552.古新聞を乞う
午後、教会の奥の部屋に集まり、近々行う婚礼について話し合っていると、老いた尼僧が入ってきた。
「すみません。お話中、恐れ入ります。新聞屋さんに急ぎのご用と言う方がお見えです」
「俺に? 号外が出るのかい?」
「いえ、新聞社の方ではなくて、教会のご近所の方々なんですが、古新聞が欲しいそうなんです」
尼僧の説明に司祭がたちまち顔を曇らせ、クフシーンカも眉根を寄せた。
……また誰か、毛布を盗まれのかしら?
それにしては、わざわざ新聞屋に言うのがよくわからない。教会には、そんな時の為に寄付で集まった古着を蓄えてあり、今冬の凍死者を減らす体制を整えつつあった。
「詳しいことは、みなさんから直接お願いします。わたしにもちょっとよくわからなくて……」
新聞屋の亭主と同時に司祭も立ち上がり、祝い事の話し合いはお開きになった。
礼拝堂では相変わらず、職にあぶれた人々が針仕事に精を出す。
今は冬に備えて古着を解体して、敷物を作っていた。仮設住宅の硬い床に直接寝ると身が冷えてしまう。
最近、海外からコンテナ数個分の古着が追加で届けられたが、そのまま着られる状態の良い服は少なかった。
アルトン・ガザ大陸の信者たちに足下を見られたようで、クフシーンカは不愉快だったが、何もないよりはマシなので、活用法を捻り出し、取組みを広げている。
小学校の空き教室でも同様の取組みをしている。場所と裁縫道具が足りないので、礼拝のない時間は教会も作業用に開放してもらった。
三人の男性は、礼拝堂の隅で所在なさげにキョロキョロしていたが、司祭たちの姿が見えると背筋を伸ばした。代表で一番年嵩の者が口を開く。
「こりゃどうも、新聞屋さん、お忙しいとこすみませんね」
「何の用だ?」
「みんなの邪魔になっちゃいかんので、ちょいと外で話をさせてくれませんかね、急ぐんで、できれば車ん中で」
「古新聞に急ぎの用? 何でだ?」
新聞屋の亭主は不信感も露わに今朝、薪拾いに行くと言った三人組を見る。
「何かお困りですか? 教会にも少しですが、古新聞を置いてありますが……」
司祭が控えめな声で申し出る。男性たちは顔を見合わせ、一番年嵩の者が申し訳なさそうに身を縮めた。
「あぁ、わざわざ司祭様のお手を煩わすようなアレじゃねぇんでさぁ。もし、新聞屋の残りで足りなかったら、そん時ゃ改めてお願いに上がります」
「どなたか、毛布を紛失された言うことは……」
「あぁ、いえ、そいつぁ大丈夫でさぁ。それに、前よりイイ服もらって、タオルもありやすんで」
遣り取りに首を傾げながらも、新聞屋は礼拝堂の外へ出た。
「仕立屋さんを店に送ってくんで、そのついででいいか?」
「急いでもらえるんなら、そりゃもう……」
「バックナンバーは、最近の一週間分くらいしかないぞ。本社に言っても、現物の取り置きは一月分くらいだ」
「あ、あぁ、そりゃぁもう……」
男性たちは、クフシーンカがワゴンの助手席に乗るのを手伝い、後部座席に乗り込む。
司祭と尼僧に見送られ、ワゴン車が動きだすと、若者が早口に説明した。
「この間、掘り出した山道にラクリマリスへ行くって人が居て、その人が火事の後、自治区がどうなったか知りたいから古新聞が欲しいって言ってるんだ」
「なんだそりゃ?」
新聞屋がバックミラー越しに、若者の顔を見る。年嵩の男性が、興奮を抑えきれない若者の肩を抑えて補足した。
「こっちに工場がある会社の関係者が、復興の様子を知りたがってんだが、立入制限があるし、外の奴はおいそれと自治区にゃ入れねぇ。情報がカネになるんだよ」
「あぁ、そう言うことだったの」
クフシーンカは少し安心したが、新聞屋は警戒を崩さない。
「話が美味過ぎる。詐欺じゃねぇのか?」
「詐欺だったとしても、取られんのは古新聞だけだ。別にイイだろ?」
