548.薄く遠い血縁
「じゃあ、取敢えず船は一人分キャンセルで、ここは一泊延長しとくから、よく考えてねー」
湖の民の運び屋フィアールカは、何でもないことのように言ってさっさと行ってしまった。部屋に取り残された針子のアミエーラは、閉じた扉を呆然と見詰めるが、思考は空回りするばかりだ。
控えめなノックに続いて、薬師アウェッラーナの心配そうな声がアミエーラを呼ぶ。
湖の民の薬師を部屋に入れると、アウェッラーナは卓上の水差しから水を起ち上げ、香草茶を淹れてくれた。精緻な細工が施された銀のカップから香気が立ち昇り、動揺が鎮まる。それでも、アミエーラの思考はまとまらなかった。
薬師アウェッラーナに促され、やわらかなソファに身を沈める。カップを手に取る気力も湧かなかった。
「えぇっと、ファーキル君が、ラゾールニクさんからも伝言があったって言ってました」
薬師アウェッラーナが預かった伝言は、フィアールカの話とほぼ同じだった。
ラゾールニクは、武力に依らず平和を求める団体で連絡係をしている。
ランテルナ島の森に隠された拠点で初めて針子のアミエーラと会った時、歌手のニプトラ・ネウマエとそっくりで驚いたと言う。移動販売店のみんなには内緒で、アミエーラの姿を写真に撮り、歌手ニプトラ・ネウマエに見せた。
ニプトラの家族は、半世紀の内乱中に亡くなったが、妹の一家は生き延び、リストヴァー自治区に移住した。
妹のフリザンテーマはフラクシヌス教徒で力ある民だったが、キルクルス教徒の夫を深く愛していた為、夫の傍から離れなかったのだそうだ。
もしかすると、フリザンテーマの娘か孫かもしれないが、自治区民が外へ出る筈がないから、他人の空似だろう、と言うことで一旦は落ち着いた。
「でも、さっき、お手紙と写真を持ってるってコトだったので、念の為に会って確かめたいんだそうです」
「……そう、なんですか」
アミエーラは何と言っていいかわからなかった。
知らない間に写真を撮られていたのは不愉快だったが、それはこの際もうどうでもいい。
この先どうすればいいのか。
今までさんざん考えて覚悟を決めたと思っていたのに、心が乱れてその覚悟も将来のことも、散り散りに消し飛んでしまった。
大神殿でコンサートをするくらいだから、ニプトラ・ネウマエはフラクシヌスへの信仰心が篤いのだろう。
……もし、ニプトラさんがホントに大伯母さんだったら、私、仲良くできるの?
ずっとリストヴァー自治区で暮らして、キルクルス教徒として育ったアミエーラを「妹の孫」と言う薄く遠い血縁を理由に受け容れてくれるだろうか。
他人の空似だったなら、みんなと一緒にネモラリス島へ渡って、どこかの縫製工場に雇ってもらえばいいだろう。
フラクシヌス教の教えには今朝、初めて触れたが、気持ちが落ち着いてからなら、改宗できるかもしれないと思えた。
……あぁ、でも、ホントに大丈夫?
