549.定まらない心
「あなたのことは、ラゾールニクから聞いてずっと気になってたの。この手帳の歌を歌ってたでしょ? 民族融和の曲……歌詞が未完で、レコーディングできなかった歌なんだけど」
「えっ、えぇ、あの、はい。みんなと一緒に、歌詞がわかるとこまで歌いました」
「旋律はどこで知ったの?」
「レコードに……一緒に入ってました」
「レコードに、一緒に? 『この大空をみつめて』はシングルしか出てない筈よ」
カリンドゥラは首を傾げた。
「えっ? いっぱい入ってましたよ?」
薬師アウェッラーナが驚いて口を挟んだ。
「天気予報の曲……単独の楽器で色々なパターンの演奏があって、B面には普通の歌と、呪歌の【やさしき降雨】も入ってました。それに『すべて ひとしい ひとつの花』が、オーケストラと、これも単独の楽器で色々……こっちには歌がありませんでしたけど……」
カリンドゥラが他の三人を見回す。
「そう言えばあの動画、そんなタイトルが付いてたわね。あなたたちが付けたの?」
「いえ、レコードに書いてあったんです」
薬師アウェッラーナが言うと、フィアールカがバッグからタブレット端末を取り出し、銀のカップを端に寄せてローテーブルの中央に置いた。
ファーキルがドーシチ市の屋敷で撮った動画が、歌を収録した屋敷と同じくらい豪華な部屋に歌声を響かせる。
画面の上部に「ラキュス・ラクリマリス共和制移行百周年記念の曲“すべて ひとしい ひとつの花”」と湖南語のタイトルがあり、画面の中にはみんなの足下だけが映っていた。
「この動画を上げたのは誰かしら?」
「ラクリマリス人の男の子です。私たちと一緒に避難してる子なんですけど、呼んできましょうか……?」
アミエーラが答えると、カリンドゥラは首を横に振って問いを重ねた。
「その子がタイトルを決めたの?」
「いいえ。みんなでレコードの曲と、手帳の歌詞の音数が合うから、きっとセットなんだろうねって……」
「そう……」
カリンドゥラは思案顔で黙り込み、画面を見詰めた。アミエーラはフィアールカと目が合ったが、湖の民の運び屋は何も言ってくれない。
曲が終わると同時に、カリンドゥラがタブレット端末から顔を上げた。
「これまで何人も【偽る郭公】の【化粧】の術で姿を変えて、私の生き別れの妹だって名乗り出る人が来たわ」
……私もそうだって言うの?
それならそれで構わない、と安心してしまった自分が嫌になる。
アミエーラの気持ちを知ってか知らずか、カリンドゥラは偽者をどうやって見抜いてきたか、淡々と語った。
「でも、あの人たちは誰もフリザンテーマの真名を言えなかったし、あの子が夫と一緒にネーニア島へ渡ったことまでは調べられても、リストヴァー自治区へ移住したことまではわからなかったの」
何とも言えない沈黙に堪えかねたのか、薬師アウェッラーナが香草茶を口許へ持って行く。
フィアールカがアミエーラの瞳を覗き込んで言った。
「あなたは、どうしたい?」
「えっ、あのっ、ど、どうって……どうしましょう?」
狼狽えて、思わずカリンドゥラを見る。アミエーラとよく似た女性は困ったように微笑んだ。
「手紙を見せていただいてよろしいかしら?」
「は、はいっ、ど、どうぞ!」
声が裏返ったが、アミエーラにはそれを恥ずかしいと思う余裕さえなかった。
カリンドゥラが「引越す前の住所ね」と呟き、優雅な手つきで封を切る。
「自治区に移住してからは、連絡できなかったから……」
便箋に目を走らせる。
読み進める内にアミエーラと同じ色の瞳が曇り、ハンカチで目頭を押さえたまま、その先へ進めなくなった。
……店長さん、何て書いたの?
不安に駆られたが、他人宛の手紙を覗き見するワケにもゆかず、アミエーラはカリンドゥラが何か言ってくれるのを辛抱強く待った。
長いような短いような時が過ぎ、顔を上げたカリンドゥラは涙に震える声を絞り出した。
「……これは、確かにクフシーンカの筆跡よ。あなた……苦労したのね」
差し出された便箋を受け取り、視線を走らせる。店長の整った文字が、祖母フリザンテーマの自治区での暮らし、アミエーラの母である娘の結婚、アミエーラの生い立ちから名付けの経緯、大火で父を失ったことまでの半生が、簡潔に記されていた。
店長は他人なので、流石にアミエーラの真名までは知らなかったが、キルクルス教徒なら本来必要のない魔術的な真名が付けられていることと、アミエーラが力ある民でも力なき民でも、信仰に関わりなく受け容れてあげて欲しいとの旨が綴られていた。
……私は、イフェイオン・ユニフローラム・ステルラ・カエルラ。
アミエーラは、幼い頃祖母に教えられた自分の真名を心の裡に唱えた。
「あなたは、私の妹の孫で間違いないわ。これから、どうしたい? 私と暮らす?」
「あ、あの、でも、私、どうしたらいいのか……」
この期に及んでまだ身の振り方を決められない自分を情けなく思うが、今までの人生全てを捨てて別人になってしまうようで、怖かった。
湖の民の薬師アウェッラーナがカップを置いて背筋を伸ばす。
「私がこんなコト言うのは、すごく差し出がましいんですけど、アミエーラさんは呪文を知らないだけで力ある民だから、カリンドゥラさんと一緒に行った方がいいと思いますよ」
それが一番自然で、当然の行動だ。
湖の民の運び屋フィアールカが、完全な部外者として冷静な意見を口にする。
「あの子たちと一緒にネモラリス島へ行くんなら、何かそれなりの理由が必要よ。あるの? 理由?」
「り……理由……」
理由どころか、力ある民であることを隠して、ずっとモーフたちを騙して一緒に居たのだ。あわせる顔もない。みんなとこれからも一緒に居られるような口実は全く思いつかないが、離れ難い気持ちがあるのも事実だ。
頭が真っ白になって、何も言えない。
「急に言われても決められないわよね。私は今、王都で難民の支援活動をしているのだけれど。ネモラリス島で家を二軒持ってるの。仕事がある時はクレーヴェル、休みの期間はレーチカ。どちらの家も空襲に遭わなかったから、えぇっと……」
大伯母カリンドゥラも、どうしていいかわからないようだ。困った顔でフィアールカを見る。
湖の民の運び屋は、少し考えて提案した。
「アミエーラさんの分、船をキャンセルして一泊延ばしたけど、その内ネモラリス島の家に帰るんだし、ここでゆっくり考えてみたら?」
後でみんなに会おうと思えば、ネモラリス島で会えるだろう。
現実的に考えて、大伯母と一緒に暮らす以外の選択肢はない。
単にアミエーラの決心がつかないだけだ。一日、みんなと離れて一人で考えれば、気持ちが落ち着いて状況を受け容れられるかも知れなかった。
☆『この大空をみつめて』はシングル……「241.未明の議場で」参照
☆みんなでレコードの曲と、手帳の歌詞の音数が合うから、きっとセットなんだろうね……「275.みつかった歌」参照




