナ島の拠点でラゾールニクに見せられた大聖堂の写真を思い出した。老女は深く頷いたが、少女は固く目を閉じて動かない。
仕立屋の老女は、リストヴァー自治区を囲む塀と街の四つ辻には、魔法を封じる【消魔の石板】が埋め込まれ、魔法使いの侵攻から守っていると語った。
それ以外の場所なら、【跳躍】で行き来が可能だと言う。
呪医セプテントリオーは、この家で【操水】などが使えたことを思い、呪歌【癒しの風】を使った石碑の広場へ跳べばよかろう、と移動の算段をした。
「私たちが縫う祭衣裳にも【魔除け】の呪文を刺繍しますし、夏祭の舞も【踊る雀】学派の【魔除け】の魔踊だと教わりました。混乱を招くから、一般の信者には秘密にするようにと言われましたけど……」
仕立屋の老女は大きく息を吐き、鎮花茶を飲み干して薬罐を火に掛けた。
☆星の標を唆したのは、この辺りに住む有力者たち……「213.老婦人の誤算」参照
☆ラゾールニクに見せられた大聖堂の写真……「432.人集めの仕組」参照




