551.癒しを望む者
若者が声を上ずらせて聞いた。
「あ……あんた、市民病院の医者っつったよな?」
「はい。【青き片翼】……身体の傷を癒す術が専門で、病気を治す術は知りませんが、どうされました?」
「く……空襲……空襲で、市民病院はどうなったんだ? あんた、なんでこんなとこ歩いてんだ?」
若者は呪医の質問に答えず、質問を重ねた。
……誰か身内が重傷を負って、治療を必要としているのか?
呪医セプテントリオーは、若者の今にも泣きだしそうな顔にピンと来たが、取敢えず彼の質問に答えて反応を見る。
「市民病院は全壊して、大勢の同僚が亡くなりました」
「外の街は、魔法で守られてんじゃなかったのかよ?」
年嵩の男性が不思議そうに首を傾げる。呪医セプテントリオーは込み上げた苦いものを抑え、静かに首を横に振った。
「魔法はたくさんの専門分野に分かれています」
二人は呪医の説明を吟味しているのか、無言で宙を睨んで木立の隙間から北側を覗った。
「……そう言うもんなのか」
「はい。町や建物を守るのは【巣懸ける懸巣】と言う系統の術を学んだ専門家の仕事ですが、半世紀の内乱で大勢亡くなって、魔法で守られた場所は多くありません。それに、術の効力を上回る攻撃を受ければ、どうにもなりませんよ」
「じゃあ、今……ゼルノー市は……」
「ゼルノー市だけではなく、クルブニーカ、北ザカート……私が行った街はどこも焼け野原でしたよ」
「街がそんなで、あんたどうやって生き残ったんだ?」
年嵩の男性が聞く。明らかに仲間が来るまでの時間稼ぎだが、争い事を避ける為に呪医セプテントリオーは律儀に答えた。
「あの時、同じ部屋に居た人たちを連れて、クルブニーカへ【跳躍】……魔法で逃げました。ですが、そこもダメだったので、森の中へ逃れました」
「森だって? 魔獣がうじゃうじゃいるのにか?」
若者が驚く。
「はい。森の中に製薬会社の研究所があって、そこなら警備員さんが魔獣から守ってくれるんですよ」
「ほー……」
二人が呆然と呪医の話に聞き入る。尤も、その警備員たちは武闘派ゲリラに身を投じ、レサルーブの森を離れてしまった。呪医セプテントリオーが知る限り、生き残りはオリョールとジャーニトルの二人だけだ。
片付けられた街道には、まだ他の人影は現れない。年嵩の方が我に返って質問する。
「何で今頃、ラクリマリスなんか行くんだ?」
「あの後、個人の別荘で負傷者の治療をしていましたが、王都の難民支援を手伝って欲しい、と人伝に頼まれたからですよ。国境付近の街は、まだ立入制限があって、病院を再建できませんし……」
嘘ではないが、正直でもない。
罪悪感を抑え込み、何でもないことのように答えた。
若者が、恐れを押し殺した声で聞く。
「でもよ、難民支援って、タダ働きなんだろ?」
「正式な診療報酬は望めないでしょうが、安全な寝床と毎日の食事は……」
「じゃあ、もし……もし、俺が食いモン渡したら、弟を助けてくれんのか? だって、前は工場の事故って市民病院で治してくれてたんだろ?」
期待と恐れの混じった目を向けられ、呪医セプテントリオーは返答に詰まった。
仮に手足が千切れていようと、それが腐敗せずに残っていれば、元通りに繋げられる。ない場合、欠損部位は復元できないが、取敢えず傷を塞いで生命だけなら助けられる。その状態では、魔法使いの居ないリストヴァー自治区で、従前通りに生きて行ける保証はない。
……そもそも、信仰の問題はどうするつもりだ?
石を飲んだように黙りこんだ呪医に、若者は涙混じりに怒鳴った。
「俺らが自治区民だからって治したくねぇのかよッ?」
「えぇッ? ちょっと待って下さい。いつも、あなた方が、聖者様の教えに反するから、と治療を拒否しているのですよ?」
……何を言ってるんだ、このコは?
