555.壊れない友情
「実際の動きを見てみないとわからないけど、この踊りは【踊る雀】学派の【魔除け】の魔踊みたいね」
「クフシーンカ、踊れる?」
カリンドゥラとフリザンテーマに言われ、クフシーンカはカーテンを閉めて踊ってみせた。
クフシーンカに踊れるのは、パート毎に振付が異なる群舞のほんの一部分だけだったが、それでも二人にはわかったらしい。
「それ、やっぱり【魔除け】の魔踊だわ。神殿で何度も見たもの」
親友の姉カリンドゥラは、当時既に大学を卒業し、歌手としてフラクシヌス教の神殿で働いていた。
立ってクフシーンカが踊って見せた舞の振りをなぞってみせる。
「ここ。この部分は“日月星、生けるもの皆”って、手で力ある言葉を書いてんの」
「刺繍のここんとこと同じよ」
フリザンテーマに刺繍を指でなぞって言われ、クフシーンカは愕然とした。言われてみれば確かにその通りで、今まで彼女らだけでなく、近所に住む力ある民の服でずっと見ていた図柄だ。どうして今まで気付かなかったのか、不思議なくらいだ。
「ホント……ね」
やっとそれだけ言ったクフシーンカにフリザンテーマが聞く。
「どうしてキルクルス教の女学校で魔法を教えてるの? このくらい常識だから、魔法使いの先生も授業してるの?」
「どうしてって……私にもわからないわ。先生は、尼僧だから、力なき民よ……きっと」
クフシーンカは心の乱れに声が震えた。
親友姉妹は察してくれたようで、その件に着いてそれ以上言わずにいてくれた。
「あ、そうだ。教科書とか見せたの、誰にも内緒にしてちょうだい。お願い」
「え、あぁ、うん。わかった。クリャートウァ様に掛けて誓うわ」
「クリャートウァ様って誰?」
フリザンテーマの口から初めて耳にする名が飛び出した。親友は何者に誓おうと言うのか。
「誰って、フラクシヌス教の女神様よ」
「クリャートウァ様だけの神殿っていうのはなくって、岩山のスツラーシ様の神殿で一緒にお祀りされてるの。マイナーな女神様だから、キルクルス教徒のあなたが知らないのも無理ないわ」
カリンドゥラが妹の説明を補い、フリザンテーマも説明不足に気付いて言い足す。
「クリャートウァ様は誓いの女神様なの。旱魃の龍をやっつけようって、他の神様たちの誓いの証人になって、一緒に戦ったからって伝わってるわ」
「そ……そうなの。フラクシヌス教って、ホントに色んな神様がいるのね。みんな覚えてるの?」
「キルクルス教徒にも、聖者キルクルス様の他にも聖人が大勢居るわよね。そんなようなものよ」
三人はそれで何となくわかり合った気がした。後は、他愛ないお喋りをして過ごし、その日はそれで終わった。
あの日の衝撃が、老いで薄くなった胸に甦り、クフシーンカはそっと溜め息をこぼす。
「冷えてきましたね」
新聞屋に気遣われ、クフシーンカは大丈夫だと首を振り、天を仰いだ。
日が傾き、冷たくなった風に背を押され、一人、また一人と山中の街道を去ってゆく。
あれからずっと、二人は女神クリャートウァへの誓いを守り、クフシーンカが見せた聖典の秘密を守ってくれたらしい。クフシーンカは誰からも魔法使いの異教徒に聖典を見せた、と言って咎められることはなかった。
友達付き合いはずっと続いて、お互いの結婚式にも出席した。
カリンドゥラとフリザンテーマは、クフシーンカを通じて知り合ったキルクルス教徒の男性と恋に落ちて結ばれた。
……あの頃は、許されてたのにね。
陸の民ならどの宗教のどの神を信仰しているか、見た目にはわからない。
同じ服を着れば、力なき民か力ある民か、魔力の有無もわからなくなる。
誰がどんな信仰を抱いているか、隣近所に住む者や、親しい者でなければなければわからない。半世紀の内乱中、今まで信じていた人々の多くが敵に回った。
社会人になってからは、仕事や家庭のことでそれぞれ忙しく、近所に住んでいてもなかなか三人の顔が揃うことはなかったが、友情は続いていた。
世相に暗い影が落ちても、内乱が勃発しても、互いの身を案じる友であることに変わりなかった。
家族の安全の為、住居を移して離れ離れになっても、郵便が届く限り手紙を送り合った。名を見たところで、魔力の有無や信仰、人種まではわからないのだ。
ポストや局舎が燃えたり、配達人が襲われるなど、内乱のせいで届かないことはあったが、三人は互いの無事を信じて便りを待ち続けた。
半世紀の内乱が終わった時、クフシーンカと弟のハルパトール、カリンドゥラの配偶者と子供たちは失われ、フリザンテーマには夫と末娘、夫の両親が残った。
クフシーンカとラクエウスは勿論、信仰に従ってリストヴァー自治区に移り住み、ハルパトールは国会議員となって罠と呼ばれるようになった。
フリザンテーマの一家も自治区に隠れ住み、クフシーンカとラクエウスは密かに親友の一家を支えた。
過去の交友関係を知る者から、フリザンテーマが力ある民の魔法使いと知られる危険がある。ラクエウスが国会議員として頭角を現し、自治区内外で有名になるにつれ、フリザンテーマの身の安全の為、会う頻度を減らした。
彼女の舅姑と夫が相次いで世を去り、娘と二人暮らしになってからは、こっそり手を回して親友母子を守った。
そのせいで、あの娘はラクエウスの隠し子だなどと陰で噂されたが、その方が安全だと判断し、ラクエウスとフリザンテーマは何も言わなかった。
「店長さん、大丈夫ですかい?」
「えぇ、大丈夫よ。フリザンテーマを思い出していたの。昔のことばかり思い出すのは、そろそろお迎えが来るからかしらね?」
「そんなコト言わないで下さいよ。店長さん、まだまだアテにしてますんで」
「そう? いつお迎えが来るかわからないのに、こんな九十過ぎのお婆ちゃんにいつまでも頼ってちゃダメよ」
罹災者支援事業の引継は書いた。クフシーンカが居なくなっても、新聞屋と菓子屋の店主、銀行員たちが中心になって回してくれるだろう。
今の自治区内で祭衣裳を作れるのは、クフシーンカと尼僧だけだ。針子見習いになったばかりのサロートカを仕立屋として育て上げるのはどう考えても無理だ。司祭と尼僧には既にサロートカの今後を頼んである。
相続人の居ない財産は国庫に入るが、この状況では何に使われるか知れたものではない。
クフシーンカ個人の預金は粗方、自治区の罹災者支援事業に注ぎ込んだ。保有する株式も、売れる物は売った。
店の運転資金にはまだ手をつけていないが、空襲以来、自治区に新品の生地が入って来なくなり、殆ど注文もなく、商売にならなかった。