気もそぞろで、昼食に何を食べたかもわからない。
揺れ動き、定まらない心を抱えて、約束の時間を迎えた。
怖くて窓の外を見られない。ソファに浅く腰掛け、俯いていると、足音が近付いてきた。一人ではないが、人数まではわからない。
ローテーブルに並べた証拠の品を見詰めた。
古い手帳三冊。
祖母と一緒に山道に埋め、祖母の物だと思い込んでいたが、一冊は中の筆跡が祖母の物とは明らかに異なっていた。
仕立屋のクフシーンカ店長から預かった手紙。
カリンドゥラ宛なので開封しておらず、何が書いてあるか知らない。宛先はネモラリス島のクレーヴェル市の住所が書いてあるが、今朝、神殿でファーキルに見せてもらったプロフィールでは、ニプトラ・ネウマエの出身地はリャビーナ市となっていた。
色褪せた写真一枚。
娘時代の祖母フリザンテーマとその姉カリンドゥラ、親友のクフシーンカ店長が並んで微笑む。祖母と大伯母、そしてアミエーラは似ていると言えば似ているが、古ぼけた写真はやや不鮮明で、見れば見る程わからなくなってきた。
足音が止まり、乾いたノックが響く。
アミエーラは息を呑んで身を竦めた。
支配人が、抑えた声で来客を告げる。
薬師アウェッラーナが戸口に立って返事をして、辛うじて顔を上げた針子のアミエーラを見た。逃げ出したいのを堪えて頷いてみせる。湖の民の薬師が扉を開け、年配の支配人が扉を押さえて恭しく来客を通した。
湖の民の運び屋フィアールカの姿に、アミエーラは思わず立ち上がる。続いて入った金髪の女性の姿が視界に飛び込んだ瞬間、足が震えた。
「えっと、じゃあ、私は席を外しますね」
「あっ! ま、待って下さい!」
出て行こうとする薬師を思わず呼びとめる。アウェッラーナは困った顔で運び屋と金髪の女性を見た。
金髪の女性が、アミエーラにやさしく微笑んだ。
「心細いのよね? ……お友達さえご迷惑でなければ、話し合いに立ち会っていただいてもよろしいかしら?」
「えっ? あ、あぁ……私はあれで、えぇ、まぁ、大丈夫ですけど、いいんですか?」
話を振られたアウェッラーナがしどろもどろに言って、一同を見回す。
アミエーラが何度も頷くと、フィアールカが苦笑した。
「いいんじゃない? 本人がうんって言ってるんだし」
「それでは、お茶は四人分ご用意致します」
支配人がそっと扉を閉めた。
湖の民二人が戸口に立ち、金髪の陸の民二人はローテーブルを挟んで立ち尽くす。心臓が狂おしい程に激しく打ち、アミエーラは身体が芯から焼き切れそうな気がした。
「えぇっと……座らせていただいてよろしいかしら?」
「はっ、は……はい、はいぃ、どっどうぞ、どおぉぞ」
同じ顔で優雅に微笑まれ、アミエーラは自分でも何を言っているのかわからないまま激しく頷いた。
「私たちのことは気にしなくてもいいから、あなたも座ったら?」
フィアールカに呆れた声で言われた途端、アミエーラの震える足が力を失い、半ば腰を抜かした状態でソファにすとんと身体を落とした。
向かいに座る女性は、王都の人々と同じように呪文が施された服を着ていた。首から提げた銀の徽章は、胸張って高らかに囀る小鳥だが、アミエーラには何学派なのかわからない。
「初めまして。私は【歌う鷦鷯】学派の歌手。呼称はカリンドゥラ、歌手としての芸名はニプトラ・ネウマエ。どちらで呼んで下さっても構わないわ」
「あっ!」
戸口のアウェッラーナが声を上げ、カリンドゥラが振り向く。注目を浴びた薬師は、しどろもどろに言った。
「えっと、あの、えーっと、あれ……天気予報の歌を歌ってた方ですよね?」
「ずっと昔の歌なのに、よくご存じね。あなたも長命人種なのかしら?」
「はい。あの、でも、歌を聞いたのは割と最近で、レコードなんですけど……」
「そうなんですの。私の声を憶えて下さって嬉しいわ」
そこへ、支配人が戻ってきた。
メイドがお茶とお菓子を乗せたワゴンを押し、ボーイ二人が予備の椅子を運び込む。全員が席に落ち付き、お茶の給仕が終わると、支配人たちは「ごゆっくり」と言い置いて退室した。
扉が閉まると、みんなの視線がアミエーラに集まった。香草茶の香を吸い込んでゆっくり息を吐き、自己紹介する。
「私の呼称はアミエーラです。祖母はフリザンテーマ。少し前まで、リストヴァー自治区に居ましたが、クフシーンカ店長に勧められて出てきました。あの、その時に、カリンドゥラさん……大伯母さんを頼りなさいって、手紙と写真を渡されたんです」
「それがこれね? 随分、懐かしい手帳もあるけど、これはどうしたの?」
「小さい頃、祖母と二人で山に埋めて、自治区を出る時に掘り出しました」
「そう。二冊はフリザンテーマが中学生の頃に書いた呪文のメモ。後の一冊は、私がレコード用に歌った曲の歌詞で、あの子がリストヴァー自治区へ移住する時にあげたものよ」
「そうだったんですか……」
由来を説明されたが、アミエーラはそれ以上、言葉が出なかった。
☆歌を聞いたのは割と最近で、レコード……「177.レコード試聴」参照
☆ニプトラの家族は、半世紀の内乱中に亡くなった……「220.追憶の琴の音」参照