呪医セプテントリオーは思わず、年嵩の男性に視線で助けを求めた。彼が空いた手で若者の肩をポンと叩いて首を横に振る。若者のキツい視線に射抜かれ、年嵩の男性は何も言わずに湖の民の呪医を見た。
「意識不明の状態で救急搬送された患者さんを治療して、意識が回復してから自殺されたこともあります」
呪医が項垂れると、二人が息を呑んだ。
空気が鉛になったような沈黙の中、どのくらいそうしていたのか、石畳を打つ足音で二人が振り向いた。呪医セプテントリオーも顔を上げる。
先程の一人が先導し、負傷者を乗せた担架が続く。ボロ布で片腕を吊ったおばさんや松葉杖をついたおじさんなど、怪我人がぞろぞろついて来る。
「それに、これは人伝に聞いた話ですが、魔法の治療を受けたから、と退院して自治区に戻ったところで……殺された人が居るとかなんとか……」
そこまで言って、メドヴェージの顔が呪医セプテントリオーの脳裡に閃いた。
運転手が入院したのは、一週間程だ。
その間に妻子が死んだと言っていた。
運送会社の正社員だった彼は、バラック街の住人の中では比較的裕福な部類だ。そんな短期間で家族が餓死するとは思えない。
……そう言うことだったのか。
改めてメドヴェージの境遇を思う。キルクルス教原理主義団体の「星の標」ではなく、信仰に寛容な「星の道義勇軍」に身を委ねた理由がわかったような気がした。
呪医セプテントリオーは、山道を埋める負傷者の行列に目を向ける。最後尾は木立に隠れて見えないが、足音や風に乗るひそやかな話し声などで、人数が膨らんでいるらしいのが察せられた。
先導してきた男性が道を譲り、粗末な即席担架が前に出る。
若者によく似た少年が蒼白な顔で横たわっていた。ズボンの右を切り取られた足に、ボロ布で板を括りつけてある。一応、洗ってあるのか足の汚れは少ないが、それ以上の治療は受けられなかったのか、患部の腫れが酷く、他にも多数の打撲痕と瘡蓋の新しい擦過傷がある。
「工場で配送のトラックに轢かれたんだ。工場の近所に病院があったけど、冬の火事で焼けちまったし、元々こう言うのは市民病院で治してもらってたって、職長が……」
若者の縋るような視線から逃れ、呪医セプテントリオーは負傷者たちを見た。期待と不安、信仰に背く恐れの入り混じったたくさんの眼が、湖の民の呪医を見詰め返す。
「これまでと同じように……術で傷を癒すのは難しくありません」
市民病院の呪医が宣言すると、人々の顔が明るく輝いた。呪医セプテントリオーは、続きの言葉を絞り出す。
「ただ……その後の……みなさんの身の安全は……」
「そんなの、今までだってそうだったさ。構うもんか」
「センセイにそこまで世話してもらおうとは思わんよ」
列の中から声が上がった。
「頭の固い原理主義者の連中にみつかったら、確かに大変だけどよ、そんなの気にして今日や明日に死ぬより、ちっとでも望みがあるんなら、聖者様にちっとの間、目ぇつぶってもらった方がよっぽどいい」
「信仰のこたぁ俺らの内輪の問題だ。センセイは気にせんでくれ」
「足りないだろうけど、これ、治療のお代……」
おばさんが、一目で古着を解体して作ったとわかる布袋を掲げた。よれよれの袋はパンパンに膨らんでいるが、彼らの様子から、中身は期待できないだろう。
呪医セプテントリオーは、ずっと東まで続く行列に目を向けて言った。
「えぇっと……報酬は、冬の大火からこれまでの自治区の様子を紙に書くか、古新聞……自治区内で発行されている新聞がありましたら、それを……」
「そんなの、どうすんだい?」
おばさんが呪医の申し出に面食らい、袋を持つ手が下がる。
「知り合いが……ゼルノー市民なんですけど、自治区の下請けに部品を作ってもらっていた会社の人と、自治区の運送会社と付き合いがある人が居て、自治区がどうなったか、知りたがってるんですよ」
「あぁ、その人たちに自治区の話……新聞を証拠に持ってって喋りゃ、たんまり情報料をもらえるって寸法か。わかったよ」
担架を持つ男性の一人が、ニヤリと笑った。
口から出任せだが、呪医セプテントリオーは話を合わせて頷いてみせる。戸惑いと喜びが負傷者の行列に漣となって広がった。
「私ゃ新聞を取ってないし、字も、名前くらいしか書けないんだけどねぇ……」
おばさんがしょんぼり項垂れた。
「新聞とメモを入れるのに、その袋をいただけますか?」
「食べ物はいいのかい?」
「そんなにたくさん、持ち歩けませんよ。保存食があるのでしたら、それひとつで結構です」
おばさんは何度も礼を言いながら、無事な方の手でもどかしそうに袋の中身を石畳の上にあけた。中身のわからない巾着袋数個と、堅パンのパックが転がる。
呪医セプテントリオーは最後尾にも伝わるように声を張り上げた。
「治療には水が必要です。どなたか、汲んで来て下さいませんか?」
「ホントに水と新聞で治してくれるんだな? わかった! 絶対、絶対、待っててくれよ!」
若者が呪医の両肩を掴んで叫び、人々の脇を駆けて行く。
足を骨折したらしい少年は発熱して意識がなく、呼び掛けには答えないが、呼吸はしっかりしていた。
担架を担いできた男性たちが「水を汲んで来る」と石畳に担架をそっと降ろして引き返し、通せんぼしていた年嵩の男性と、怪我人を先導してきた男性も列を離れる。
呪医セプテントリオーは路傍の木に背を預け、空を見上げた。
枝の隙間から見える空は青く、雨の心配はなさそうだ。午後の日はまだ高いが、全員を癒し終える頃には日が暮れるだろう。
……それ以前に、私の魔力が足りるかどうか。
呪医セプテントリオーは、拠点から【魔力の水晶】を持ち出さなかったことを悔やんだ。今更、嘆いても仕方がない。
「水を待つ間、大火の前後で何がどう変わったか、教えていただけませんか?」
湖の民の呪医が聞くと、名前しか書けないと嘆いたおばさんは喜んで、大火からこれまでの苦労と変化を語った。
☆運転手が入院した……「017.かつての患者」参照
☆ゼルノー市民なんですけど、自治区の下請けに部品を作ってもらっていた会社の人=クルィーロ。自治区の運送会社と付き合いがある人=メドヴェージ。セプテントリオーはクルィーロの勤務先(「086.名前も知らぬ」参照)を知らない。出任せのハズが偶然、本当のことを言っている。