三人目の男性が、ミラー越しに新聞屋の険しい目に甘えたような視線を送る。新聞屋はおっさんの媚態に応じず、フロントガラスの向こうへ視線を投げた。
「司祭様っつーより、他の連中に聞かれたら、山に人が殺到するから、みんなに内緒ってコトだな?」
「そ、そうなんだ」
「お前ら三人だけで美味しい目ぇ見ようってなぁいただけねぇが、ホントに後ろ暗い話じゃねぇんなら、俺も立ち合せてもらうぞ? 大丈夫なんだな?」
三人は首振り人形のように頷いた。
「そう言うことなら、最近だけじゃなくて、色んな時期のがあった方がいいわよね?」
「あ、そ、そうっスね、店長さんちにあるんですか?」
クフシーンカの申し出に、若者が瞳を輝かせる。
「寒い時期のは、毛布代わりにあげてしまったけれど、暖かくなってから……六月以降なら取ってあるわ」
「マジっスか? 後で水汲みでも何でも働いて返すんで、譲ってもらえませんか?」
喜びと興奮に声を上ずらせて懇願する若者に、クフシーンカは肩越しに振り向いて言った。
「仕事はいいから、その人のことを包み隠さず教えてちょうだい。私の弟と接点のある人だったら、伝言をお願いしたいの」
「知ってると思うが、店長さんの弟さんは、国会議員なんだ」
新聞屋が言い添えると、若者は首を横に振った。
「議員の先生とはカンケーない人ですよ」
「どうしてそう言い切れるの? 弟は国会の用事で首都にもしょっちゅう行くし、自治区に工場を置いている会社や、自治区外と取引のある下請け、その取引先のみんなと繋がりを持ってるし、あちこちの人権団体とも……」
「湖の民のお医者さんだからカンケー……むぐ」
若者は両隣の二人に口を塞がれ、頭を押さえられたが、一度口から飛び出した決定的な言葉が消えてなくなる筈もなく、五人はそれぞれ別の理由で苦い顔になった。
「言わなきゃ動かねぇぞ」
新聞屋が団地地区の公園前でワゴン車を停める。
三人は渋々、山で会った人物について語った。
今日は天気がいいので、掘り起こした旧街道へ薪拾いに行った。
石畳の道は雑妖や弱い魔物なら退けてくれるが、少し強い魔物やこの世の肉体を得た魔獣までは防ぎ切れない。女子供や老人や怪我人、病人……薪採りに来られない人たちの分も集めて、山と麓の広場を何往復もした。
昼過ぎに今日はそろそろ作業を上がろうかと話していたところ、山中の街道を西からやって来る人が見えた。
緑色の髪で、白衣を着て、首から提げた銀の徽章は翼の生えた蛇。
本人曰く、ゼルノー市立中央市民病院の呪医とのことで、救急搬送された自治区民を何人も治したことがあるらしい。呪医本人ではなく、知人が自治区の様子を知りたがっており、治療の対価として古新聞を求められた。
「……それと、治すのに水が要るって言われて、水汲みと古新聞で手分けしたんでさぁ」
年嵩の男性が説明を終えると、車内に何とも言えない沈黙が降りた。
クフシーンカが記憶を手繰っていると、新聞屋の亭主が先に口を開いた。
「今、治療っつったか?」
「だ、だって、治してもらわなきゃ、食ってけねぇし、弟んとこの職長は、こんなの空襲前は市民病院で呪医に治してもらってたのにって……」
若者が、新聞屋の不穏な声音に泣きそうな声で抗弁する。その一言で、老いたクフシーンカの断片的な記憶が繋がった。
「労災事故で救急搬送した時の取扱いについて、弟は市民病院に出向いたことがあるわ。その呪医の呼称を教えてもらえないかしら?」
「すんません。聞いてねっス」
三人が申し訳なさそうに縮こまる。
「確か……外科の呪医なら、何回か弟と会議で話し合ったことがあるのだけれど……新聞は欲しいだけあげるから、私も連れて行ってくれないかしら?」
「婆さんの足じゃムリですぜ」
男性の一人が首を横に振るが、新聞屋が一睨みして言った。
「若いのがおんぶして連れてってやんな。俺も行く」
話がまとまり、ワゴン車がエンジンを始動した。




